百鬼が雨宿り
百鬼と小鳥遊の関係





百の鬼と書いて「なきり」と読む自分の名前を百鬼は別段嫌ってはいなかった。触れた相手の五感を狂わせるという特異能力を有した自分は確かに百の鬼と同じだけの存在かもしれない、怪奇異形異常が集まるこの裏の世界では。超能力者。本来ならば一介の人間が有するべきでない力を宿した人間を、人はこう呼ぶ。
けれど百鬼にとって、そんな呼び名の如何はどうだってよかった。世の超能力者は何も自分だけではないし、現に彼が所属する裏組織には、百鬼以外にも超能力者はいる。いい例が、九条あみという少女だ。彼女は百鬼と違い、水を操るというありきたりな能力者だが、どうも彼女にはそれだけでない希少価値があるらしい。他人の能力結晶石を使える、という、希少価値が。
小柄で華奢な、見た目だけはか弱げな美少女であるあみの姿を脳裏に思い浮かべ、百鬼はすぐに思考を別の方向へと向かわせた。何分、百鬼とあみは、究極に仲が悪い。こんな時にまであんな貧相な女のことなんか考えたくない、というのが、百鬼の言い分だ。それより、と、次いで脳裏に浮かんだ人の姿に、人知れず表情を緩める。


「…小鳥遊先輩…」


基本的に誰にでも不遜で生意気で、偉そうな百鬼にも例外はいる。誰にでも挑発的な、そして高慢な言動を崩さない百鬼が、唯一敬語を使い、慕い、懐いて後を着いて回る存在。それが、小鳥が遊ぶと書いて「たかなし」と読む名を持つ、一人の少女だった。
彼女に、別段抜きん出たところはない。ましてや超能力者でもない。ただ、様々な事情で、百鬼と同じ組織に属しているだけだ。…少しばかり、ネガティブさとアクティブさが激しいだけで。何かに突出もしない、本当にただの少女だった。強いて言うなら、逃げ足がとんでもなく早い、とか、その程度の、存在だ。

彼らの間に何があったのか、それを真に知る人間はいない。ただ、いつの間にか百鬼は小鳥遊を先輩と呼び、懐き、慕い、彼女にだけは年相応の笑みを見せて後を着いていく。健気なまでに彼女に尽くし、彼女が百鬼の名を呼ぶだけで、心底嬉しそうに笑うのだ。


「先輩、もう帰ってるかな…怪我してないかな……早く、帰りたいな」


数日の任務に出ていた小鳥遊が、今日帰ってくる。それだけで百鬼の心はふわふわと宙に浮いていて、つまらなくて仕方なかった数日が嘘みたいだった。さっさと用事を終わらせて、そのうち帰ってくるだろう小鳥遊を出迎えたかったのに、予想外の雨に足止めを食らって、気持ちが急いていた。

先輩、先輩。もう帰ってきたかな。怪我してないかな。ちゃんと成功したかな。



「あー…会いたいよ、小鳥遊先輩…!!」
「ひぃ…っ!!!」
「っえ…?え?先輩!?な、なんでここに…!」
「あ、あああご、ごめんなさい…!あの、百鬼君が出かけたって聞いて、あの…雨に困ってるんじゃないかと…その…っ」



会いたい、会いたい。そればかりが胸を占めて、誰もいないのをいいことに思わず叫べば、返ってきたのは予想外すぎる声。びくびくと目の前で縮こまるその人は、会いたいと切望していた大好きな先輩で。その小さな手に握られた傘を見て、そして、彼女が震えた声で吐き出した言の葉に、百鬼は驚いて瞳を見開いた。
まさか、嘘だ、そんな。大好きな先輩が、自分のために、傘を持って、探しにきてくれた。信じられなくて、茫然と固まっていれば、それを勘違いしたらしい小鳥遊が慌てたように叫ぶ。


「っあ、ご、ごめんなさい…わた、私、余計なこと…!!」
「ま、待って先輩…っ!!」


焦って逃げ出そうとする小鳥遊を慌てて追いかけ、勢い余って抱き着くように引き止める。捕まえておかなければ、彼女はとんでもなく早い逃げ足で、すぐさまいなくなってしまうからだ。小さく華奢なその身体を抱きしめれば、ふうわりと彼女の香りが鼻腔を擽った。少し甘くて、柔らかな香り。百鬼はそれが、堪らなく好きだった。


「…ありがとう、先輩」
「う、あ…あの…」
「嬉しい、俺のために、傘持ってきてくれて…俺を迎えにきてくれて、凄く、嬉しい」


先輩、一緒に帰ろ。
身体を離し、正面から向き合って、百鬼は年相応に笑った。傘を開いて、横に並んで、俗にいう相合傘をして、共に帰路に着く。隣にある温もりに、思わず頬が緩んだ。今日はいい日だなあ、なんて、雨が上がりかけた空を見上げて、小さく呟く。もうすぐ、虹が出るね、先輩。