キスしてるだけ
しかしなぜかいかがわしい
一応R15






触れ合った先の生温い感触に、人はどうしてこんなものが気持ちよく感じるのだろうかだなんて元も子も無いことを考えた。何故ってそれはそんなことでも考えていなければ単純に頭がおかしくなりそうだからである。ちち、と、窓の外で鳥が鳴いた。

別段何があったわけでもない。それは本当に唐突だった。いや、強いて言うなら、視線が絡み合ったとか、風が柔らかかったとか、はたまた紅茶が美味しかったからとか、そんなものかもしれない。そんなものだからこそ、多分、この行為には意味がある。無為な動作に意味を持たせるのが恋愛の本髄か、なんて、やっぱりこの時も思考はどこかに飛んでいた。本気には臆病なのだ、だって自分は大多数と同じで、弱い女なのだから。窓際に座って、紅茶を傍らに書類に目を通していたカインが、ふと視線を上げて、そうして、壁際に凭れて絵画をぼんやりと見つめていた梨花と目が合った。それが合図だった。立ち上がり、ゆっくりと歩み寄るカインの瞳が男の人だったから、梨花はそこから動かなかった。まるで当たり前のように、二人の唇はあっけなく重なった。

こういう時、なんとなく、嗚呼好きだな、と思うことがある。焦点さえぶれるような近しい距離の中、至近距離で煌めく赤い瞳の中に閉じ込められた自分と目が合う。それと同時に、背中に当たる固い感触。多分、壁だ。背中を壁に預けて、身長差故に自然と顔が上へと向く。髪を梳いて後頭部を支える手のひらが大きくて、男の人だなぁ、なんてぼんやりと感じた。手首を掴む手のひらから感じる体温は梨花より低くて、互いの隔たりを感じる。その境界線が溶け合う瞬間が、梨花はとても好きだった。

少しだけ尖った彼の犬歯が好きだ。舌を絡ませたときに、軽く掠めたあの感覚がどこか甘ったるい余韻を孕ませていたから、次にキスをしたとき、自分からその犬歯へと舌を伸ばしてみた。カインは苦笑を舌先に乗せただけで、別に咎めはしなかったから、多分悪い気はしていないのだろうと勝手に判断して、時々気が向いたように犬歯を舐める。つ、と、舌に引っかかる感覚が気持ちいい。彼の首筋へと腕を回して、絡んだ舌が少しだけ緩んだ瞬間に、相手の咥内へと舌を滑り込ませる。それに慣れたように唇を開いて迎え入れるから、互い、口を開いて咥えるように唇を合わせる。カインの犬歯は今日も気持ちよかった。舌先が歯を掠めれば、そんなに好きなの、なんて笑うように、甘く食まれる。痺れたみたいに背筋が震えて、体重を預けるように、キスに夢中になる。後頭部と腰に移動した腕が何でもないように身体を支えて唾液を吸うから、次第に呼吸が上手く出来なくなる。だって、息を吸おうと少しだけ唇を離しても、すぐに彼が隙間を埋めてしまうのだ。差し込んでいた舌を逃そうとすればきつく吸われて、力なく落ちそうになれば離れることをこそ咎めるように噛まれ、生理的な涙が目尻に浮かぶ。息が、出来ない。完全に呼吸のタイミングを逃してしまった。経験は少なくはないから、一度タイミングを逃すと、再び呼吸を戻すのが非常に困難であるということを梨花はよく知っている。酸素が欲しくて、一度離れたいのに、腕は縋るようにカインの首筋にしがみ付いて離れないのだから、変なところで快感に従順だとうつろな思考が呟く。気持ちいい、とても、気持ちよくて堪らない。なのに、呼吸が出来ないから、酸素が欲しいジレンマ。快感か、酸素か。脳は酸素を欲しがり、身体は快感を欲しがる。離してくれない腕と唇が強制的にその選択肢を選ばせ、無理矢理にその快感を与えるから、ついに堰を切って容量を超えた。ぽろ、と、瞳から涙が零れる。ぎゅ、と、縋りつく力を無意識に強めた。夢中で彼の首に力を込めていたからか、整えられた髪が乱れてはらりと髪糸が落ちたけれど、多分、それを認識する余裕は、双方になかった。

あ、と、思ったときにはすでに遅かった。身体から力が抜けて、ずるりとカインの方へと倒れ込む。もう、視界も眩んで、感覚も乱れて、何もかもが遠くなって、駄目だと思った。咥内に押し込まれる自分と彼の舌の感覚ばかりが浮き彫りになって、強い力で抱き込まれる腕の感触だけが鮮烈で、今自分はカインとキスするためだけに生きてる、だなんて。そんなことを本気で思ったのも、きっと、カインのせいだ、カインがあんまりにも容赦のないキスをするから、だからきっとそのせいだ。ずる、と、ついに腰が抜ける。いや、腰が砕けた、と言っても、多分過言ではない。完全に立てなくなって、床に座り込んでもなお、激しい、貪るみたいな、食い散らかすみたいなキスは続く。覆い被さるような体勢で、歯列をなぞって、唇を食んで、舌先をちろりと舐めて、舌根まで吸って、ありったけの感情を唾液に混ぜて注ぎ込む。咥内も、舌も、もう何もかも熱くて、派手な水音が鼓膜すら大袈裟に揺らして、頭がおかしくなりそうだった。ぞくぞくと背中が震えて、彼と触れ合った場所以外の感覚が遠退いて、視界が眩んだ。口を開いたまま、舌を絡ませる余裕も無くなって、ただ彼の動きに任せる。そうすれば、彼の舌遣いがいかに奔放で、緩急が激しくて、見た目に似合わない貪淫さがちらつくことを否応がでも意識させられる。

力が強いな、と、眩んだ思考がふらつく。抱き締める、というより、捕まえる、という方が、この強さには相応しい気がした。捕まえて口付けるというのが捕獲して食べる様に似ていて、性行為を食べると称するのは、あながち間違いではない表現の様だ。こんな風に思考がばらつくのは嫌な前触れだと知っている。だけどもう既に彼から逃れようなんて考えられるだけの冷静さなんか根こそぎ奪い尽くされていて、ばらついていた思考さえ徐々に霞んで、そうして頭の中が真っ白になった。舌が絡んで歯牙の感覚が甘ったるく痺れて、それが気持ちいいということを認識するので精一杯になる。すっかり力の抜けた身体は床に崩れて、壁とカインの腕に全体重を預ける。彼が肩に羽織ったマントが傾いて、窓から差し込む日差しから、梨花を覆い隠した。強く吸われる舌にもう何度目か解らないほどの震えを背筋に感じながら、すでになりを潜めている酸素への欲求はどこにいったのかなんて最後の思考がやっぱりくだらないことを思考して、ぐったりとカインの腕に身を任せた。終わらないキスが何分続いたかなんていうのはこの際どうでもいいことで、確実なのはそのうち自分が酸欠で意識を失って、思考と同様カインの腕に横たわるだろうということである。もしくは胸元に。出来たら先日のように、目覚めた途端に二度目のキスは勘弁して欲しい、心臓に悪いので。ちち。室内の様子など何も知らずに、空で小鳥がのんびりと鳴いた。





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