カインさんの存在がクラスメイトにバレる






いらっしゃいませー、という明るい店員の声に迎えられ、自動ドアを潜れば視線を集めるのにも、もう慣れたものだ。
自慢じゃないが自分はそれなりに人目を引く容姿をしているし、加えて、最近ではだいたい隣に”彼”がいる。
高い…というか、高すぎる長身と、同じく否応がなしに人目を引く端正な容姿、光に反射して煌めく赤い瞳。異世界人であり、そして貴族であるという現代離れした空気から、多分、梨花よりよほど目立つ存在だ。当の本人はそんな視線にはパーティ云々のせいで慣れっこらしく、大して気にした様子はない。
梨花としても、その視線が胡散気なものならともかく、自分が連れている美丈夫への羨望好奇の視線であるなら、悪い気であるはずがない。誰だって、いい男、いい女を連れて歩きたいものだ。それが恋人であればなおさらだ。
高めに作られているはずの入り口をちょっと気にしつつ潜る姿を見て胸中で笑気を漏らしつつ、さて男性服はどこだと周囲を見渡す。
190はあるらしい長身が入る服なんて、意外と探しにくいものだ。シャツはまぁいいとして、外人の血か、単純に彼のスタイルがいいのか、とにかく脚が長い、ズボンがない。色々と落ち着いた今、まず服を買い揃えなければいけないというのに、初っ端から難関だった。驚異的な方向オンチのカインと街を歩くには半ば捕縛のように腕を掴んで歩く必要がある。これに関してはそれを名目に腕を組めるのでまぁいいのだが、少し目を離したらすぐ消えるのはどういうことだ。早々に携帯電話の使い方を教えるべきかもしれないと真剣に思う。そうして、ようやく店に辿り着いても、サイズがない。それでも、これだけの過程を経ても、最初のように帰れと連呼しなくなったのは、きっと惚れた弱みというやつなのだろう。


「…脚、何cm?向こうでは服、どうしてたの?」
「さぁ…測ったことは無いな。服は、仕立て屋に採寸させて、作らせていたかな」
「……さすが伯爵様…」


仕立て屋。何だそれは、が、梨花の正直な本音だ。いつも思うことだが、本当に、住む世界が違いすぎる。例え時代が違ったって、仕立て屋を呼べる人間はそういないだろう。つい先日、恋人というものになってから、実は貴族だということをカミングアウトされたが、当初から感じていた気品に、嗚呼なるほどと妙に納得したのを覚えている。
さて、ならばどうしたものかと、改めてカインを見つめる。さすがにスーツでは、ということで、シャツとズボンだけの簡単な格好だが、こうして見るだけでわかる脚の長さに、早くも前途多難が見える。これは、店で一番大きいものを探さなければ。


「…とりあえず、適当に合わせてみて…」


「…ねぇ、あれって、斎宮さん?」
「ほんと…なぁに、また男連れてるの?」


唐突に、聞こえた声に身体が固まった。嗚呼、嫌な声だ。何言われても構わないし、言われるだけのことをしている自覚はあったけれど、彼といるときに出会いたくはなかった、なんて、甘えだと梨花が自嘲気味に笑う。伸ばしかけていた手を下ろし、ぎゅっと手のひらを握り締める。自業自得だ、自分のやってきたことの、わかっている。そんな梨花の姿を見て、僅かな思考を巡らせた後、カインが不意に脚を踏み出す。少し離れた場所にいた二人の元へ歩み寄れば、緩やかに笑った。


「…はじめまして、お嬢さん方」
「え…あ、はじめまして」
「は、じめまして…?」
「私の恋人の学友…で、いいのかな?」


私の恋人、とカインが断言したことによって、二人の表情が僅かに変わる。
それは嫉妬、よりも、単純で淡い感情だ。
ただ、気に食わないクラスメイトに、歳上で、背が高くて、顔立ちの整った、恐らく外人の彼氏がいる。気に入らなくて当然だ、それは当たり前の感情だった。諍いを起こした相手がいい相手を捕まえれば、不愉快にもなる。だからつい、口をついた言葉に、小さな棘が滲んだだけだった。それは、悪意と呼ぶにはか弱すぎ、敵意と呼ぶには幼すぎる、飼い殺し切れなかった密やかな羨望だ。


「い、斎宮さんはやめた方がいいですよー」
「そうそう、男癖悪いって有名ですから」
「おや、それは困ったね」


顎に手を当てて、そう零すカインに、梨花が俯く。自分のことを知っている彼であるから、大丈夫だと信頼したい、だけど、少し怖い。逃げ出したい心地を抱えて唇を噛み締めていれば、不意、頭上に落ちる影。それが何かを認識する前に、くしゃりと髪を撫でられて、思わず顔を跳ね上げた。柔らかく笑う彼の表情が眼に入った、と思うと同時に、緩やかに唇が重なる。僅かに触れた唇は、しかしすぐに離されて、ぽかんとした梨花をカインが抱きしめる。
唐突の行動に、梨花や、側にいたクラスメイト二人ばかりでなく、近くにいた他の客までもが、呆気にとられてただ見つめていた。
するりと髪をすくい、口付ける気障めいた仕草さえ、妙に様になるのは纏う気品故か。くすりと落とした笑声が、心地良く鼓膜をなぞる。


「よそ見をされないように、きちんと捕まえておかなければ」


柔らかいのに、圧倒されるような、そんな微笑み。経験に裏打ちされた、嫌味ない余裕。彼の言葉の意図を理解して、僅かに朱の差した頬を見られたくなくて、ぽすりとシャツの胸元に顔を埋める。彼はいつもそうだ、時折落とす情愛の言葉は、うつくしい宝石と艶やかな色彩に着飾られ、甘やかな呼気で砂糖漬けにされているのに、そこには決して不純物が存在しない。仄かな甘みの砂糖菓子のように、口の中で蕩けて体内に落ち、そのまましとやかに染み込んで行く。
さて買い物を続けようか、と、何事もなかったかのように笑うカインに、梨花が慌てて顔を上げて、歩き出したその背を追いかける。


去り際、二人のクラスメイトに、持ち直した不敵な笑みを投げかけるほどには、梨花の性格はよくはなく、どこまでも強気であるけれど。
けれどその、煩わしさを振り払って一人で立ち続ける気概に、背筋伸ばすプライドにこそ、カインは手を伸ばしたくなった。
年齢に似合わぬ双眸の憂いが、自分のせいであればいい。そんなある種暴虐的な、劣愛染みた感情を持て余さなかったのは、恐らく彼の年齢が、一時の揺らぎ程度に乱されぬ域であったからに他ならない。けれど、梨花は、ひたひたと息を潜めるその暴虐こそを愛した。まだ若い梨花にとって、それは大した危機性を感じられなかったからでもあるし、また、同じかそれ以上の情愛を抱えていたからでもある。
柔らかな笑みの下に隠された様々の感情が、溶け出した氷が一雫ずつひっそりと落ちる様に似て零されるのに、いつからか視線が囚われた。その感情をすくいたいと手のひらを差し出すことに、躊躇いはなかった。
ただ欲しいと求める欲は浅ましいほど直情的で、それはまた一種の盲目であり、言い換えれば一途という言葉で着飾られる。
要は、双方、耳触りのよい言の葉の下に潜む生々しげな声を叫び、掴み寄せたに過ぎない。


「……カインさん」
「ん?」


長く伸びた襟足が揺れ、振り返る優しい顔に、艶めいた黒髪が落ちる。降ろされた前髪が彼の童顔に拍車をかけていて、多分十は年下に見えるだろう。いつも上げていた髪を降ろしていた今朝、どうしたのと問うたその言葉に、返された返答がいつまでも耳に残っている。
「この方が、歳が近そうに見えると思って」
幼く見られるのが嫌で、彼は髪を上げていたはずだ。それなのに、自分のために、髪を降ろしてくれた。真っ直ぐな言葉に胸が苦しくなる。いっそのこと、このままぬるい心地良さに溺れて、窒息してしまえたらなぁ、なんて。夢想染みた思考に自分で自分を笑いながら、何でもないと緩やかに笑った。


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