水無月高校の屋上は名目上、出入り禁止となっている。何故名目上であるかは入口の扉を見れば明瞭で、鉄製のその扉につけられているのは、ただ一つの錠のみであった。鎖も何もない、ただその錆びかけた錠のみがつけてあるので、鍵さえ持ってくれば簡単に開いてしまう。その事実は、先輩から後輩へ、ある意味伝統のように語り継がれている。そして、学生の妙な探索能力は侮れないもので、どれだけ教師が巧妙に隠しても、いつの間にか誰かが見つけ出して持って行ってしまうのだ。数年前に教師と生徒で鍵を巡って水面下の大戦争があったらしいと先輩に聞くが、真偽のほどは無論解らない。しかし現在の教員が半ば屋上の使用を容認しているのは、確かな事実である。フェンスの強度など、一通りの安全確認はできているのか、よほど危険な真似をしない限り、放置されている。



「あの、遠野くん?」
「ん?どうした、璃乃嬢」
「屋上に行くには、鍵がいったはずじゃあ…」
「ああ、いーのいーの。この時間だと、多分あいつがいるからさ」
「あいつ…?」



訝し気に小首を傾いだ璃乃の質問に答える前に、屋上へと辿り着く。見れば扉に備えつけられた鍵はすでに開いており、な?と笑った刹那が、ゆっくりと重たい扉を押し開けた。厚く重みのある扉がコンクリートに擦れて、鈍い音が階段へと響いた。
目の前に、広がる青。突然開いた視界に僅かに瞳を細めるも、その視線の先に先客の姿を見つけて、璃乃は軽く足を踏み出した。そう遠くない場所に佇む、小柄な人影。風に靡く髪は、ここからでも念入りに手入れされたことが伺えるほど、細く綺麗な、さらさらの茶髪。細く長い手足に、折れそうな肩、頭のカチューシャ。はためくスカートまでもが綺麗な光景の一部として認識されていた。華奢な女生徒の姿を見て、後からやってきた刹那が、やっぱり、と僅かばかり弾んだ声で呟いたあと、右手を上げて大きく声を張り上げた。



「おーい、あみー!!」



よく通るその刹那の声に振り向いた少女の顔を見て、璃乃が驚いたような表情を浮かべる。そして、間髪入れずに、高い声を張り上げた。「も…モデルの、九条あみさん!?」
九条あみ。彼女は、この水無月高校での有名人の一人である。現役女子高生モデルとして、数々の雑誌の表紙、特集を飾っている。璃乃の声を聞いて、振り返ったあみが小さくお辞儀をする。それにつられて、刹那を追いかけてあみに近づいた璃乃は、慌ててお辞儀を返した。



「あ、あの、初めまして!お邪魔してしまい、すみません…!あの、モデルの、九条さんですよね…?雑誌、いつも見てます!」
「初めまして、はい、九条あみです。わぁ、知っててくれたんですね、嬉しいです!気にしないでください、ちょっと風に当たりにきただけで、すぐに帰りますから!」



にっこりと、柔らかな笑みを浮かべたあみに、刹那が「次の授業、俺と琥珀サボるからー」なんて、暢気にサボり宣言をしている。しかし、特に気に留めたようすもないあみはそれに頷いて、そして最後にもう一度、璃乃に会釈して、そうして屋上から去っていった。同じように会釈を返した璃乃があみの後姿を見送り、嬉しそうに破顔させる。



「凄い、九条あみさんに会えるなんて…!同じ学校なのは知ってたけど、会話しちゃった…!」
「あー、そういやあみ、モデルだっけ」
「…九条さんは、遠野くん皇くんの、お友達?」
「おう、まあな。一応、クラスメイトで、それなりに仲良いぜ」



そうなんだ、と、未だ嬉しそうに頬をうっすらと紅潮させる璃乃に刹那が小さく笑って、そうして、座れよ、と促す。コンクリートの壁を背に、三人で凭れ、心地よい風を肺に思いきり吸い込んで、そうして改めて、刹那が璃乃へと向き直った。



「で…、詳しい話、聞いても、いいか?」
「うん…遠野くん、ありがとう」
「刹那でいいぜ、琥珀もさ。な、いいだろ?」
「うん、好きに呼んでもらえたら、嬉しいな」
「…うん、わかった。えっと、じゃあ、刹那くんに琥珀くん。ありがとう、あのね、さっきも言ったけど、私ね、お姉ちゃんと仲がよくなくて…」




そこまで言って、璃乃が一度、瞳を伏せる。長い睫毛が揺れて、瞬いたかと思えば、ゆっくりと瞳を開き、そうして言葉を再開させた。