この世界は残酷だ。誰だって、何だって、どうしたって優れた人間というものがいる。容姿であれ、勉学であれ、運動であれ、芸術であれ、何かしら秀でた人間はいるものだ。そしてそんな優れた人間が、容姿まで優れていたならば、愛想まで完璧だったら、どうなるだろう。決まっている、周囲は皆その子をもてはやし、何もしなくとも周りに人が集まる。そうして、その人は笑うのだろう、そんな人間と比較され、劣等感に苛まれ、潰れていく人間のことなんて、露ほども知らぬままに。



「お姉ちゃん!」



嗚呼、まただ。この声は、どこまでも少女を、旭野志乃をいらつかせる。緩やかにカールした髪、ふんわりとした睫毛、透き通った鳶色の瞳、小さく整ったピンク色の唇。全てが綺麗に整っていて、だけど絶世の美女というわけではなく、少し騒がれる程度の、そう、このくらいなら手が届くかも、と思わせてしまう絶妙のバランスを保っている。
志乃をお姉ちゃんと呼ぶその小さな少女は、名を旭野璃乃といった。志乃の一つ年下の妹であり、頭がよく、運動親権だってそれなりで、おまけにその人懐っこい性格から、クラスの中でも中心的な存在だ。それに比べて、決して醜くはないが、それでも平凡の域を抜け切らない容姿、常に真ん中辺りの成績、真ん中の運動神経。全てが全て、平凡という言葉が相応しい。だからこそ、志乃は璃乃が、嫌いだった。彼女は妹である以前に、自分の存在価値を脅かす存在である。誰もかれもが璃乃を褒め称え、璃乃を愛し、璃乃の傍に集まった、自分には何も残らなかった。



「…気安く触らないで」



本当に、嫌いだ、この可愛らしい容姿の妹が、純朴な素直さを持つ妹が、汚いものなど何も知らない妹が。彼女は両親が好きだと言う、そして、志乃も好きだという。その家族愛が、まっすぐな感情が、志乃は何よりも嫌いだった。
伸ばされた手を振り払い、璃乃を置いて歩き出す。志乃の心境を表すように靴音は高く鳴り響いていた。角を曲がる寸前、ちらりと見えた璃乃が俯く姿に、また苛立たし気に舌うちをして、志乃は階段を降りていく。

どうしたの、璃乃ちゃん。大丈夫?何があったの。口々に聞こえる、璃乃のクラスメイトか友達だかが、彼女を慰める声。そう、いつだって、ヒロインは妹で、志乃は悪役でしかなかった。璃乃は、妹は、彼女の才能を妬んだ意地悪な姉に嫌がらせされても、めげずに仲直りしようとする健気なヒロイン。そうして志乃は、妹の才を妬んで、嫌がらせをする酷い姉で、酷い悪役。


嫉妬とは人間を作り上げる要素の一つで、そうして、切っても切り離せないものだと志乃は思う。どれだけ優れた人格者だとしても、その優れた人格故に妬む人間がいるように、誰もかれも、大量の人間が集まれば、みんな仲良くだなんて夢物語だ、絵本よりちゃちな夢見事で、滑稽すぎて笑えてしまう。血の繋がった妹であってもこれほど妬みは大きくなるというのに、この上、他人なら、どうなるかなんて想像は容易いものだ。そうやって妹を囲っている人たちだって、きっと、それは上辺だけなんでしょう。敵がいて、自分たちが正義になるから、嫉妬が隠されているだけでしょう。


結局この世は無いものねだりで、何でも持ってるように見えた妹が羨ましかっただけなのだろう。せめて璃乃が自分を嫌ってくれたなら、見下してくれたなら、思う存分憎めるのにと考えた自分を自分で嘲笑って、志乃は教室の扉を開けた。