日記形式
前半アホっぽい、後半エセシリアス
赤の日記帳=梨花視点
黒の手帳=カインさん視点







【赤の日記帳】

○月○日 晴れ

伯爵は相変わらず仕事をしている。今日も絵画に話しかけていた。ちょっと心配、また無理矢理寝かしつけようかしら。嗚呼、またふらふらしてる。伯爵、それは私じゃないわ、甲冑よ。何度も私を呼んでくれるのは嬉しいけど、違うわ、全部私じゃないの、それ、無機物よ。惜しい、それは私の隣の柱。

「伯爵、寝てちょうだい」
「大丈夫だよ、まだ仕事がね、残っているから」
「それはソファーよ伯爵」
「あれ」

嗚呼、末期ね。せめて休憩を取らせようと、ご飯を食べてちょうだいと言えば、少し渋る素振りを見せたから、つかつかと歩み寄って押し倒す勢いでソファーへと座らせる。寝不足と空腹で、案外簡単に座ってくれたわね。

「朝食は後で…」
「え?なぁにダーリン、私を膝に乗せてあーんで食べさせて欲しいって?それならそうと、早く言ってくれたらよかったのに」
「さて食堂に行こうかハニー」
「物分りがよくて嬉しいわ」

真顔で淡々と言ってみれば、すぐに頷いてくれた伯爵と連れ立って、否、連行して、食堂へと向かう。別に私、さっきのは脅しだけれど、本当にしてもいいのだけれど。いいえ、それより伯爵の寝不足解消が先立った問題ね。伯爵、それはスプーンよ、グラスじゃないわ。





【黒の手帳】

○月×日 雨

今日は朝から雨が降っている。メイドが干した洗濯物の回収に駆け回っていた。相変わらず書類は減らない、朝日はこんなにも眩しいものだっただろうか。廊下ですれ違ったリンカにおはようと挨拶をしたのだけれど、それは柱よと隣から声をかけられて初めて自分の間違いに気付く。なんだか幻覚が見え始めている、少しだけまずいかなと思った。心配そうな表情を浮かべるリンカに、大丈夫だよと少しだけ強がりの入った言葉を吐くけれど、大丈夫じゃないでしょうとすぐにばれてしまった。好いた人には少しでもいい格好をしたいのが男じゃないかなと思ったけれど、私が話しかけていたのは花瓶だったようだ。確かに大丈夫ではない。しかし今夜も寝れないかもしれないなと思えば、そういえば今夜は軽い夜会があったのだと今さら思い出した。しまったすっぽかすところだったと小さく溜息をつく。そう堅苦しいものではないが、確かパートナー同伴が必須だったような気がして、目の前の小さな姿を見下ろす。


「伯爵、だからそれは花瓶よ」


おや、どうりで少し小さいと思った、なんてぼんやりと考えていれば、本物のリンカ(と、書くと何だか妙な感じだが)が、手を伸ばし、鈍い音を立てて私の横の壁へと手をついた。…これは、所謂壁ドンというものだろうか、男女が逆な気もするが。


「伯爵、私を見てちょうだい」


いっそ潔くて、格好の良い言葉で、ついでに表情が真顔で、思わず、はいと答えてしまったのは条件反射だった様な気がするよ。怒っても私の恋人は綺麗だねと考えたのは、そう、決して現実逃避ではないよ。





【赤の日記帳】

○月×日 雨

今夜は夜会、普段はエスコートして貰うのだけれど、相変わらず寝不足でフラフラしてる伯爵を見ているところ、今日は私が連れていった方がいいみたい。綺麗なドレスに高価なアクセサリー、素敵な男の人のエスコート。不思議ね、こんなもの、当たり前にあって当然、なんて思っていたけれど、何だか心臓が落ち着かないの。手袋越しに触れ合った手に、少しだけ、びくっとしてしまった。今夜の夜会は小さいの、だから堅苦しくなくて、柄にもない緊張をしなくて助かるわ。伯爵はとても素敵な男の人だから、私、時々隣に並べなくなるの。今の私が、ちゃんと、魅力的って自信がないと、傍にも寄れないわ。私のプライドが許さないの、無様な姿を、自分の恋人の隣に並べるなんて。それにしても、貴族のお嬢様は、みんな退屈してるのね。嗚呼、ごめんなさい、身分も知れない私なんかが伯爵にエスコートされていては、当然かしら。ひっそりと飛び交う、誹謗中傷、戯言噂話。羽虫のように五月蝿いから、そういう人達には、ゆっくり笑ってあげるのよ。貴方達には、エスコートして夜会に連れてきて下さる殿方はいらっしゃらないのね、って。嗚呼、おかしい。ところで、私が嫉妬の視線を受けていることには気付くような、妙なところで敏感な伯爵、私はそろそろ限界よ、二重の意味で。近いうちに貴方を寝かしつけて、ついでに一線を越えてみせるわ、覚悟してね。

追記。
寝不足のはずなのに、どうして夜会の最中はボケないのだろう。やっぱりあの人は未知の人。





【黒の手帳】

×月×日 曇り

どうしようか、リンカが泣いてしまった。先日の夜会から、何だか様子が可笑しかったことには気付いている。いや、やはりあの夜会の時に、何か声をかけるべきだっただろうか。この国では珍しい、インクを垂らしたような、真っ黒い大きな瞳から、はらはらと大粒の涙が、止まることを知らずに流れ落ちる。私のマントを力なく握り締めた小さな手が、頼りなく細く震えていた。掻き消えそうなか細い声が、嗚咽交じりに聞こえる。


ねぇ、伯爵、伯爵。お願いよ。
抱いてちょうだい。
私、何もないわ。何もないのに、何もせずに貴方の恋人でいたら、私、色々言われるの。
辛いの、跡継ぎも産めない子供のくせに、慰み者のくせ、なんて、言われたくないの。
お願いよ、伯爵。
私、貴方を愛してるの。


はらはら、はらはら、シャンデリアのライトに反射し、煌めく涙は、くすんだカーペットへと次々に染みを作っていく。思わず伸ばした指先を、冷たい水滴が濡らしていく。じっと、リンカの瞳の芯が、私を射抜く。そのまま、数秒か、数分か、見つめ合っていれば、艶やかなグロスに彩られた唇が、次第に緩やかな弧を描く。


…嘘よ。
今のは全部嘘、心配した?幻滅した?
私、こういう女よ、自分の為に、平気で嘘をつく女なの。
要らないと思ったら捨ててちょうだい。
…でもね。
さっきの嘘の中、私、一つだけほんとうのこと、言ったわ。
何かしらね。


小さく、表情を歪めたリンカが、聞こえるギリギリの距離で、そう細く呟く。謎かけのようなその文句に、一度目を見開いて、そうして、次には唐突に笑みが零れた。
本当のこと?それは、決まっているだろう、それを見抜けなければ、私は君の恋人を名乗る資格はない。
君が物語のお姫様でなく、魔女だと言うのなら、私は王子様ではなく、怪物にならなくてはね。
魔女に王子は、似合わないだろう。
小さく零すように笑い、立ったままリンカの手を取って、手の甲へと口付けた。


「…今夜、月が傾く頃。寝室の扉を開けていて下さいませんか。」
トランプも、チェス盤も、何もない部屋で。

「朝まで、眠らないで。」

今夜、貴方の元へ参りましょう。







「でもやっぱり夜中で切り上げましょう、数時間でもいいから寝て伯爵」
「え、この雰囲気でそれを言うの?」









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