自暴自棄カインさん
暴力的な夜ver
「ゴブレットに祝杯を」から続いてます






柔い月明かりに似合わぬ、派手な音が伯爵邸に響いた。
倒された椅子が広間に横渡り、割れた皿とグラスと、それから食事が散らばる。合間合間に飛び散った血痕が、それらにまた異様さを加えていた。
派手に噎せ込み、口元を押さえてもぼたぼたと垂れる赤黒い血潮に、カインは忌々しげな視線を落とす。


もう、本当に、取り繕えないところまで、来てしまった。


人前だからと隠せもしない。完全に、身体にガタが来ている。
自分の思い通りに動かせず、上手く思考も働かず、何もかもが、もう。
忌々しい。



「…クソッ……、」


酷く乱暴に腕を振るい、食卓に残っていた食器類を次々に叩き落とす。
落ちては割れ、落ちては割れを繰り返す、上物の食器。気持ちいいほどに爽快に割れるのに、けれど胸中に溜まる鉛みたいな質量は霧散する気配もなく、いくら血を吐き出しても消えやしない。
割れた食器に指が当たって切れ、また新たな血潮を床へと落とす。鉄錆の馨りが広間に満ちていた。


その様子を、ツバキはただ黙って見つめる。声も出ず、伸ばしかけた腕が中途半端な位置で空中を漂い、結局、何も出来ぬままに下へと落ちる。
唇を噛み締め、訳のわからぬ焦燥をやり過ごす。

彼は、朝から、様子がおかしい。昼間は怠惰に、浴びるほどワインを飲み、夜になれば、こうして時折、癇癪でも起こしたかのように暴れ回った。
椅子や机をその長い脚で蹴り倒し、本を投げ捨て、燭台を倒して、挙句、屋敷内のオブジェをおもむろに斬りつける。
鍛えられた剣筋で舞う刃が、灯りに煌めいて歪な光彩を放つのがツバキの網膜に焼き付いていた。


けれど。
彼はこれまで、一度も、自分達に憤りを向けていない。
八つ当たりの言葉も、暴力も、剣呑な視線でさえ、ただの一つも、向けないのだ。
その配慮が、気遣いが、失い切れない理性が、返って痛々しかった。
どうしてだ。だって、そんなの、その程度、許されるはずだ。あれだけ優しくて、あたたかい人が、これほど追い詰められているのなら、八つ当たりくらい、したっていいはずだ。されてもよかった、まだ、された方がマシだった。

こんな彼を、自分は、自分達は、見ていることしか出来ない。
何も出来ない。何の力にもなれないのだと、見せつけられたようだった。



ゆらりと、妖しげに、歪に、煌めく光。カインが、引き抜くと同時に椅子を斬り伏せた剣を右手に、ゆっくりと振り返った。
初めて、視線が絡み合う。
濁る血潮を思わせる昼間のようではなく、今はただ、静かに揺らめく炎に似ていた。
それは触れてはいけないものだ。
火傷では、済まない、ほどの。危険な、光。危険で、痛々しくて、切なくて、……うつくしい、光。


こんな時でさえ、彼には気品があった。
吐血の苦しみのせいか、乱されてはいるものの、普段通りのスーツにマント。少し落ちた髪と、白いシャツにばらつく血痕が場違いになまめかしい。
すらりと伸びる背筋と、携えた剣は、まるで病人に見えないほどだ。
噛み合わない要素を統合し、アンバランスに保たれている。

倒れた、または斬り捨てられた家具と、砕けた食器が背後に散らかる。
口元の血潮を左手の甲で拭い、咥内に溜まった血塊を乱暴に吐き捨てた。

不意。
彼が表情を歪ませ、剣を落とす。静まり返った広間に、その金属音は、やけに大きく響いた気がした。
ぐしゃり、と、髪を掻き上げ、泣き笑いのような、諦めたような、形容し難い複雑な色を滲ませ、そして俯く。

手で、髪で、隠された、見えない表情の下。
どうかせめて、泣いて欲しいと、ツバキは思った。
せめて泣いて、苦しみから逃れて欲しい。


どれだけ苦しんでも理性を捨てきれないこの人が、あまりに、痛々しくて、切なくて。
人に当たることも泣くこともなく、溜め込んだまま、どうか、死なないで。



どんなものでも、いいから、魂の声を、叫んで。
その声を、ツバキは、どうしようもなく聞きたかった。