田村沙弥は、飲み込みがはやい。
 そして臨機応変に態度を変えれるしなやかさは田村沙弥自身の処世術であり、元に彼女は大抵の人間に信頼を置かれていた。
 だからこそ、通りすがる直前には、自分の脇を通った男が普通でないことも悟った。悟ったからこそ、警戒し、男の斬撃をかわせたのである。

 避けた遠心力で相手との距離を開けたにも関わらず、沙弥を狙った男は踏み込み、沙弥に襲いかかってくる。心臓へと突きの形で向けられた刃物を、沙弥上半身を後ろに大きく反らして避けた。そのまま地面に手を突き、足を上へと大きく振りかぶって相手の顔を蹴ろうとしたが、相手も軽く後ろに体重をかけて避ける。そのままバック転をした沙弥が起き上がり、ヘラヘラと笑う通り魔に苦笑を浮かべた。


「……おいおい洒落になんねーぜ。お前らの世界で一般人に手を出すのはご法度じゃねーのか?」
「うーん。でもさァ、それじゃ切り裂き魔とか通り魔とかいないでしょォ?」
「……そいつらは、」
「人間殺してんだからァ、一緒じゃん。俺はただァ、これが好きなだけェ!」


 舐めるような口調で話す男が沙弥にまた斬りかかるためにナイフを振りかざそうとした瞬間、そのナイフの刃を、大きな手が掴んだ。
 手の皮が斬れているが、骨は丈夫らしく切り抜かれることはない。その刃を止めた男は、痛みを感じていないとばかりに毅然に足を地につけ、刃を握る男を黄色の瞳で睨み付けた。


「……血、血ィ……?」
「ひっ、ひらじっ……!!」
「沙弥、お前は逃げろ。俺はお前に傷付いて欲しくない……お前なら……」


 握力だけで、刃は真っ二つに割れる。通り魔は二、三歩後ずさるが、怯えているわけではなく、元々白かった肌を紅潮させて、恍惚とした笑みを浮かべている。真也は今、折ったナイフ地面に手から溢すように捨てて、言い放つ。


「――コイツの死体も、お前なら見たくねぇだろうよ」
「平城! ダメだ!! そんなっ……」
「あはぁあははははは!!」


 急に笑い出した通り魔が、日本の地では見られない青の髪をくしゃりと崩して、瞳孔が開ききった瞳で真也を見ていた。沙弥は通り魔の精神状態が普通でないことを飲み込むが、真也はそうはいかない。

 沙弥以外に興味を持つことなく。姉の理不尽を無理にでも押し付けられた、姉譲りの理不尽さは真也をも狂わせた。


「……頼む、沙弥。俺は力の加減ができねぇんだ……お前まで傷付けたくない」


 ポツリと漏らした、純粋な気持ちは狂っているのかいないのか。沙弥はその気持ちを飲み込みたくない。しかし、この状況下、飲み込まなければ真也が傷つくのは目に見えていた。

 震える拳に、何か訴えかけた言葉を飲み込み、沙弥はその場から背を向け、走り去った。
 その後を見送った真也が人間のように胸を撫で下ろした後、凶悪な笑みを浮かべて通り魔を睨み付ける。


「……で、俺の沙弥に手ェ出そうとしたんだ。死ぬ覚悟ぐれぇできてんだろ?」
「くっ……くくくっ……。俺は何時でも死ぬ気満々だけどォ? だけど、殺す気も満々!」


 通り魔が取り出した武器はジャックナイフだった。が、通り魔は目の前の男がナイフを投げたくらいで体に貫通できるかわからないと判断したのだろう。
 しかし、獲物を狙う鷹のように、着実に、獰猛に、真也の心臓をえぐることだけを考えていた。
 とはいえ、真也は冷めた視線を通り魔に向けている。体は自由で、何時刺されてもおかしくなかった。

 勝負は何時も一瞬で終わるもの。刺されるか、刺されないかだ。
 この戦いも、真也の憎しみさえ無ければ一瞬で終わったのかもしれない。

 通り魔が踏み込み、真也の心臓部分にジャックナイフを向けようとしたが、真也はそのナイフの刃を腕の骨を盾のように使って受け止めた。そして、空いている手を振りかざし、通り魔の腹に叩きつける。

 殴られた拳の方向に軽く飛んだ通り魔に、真也は吐き捨てる。


「簡単には死なせねぇぞ。沙弥を狙ったんだ。爪を剥がして指を切って目玉をえぐって髪を引き抜いて心臓をもぎとらなきゃ気がすまねぇ」


 物騒なことを呟きながら、地面に仰向きになる魔の胸ぐらを掴んで頭をもう一度殴ろうと片膝をついた瞬間、ケラケラと笑った通り魔が黒い手榴弾を真也に見せつけた。それを雑誌でも目にしたことのある真也は慌てて後ずさるも爆破してしまい、あたりは煙に包まれてしまう。その煙をかきわけ、通り魔は真也を押し倒し、その勢いでナイフを真也の目へと突き刺そうとするが、真也はそれを白刃取りする。

 地面に背を預けてる真也に、その上でナイフを向ける通り魔。どちらが優勢なのかは一目瞭然だった。

 口の端から血を垂らせる通り魔。目も充血していてバケモノそのものだった。そして、真也はあるバケモノを思い出す。

 自分がピンチな時、嫌でも来てしまう厄介なバケモノのことを。


 キチ、と銀色の刃が通り魔の喉寸前に押し当てられた。その長い刃の元には、同じく黄色の瞳だった。通り魔の顎を持ち上げる刃に、通り魔の目線が日本刀を持つ少女に向けられた。


「あ、夜美ちゃんだァ」
「……話がある。顔貸せ」
「えー。告白とかァ?」
「違うわ!!」


 暢気に答える通り魔の首根っこを掴んだ夜美は、通り魔を引きずりながら退場した。
 呆気にとられる真也に、ショートカットの少女がかけより、しゃがみこんで頭を膝に乗せた。


「……クソッ。やっぱくそ姉貴関連かよ! 沙弥に手ェ出しやがってただじゃおかねぇ……」
「そんなこと言うなよ。姉ちゃんはお前を助けてくれたんだから」
「だけど、原因はアイツ……!!」
「それに、助けてくれて私も嬉しかった……ありがとう」


 真也の頬を、沙弥の手が滑る。真也はそれだけを至福とし、沙弥の手に自分の手を重ね、まぶたを閉じて笑みを浮かべた。


「沙弥、もうちょっとこのままがいい」
「……今日だけだからな」


 真也にとって、先程までの出来事がどうでもいいくらい、沙弥しかいないのだ。