狂気ヤンデレ病みグロ注意
「hide-and-seek」の多大なるネタバレ
真白の過去の話







その人は人間の欲望渦巻く繁華街の中で、殊更世俗的な香りを纏っていた。退廃的と言ってもいい。いつの頃からこの街に来たのが、それは俺には解らないけれど、気付いたときには、彼は後ろ暗いホストクラブのナンバーワンに君臨していた。可愛らしい容姿だった。幼く、下手をすれば中学生程度にしか見えないというのに、浮かべる表情はくるくると変わって、時に可愛く、時に明るく、時に暗く、時に冷たく、様々に色を変えたけれど、そのどれにも底知れぬ冷たさを感じて、目を奪われた。さらと夜風に靡く黒髪、軽く編まれた三つ編み、華美な顔立ち、手のかかった美しい肌、何もかもが幼さに似合わぬ艶を纏っていて、嗚呼、だから彼はトップにまで登り詰めたのかとぼんやりと考える。一度も言葉を交わしたことはないけれど、いつも影から見つめていた。まるで、眩しいものを見るように、影が光を見るように。


そのうちに知った。彼は、真宮真白といって、まだ高校生らしい。それは一応秘密だけれど、あのホストクラブのオーナーに可愛がられていて、好き勝手しているようだ。固定客には、俺でも一応知っているような名前の組織のトップがいるらしく、稼ぐ金は計り知れない。女好きで口が上手く、口説き文句を日常会話に織り交ぜる、そんな男。少年染みた見た目と裏腹に、筋肉のついた身体はイメージを裏切って喧嘩に長け、暴力沙汰もかなり起こしているらしい。それら全てを、バックが揉み消す、まさにこの街の象徴のような悪循環。


「………、」

かっこ、いい、なぁ。



憧れは募り、憧憬は増し。
視線が彼を追わない日は無くなった。
彼の情報ばかりを耳が追う。




真白が高校辞めたってさ。
真白、今月でトップ一年だろ。
真白がついに殺人を犯したって。
強姦殺人だろ。
快楽殺人だって。
どんどん派手になるな。
あいつの天下じゃん。
馬鹿、クラブでだけだろ。
でもあいつのバックってさ。
こないだ、バラバラ死体が見つかったって。
火事あったよね。
あの組織の隠蔽工作だろ。
そろそろサツが来るってよ。
隠せ隠せ。
不都合なものは隠せ。





目玉狩りって知ってる?


眼球のない死体だって。
目玉取られたやついるんだろ?
犯人は?
誰も見てないってさ。
たちの悪いイタズラだな。
みんな浮浪者か不法労働者だろ。
誰も捜査しないよ。
サツなんか動くもんか。
海に沈めろ。
隠せ隠せ。
不都合なものは隠せ。




いつからだろう。彼の周りがきな臭くなったのは。あどけなさが目立っていた彼の顔は、月日を重ねるごとに饐えた馨りを身に纏うようになり、稀に濃密な鉄錆の馨りを纏わせ、夜を歩くようになっていた。側にいる人間も少しずつ名の知れた人物になっていく。けれど、多分、多くの人間は知らない。先に述べたように彼が身を置くクラブは後ろ暗い商売と深く関わっている所為か、秘密主義を貫く営業風景だった。俺がこれだけ彼について知れたのは、ひとえにストーカー染みた執着心で付け回したからに他ならない。俺は唯の、小さなクラブの下働きだった。彼らにとって、警戒対象ではなかった。だから知っている、数人が犠牲なった、唯の愉快犯で片付けられた、あの、目玉狩りと呼ばれた小さな事件の犯人を。



「……あ、はァ…、ねェ、目玉ァ、チョーダイ、」



歓喜に震えた。彼が俺を見てくれた、俺を見て、俺を視認して、声をかけてくれて、目の前に立っている!何を隠そう、俺も目玉狩りの被害者だった。だけど誰にも言っていない、あの夜は、彼と二人だけの夜だ、他者になんか介入させるものか。多分、彼は、目玉を奪って俺を殺すつもりだった筈だ。俺もそれでよかった、彼に殺されるならそれでよかった、彼が俺の目玉を愛でてくれるならそれでよかった。なのに、何の因果か。場所が悪かったのか。橋上で右眼を抉られた時点で、俺の身体はぐらつき、そのまま海へと落とされる。気付いたときにはベッドの上だ。眼球の件は、落下した際、船のいかりか何かで傷つけたのだと片付いた。警察はその時、厄介な裏組織の抗争に辟易しており、俺なんかに構っている暇は無かったのだろう。ショックで数週間は寝たきりだったらしい。俺も否定しなかったから、これは事故で片付いた。


入院生活は退屈以外の何物でも無かった。学がないから難しい本は読めず、だからと言って他の娯楽に費やす金もない、ほとんど入院費に取られていく。唯、毎日毎日、中庭で戯れる誰かを眺め、初めて近くで見た彼のうつくしい顔を思い出す日々か続いた。ようやく退院の許可が降り、元の歓楽街へと戻ってみれば。其処は、俺の知る街とは一変していたのだった。傍目には何も変わらない、だが、確かに違う。あれは誰だ、あの人はどこにいった、今まで街に顔をきかせていた強面の人間が消え、見知らぬ誰かに変わっている。




空気変わったよな。
あれだろ、二つ、潰れたんだよ。
ははぁ、何でまた。
知らね、元々仲悪かったしな。
余波で潰れたんだっけ、あっこも。
あのクラブ?
そうそう、皆殺しに近いってよ。
表向きは何だっけ、ガス爆発か。
あーあ、まじかよ。
じゃああいつも死んだんだ?
あいつ?
あそこのトップ。
嗚呼。


真白。





世界が、暗転した気がした。
何だ、さっきの噂話、何て言った?彼が死んだ?
嘘だ、彼は強い、残虐に強い、死ぬわけがない。俺の崇拝する人が、死ぬわけがない!!





派手にやってたもんな、道連れか?
ちげーよ、何か、あいつが原因らしいぜ。
取り合いか?
まさか、利用されたんだよ。
そうか、あいつ、両方の幹部を顧客に持ってたっけ。
ざまあねえの。
欲出すからああなんだよ。
でも可哀想にな、他の奴らは、完全に巻き添えだろ?
あんな疫病神と居たのが悪いんだろ。





「あ、あ……ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」




死んだ、死んだ。彼が死んだ。
誰より焦がれたあの人が死んだ。
嘘だ、嘘だ、信じたくない。
もういない、もう、あの、どこまでも歌うように笑う彼を見れない。女と腕を組んで、抱き合って、歩く彼を見られない。もうあの、鼻腔擽る香水を、感じられない。
俺は何のために生きてるんだ。


寝床にしていた安いアパートに閉じこもって、声にならない叫びを吐き出す。ひたすら閉じこもって、何日も経って、さすがにお腹が空いて起き上がり、酷い状態の顔を直そうと、鏡を覗き込んだ、その時だった。こきん、と、脳が動いた気すらした。



「……、……」



自分の、髪は。最後に見た真宮真白と、ちょうど同じくらいだった。急いでハサミを掘り出し、恐る恐る切り落とす。なるべく、彼に似るように、同じになるように。前髪を切って、久方振りに見た自分の顔は、歳の割りに若くて、あどけなささえ感じられる。幼い、顔に、年に似合わない少年臭さ、顔はそれほど綺麗じゃないし、華美さなんて欠片もないけど、そう、これは。


「……出来る、嗚呼…嗚呼、そうだよ、そう、何で気づかなかったんだ、………似てるじゃないか、完全な粗悪品だけど、劣化コピーだけど、あは、ははは…似てる……彼に…似てる、……、」



なるべく、彼に似せて、笑った。可愛く、明るく、見下したように、あざとく、蔑んで、恍惚に浸って。思い付く限りの表情を真似、日が暮れるまで、否、日が登るまでそれを繰り返す。少しだけ面影を感じられるようになれば、記憶に忠実に髪を三つ編みにして、そのままの脚で、全財産の入った財布を掴んで外へ出た。彼の行きつけの店、気に入りの服、よく使う化粧品、皆みんな知っている。同じものを買って、ついでに食事も買い込んで、再度部屋に舞い戻る。汚いもののない肌にしなければ、その名のように、真っ白で、うつくしい肌に。じゃなければ、彼を名乗るなんて、真似るなんて烏滸がましい。顔、顔は、嗚呼そう、整形してしまえばいい、元々似てるんだ、クラブに飾ってあった写真を手に入れてあるから、こうしてくれと頼めばいいんだ、嗚呼、早く、早く。彼に、会いたい。


「俺が、彼になればいいんだ。」


そうすれば、鏡を見れば、いつだって彼に会える。嗚呼、なんて最高、なんて喜劇。長い長い時間が掛かった、一年は外に出られなかった、それでも苦になんてならなかった。彼を穢さないように、忠実に彼を演じる……いいや、そんなんじゃない。彼に、なれるように。自分の名前なんてもう要らない、俺の名前は。



「……真宮、真白だ、」



鏡に映る、自分の姿は。あの日、あの時、一年前に。俺を見て笑った、彼と瓜二つになっていた。にぃ、と、釣り上げた唇も、さらさらと流れる黒髪も、ぱっちりとして大きな目も、意外にごつとした男の指も、何もかもが、ほぅら、そっくり。唯一違うのは、そう、あの日抉られた右眼がないことくらいか。別に構わない、だって、彼と出逢えた証なのだから。必要最低限の荷物だけ持って、今まで住んだアパートの一室を後にする。さすがにこの街で成り代わるのは不可能だし、それに、彼に、真宮真白に、俺に、こんなアパートは似合わない。高いマンションで暮らそう、危ない街で、後ろ暗い世界で、俺が目玉狩りを続けるんだ。そうすれば、彼が生き続けているような気がした。そうすれば、俺はもう一度生きていける気がした。幾人の目玉を抉って、奪って、目玉狩りは俺になったはずだった。

なのに、今、俺の前にいて、困ったみたいな笑いを刻んでいる少年染みた男は、誰だろう。




「……あ、はァ、 何コレ、ええ?如何為ッてンの?俺、夢見てる?」

何で、昔の俺が、居ンの。




変わらない、病的な青白い肌。変わらない、大きな瞳。さらさらとした髪は以前より伸びていて、鎖骨に掛かるような、ミッドナイトブルーになっている。目の覚めるような青、増えたピアス、少しだけ伸びた身長、良くなった体躯。
嗚呼…、死んだ筈の彼が、もう一度俺の前に現れた。違う。違う違う違う、違う、俺は違う。完璧に似せた筈なのに、彼が生きてたから、俺は、ニセモノに為ってしまった。嫌だ、嫌、せっかく彼になったのに、また、俺に戻りたくない。まだ、俺は、真宮真白でいたい。

彼が死んだ事実を信じたくなかった。
生き続けて欲しいが為に、彼になったはずだった。
彼が生きていてくれて、嬉しい筈なのに、この動悸はなんだろう。

ニセモノに為ってしまう。彼がいたら、俺がニセモノに為ってしまう。当たり前だ、元々俺は粗悪品で、劣化コピーだったんだ、でも、でも。此処まで似せたんだ、表情だって、本物と寸分違わぬレベルで再現出来ている、筈。それなのに、嫌だ、嫌だ、また。何もない、誰にも見てもらえない、泥沼に沈むだけの自分に戻るくらいなら。




ナリカワッテシマエ。





「……あは、自分のォ、顔も、忘れたのォー?」


にぃ、と、笑って口角を釣り上げる。そうだ、成り代わってしまえばいい。俺が彼になればいい。彼を、俺の手で殺せば、今度こそ俺は本物になれる。取り出したナイフを彼に向けて、鏡みたいにそっくりな表情で、笑った 。そうだね、そう、今度は、俺が。彼の右眼を抉ってやる。そうしたら同じになる、俺は、本物になれる。

地を蹴る脚は、今までの何より、軽かった。






これは、真宮真白が、ヨルと名乗る前の。
物語の、本当の始まりの話。