きあらさん宅「bianco neve」のお子様スズちゃんと我が子刹那のコラボカプ。
きあらさんの書いて下さった「君を恋う」とリンクしています。
遊郭パロ。事後表現有り。










幼い頃、自分は花魁になるのだと、何の疑いもなく、そう思っていた。
自分で言うのも何だが、顔は綺麗な方であったし、舞や芸の物覚えもよかった。次代の花魁候補として選ばれ、未来を約束されていた。けれど、所詮ここは吉原、泡沫の世界。小さく非力な少女が描いた夢は、脆く容易く砕かれることとなる。

今も、耳を離れない、甲高い悲鳴。怒号。

没落した武士の、酔いに任せての凶行。当時刹那が姉女郎としてついていた、「梨園屋」一の傾城の花魁、彼女の座敷へと飛び込んできた武士が闇夜に煌めく刃を振り上げたのを見た時、刹那の身体は、考えるよりも先に動いていた。飛び散る血潮と悲鳴、顔に感じた痛み。
その時。花魁を庇い、当時の禿の中で誰より綺麗だった刹那の顔には、生涯消えることのない歪な傷痕が刻まれた。


刹那の処遇は揉めた。顔にこれだけの傷を負っては、花魁どころか、一端の遊女としてもやってはいけない。使えぬ遊女は捨てられるか、最下級の女郎屋に売り渡されるが常であるとはいえ、刹那の怪我は、一番の稼ぎ手である大夫を守って出来た怪我だ。事実、刹那が庇わなければ、彼女は刹那と同じか、それ以上に酷い傷…否、最悪の場合は死に至っていただろう。庇われた大夫の必死の口添えもあり、そんな刹那を、簡単に捨てられる訳がない。梨園屋の楼主は、非情になり切れなかった。ならば処遇は、どうするのか、女郎以外の仕事は。明け方まで続く審議の中、唐突に座敷の襖を開け放ち、刹那が叫んだ言葉が、彼女の人生を左右することとなる。


「わた…っ、俺は!!此処の用心棒をします!!」


短く、切り捨てられた銀髪。纏った男物の着物、抱えた日本刀。左目に巻かれた包帯。そこにいたのは、長い髪を結い上げて芸をこなしていた希代の遊女候補ではなく、どこから見ても男の子そのものの、悲痛な目をした少年だった。元々、力仕事は得意だった。雑用ばかりをこなしていた時代、重いものを運ぶのはいつも刹那だった。初めて握った日本刀を抜き放ったとき、冷たいそれが異様に肌に馴染むのを感じて、その時刹那は、性を捨てる覚悟を決めた。もう、性を捨て、憧れを捨て、生きていく。それが刹那に残された、唯一の道だった。鍛え始めれば元々の体質なのか、筋肉をつけるのも、剣術や武術を身につけるのも早かった。多分、舞や三味線以上に。だから多分、運命だったのだろう。
胸元にさらしを巻き、肌蹴た着流しを羽織って、日本刀を抱えて陽気に笑う客引き。梨園屋の傷痕の用心棒は、こうして生まれた。







「―――まぁ、そんな。面白くもねぇ、昔話、さ」


膝に寝転ぶスズの頭を撫で、刹那はそう、軽く笑って、昔話を締め括った。
淫靡な熱の篭った室内の空気に特に赤面するでもなく、落ちた着流しを肩に羽織って、腰に差していた喧嘩煙管を吹かしている。喧嘩煙管とはいっても、その造りは花魁煙管とよく似ており、昔付いていた姉女郎が身請けされて梨園屋を去る際、譲られたものを少々改良したのだと以前に聞いた。無論客引きもだが、主は無体を働く男共を蹴散らす仕事だ、武器は大いにこしたことはないだろう。如何にも遊び人といった風体で、煙管を吹かす刹那は確かに妙な色気があり、遊女の目を引き付けていたが、スズはそんな刹那に視線が惹かれると同時に、どこか苦手でもあった。芯から花街の気配を纏う様が、結局自分とは違う世界に住んでいることをむざむざと見せ付けられるようで、たとえ抱いて、彼女を一時女に戻そうとも、結局すり抜けていってしまうようで、胸中に言いようのない虚しさ、寂しさが降り積もる。話題を逸らすように問いかけた、どうして女なのに用心棒をしているのかという問いに律儀に答えてくれる刹那の横顔を下から見上げながら、スズは呆とその瞳を見つめる。青と紫の、色違いの瞳を。


君が好きだと、何度叫んだだろう。何度恋うて、手を伸ばしただろう。触れても抱きしめても抱いても、本当の意味で、彼女が手に入ることはなかった。偽りの睦言が飛び交う遊郭の一室で繋がれど、結局それは、常の絵空事のようで、スズは初めて泣き出したくなった。花魁の絶対条件は、美貌と床上手と客あしらいだという。すべて兼ね備えた刹那が、いとおしくて同時にほんの少しだけ憎たらしかった。誰かに水揚げはされた後だったのか、それは誰なのか、聞くのは無粋だという意識が言葉を絡めて胸元へ押し戻す。夜ばかりに動くせいか、日焼けを知らぬ真っ白の肌。その膝に頭をのせて、すべてを押し込み、情事後特有の倦怠感に身を任せる。今だけは、甘たるい夢に浸っていたかった。


けれど夢は夢、いずれ醒める、徒花の如く。
白み始める空が、別れの合図だ。


起き上がり、背中を向けるスズに、刹那がそっと着物を羽織らせる。こんな時に、不謹慎だなんてわかっている。でも、少しだけ、笑みが零れた。あの日、この傷を負った日に、自分の運命は変わった。今まで積み上げてきたものは泡沫に消え、憧れも夢も置き去りに、自分は今、灯篭の照らす夜道を歩いている。遊女の真似事が出来るのが、それが、好きな相手であるのが、場違いに嬉しかった。梨園屋への恩義は計り知れない。遊女になれない、借金も返せない、そんな自分を置いてくれて、冗談でなく恩人だ。放り出されれば、のたれ死んだ可能性の方が高い。自分が今生きていられるのは、梨園屋のおかげだ。だけどそんな恩義は、自分の思いにどうしたって蓋をしてくれない。

嗚呼、そう、そうだよ。認めるよ。自分は、彼が、スズが好きだ。
最初は、このご時世に粋な客もいるもんだ、なんて、聞きかじりの漠然とした好意だけだった。それが、一目で女だと見抜かれ、こんな傷ついた顔を綺麗だと言ってくれて、飽きもせずに自分に会いに来てくれて、蕩けそうな笑みを見せてくれる。馬鹿だな、惚れないわけがないだろう。

それでも、彼の気持ちに応えるわけにはいかなかった。だって、応えてどうなる。傷ついた顔で、借金背負って、遊女でもないのに身請けされて彼の家に転がり込む?そんな夢を見れるほど、自分は幼くも夢見がちでもなかった。せめてあの日の夢の通り、花魁になれたならよかった。そうしたら、そんな情けない夢だってみれたというのに。綺麗な顔で、綺麗な着物で、綺麗な装いで、愛しい旦那に身請けされて、なんて幸せ大団円。そうしたら、妾にくらいはなれたかな。


此処は花街、一夜の逢瀬。
朝日に掻き消える甘い夢を売る場所。
男の欲望と、女の駆け引きが飛び交う幻想の世界。


スズを受け入れた時、刹那は、快楽のせいにして、一度だけ泣いた。
初めてスズをきちんと男と認識して、その事実に、なぜだか泣きたくなった。どちらかといえば可愛らしいに近い容姿だというのに、この咽るみたいな色は何だろう。
所詮儚い身の上、明日には消える幻想。声帯を動かすだけで、呼気には出さぬ、縋るような愛の言葉は、他の遊女と同じ、薄っぺらい響きにしかならなくて、人知れず笑った。
―――すきだよ。こんな俺を、愛してくれてありがとう。
自分は弱くて、きっと多分、まだ夢を見ているんだ。彼がここから連れ出してくれるような、そんな愚かで淡い、馬鹿げた夢を。でも、夢見るくらい、許されたっていいだろう。この夜くらい、女でもいいだろう。
いとしい人の体温に抱かれてみる夢は、どこまでも幼くて小さくて馬鹿げていてくだらなくて、そうしてどこまでも渇望した夢だった。
だから夢を、夢のままで終わらせたくなかった。もう少しだけ、温い快感に浸っていたかった。


着物を羽織り、朝が明ける前に座敷を出るスズを見送るため、刹那もまた着物を整えてその背を追いかける。嗚呼、夜が明けてしまう。甘やかな夢は、終わりの合図。
またね、と、曖昧に笑うスズへと、刹那が無言で近づく。きょとんとするスズを横目に、刹那が思いきり、まるで飛びつくように、抱き着いた。
状況の理解が追い付かず、抱きしめ返すことも出来ないスズの着物の裾に隠していた煙管を潜り込ませ、そしてすぐ、ぱっと背を向けて梨園屋に戻っていってしまう。残されたスズは、手渡された煙管と刹那の背中を見比べて、ようやく意味を理解すれば、僅かに頬を朱に染めた。
それは、彼女なりの答えであり、事情はどうあれ、好意は返してくれた証だ。彼女があこがれた、遊女の手管で。


遊女は、気に入りの客には煙管を贈るという。
受け取れば、こちらも気に入ったという意思表示。




期待してもいいの、ねぇ、せっちゃん。
珍しく頬を染め、完全に赤面したスズが茫然と立ち尽くし、そして上がり掛ける太陽に慌てて大門へと駈け出した。
次は何を手土産に、彼女に会いに行こう。諦めるなんて選択肢は、とうの昔に溶け落ちていた。