我が子が順に夜美ちゃんを祝うだけ







その日はいつもと決して変わらない日だった。街を歩けば怯えられて、でも用事があるから、歩かないわけにはいかなくて、いい加減慣れた視線を浴びながら商店街を通り抜け、河川敷を歩いていたときのこと。穏やかな風が駆け抜け、髪を遊んでいく。揺らいだ草木が凪ぐ柔らかな空気の中、軽快な足音が聞こえて、平城夜美は閉じていた眸を開けた。正面から駆けてくる一つの人影、恐らく女だろう。茶髪に青い目をしたその少女が近付いて、それが知り合いであると夜美が認識したのと、少女が叫んだのは、恐らくほぼ同時だった。


「あー!!夜美ちゃん!!ちょうどいいわぁ、はい!あげる!ちょっと急いでるから、ごめんなさいね!!」
「え、は…?」


擦れ違い様、胸元に半ば押し付けるようにして、右手に持っていた袋を夜美に差し出す。そのままスピードすら落とさず、少女、桜木風葵は走り去ってしまった。条件反射で受け取った袋をまじまじと見詰める。あげると言われたからには、おそらくというか確実に自分宛てで、何故か知らないが貰ってもいいのだろう。何だろうと立ち止まって中身を確かめてみれば、この間からよくTVで話題になっている、高級店の生トリュフが入っていた。ますます訳がわからなくて、首を傾げる。擦れ違う人間が何してるだと言いたげな視線を向けていくのにも気付かず、しばらくチョコを眺めていれば、顔を上げたタイミングで、ちょうど前を歩いていた男と視線が絡み合った。何と無く、視線を外すタイミングを見失い、互いにそのままの状態が続く。しばし見詰め合っていれば。不意に正面の男が、あ、と、思い出したかのような声を上げた。


「…思い出した、そうか、お前か」
「……?だぁれ?」
「あー、そうか、なるほどな、けど今は何も……これでいいか」


ほら、やるよ。
そう言って、銀髪の男、シードラ=インフェルノが、夜美に小さなキャンディをいくつか差し出す。何故渡されるのかがまずわからないが、初対面の相手に子供扱いされたような気になり、少しだけ頬を膨らませる。夜美の意図に気付いたシードラが小さく笑気を落とし、「喫煙しろって押し付けられた。する気ねェから、テメェにやるよ」なんて言葉を漏らし、これまた強引に夜美に握らせる。それで満足したのか、よし、と呟いて、そのまま通り過ぎていく。増えた貰い物に、はて今日は何かあったかと首を傾げるも、答えるものは一人もいない。チョコと飴を抱え、再び歩き出した夜美だが、幾許かも歩かぬうちに、今度は背後から名前を呼ばれる。


「夜美ちゃん」
「……?」


振り返った先、そこにいたのは、夜美にとってあまり望ましくない男だった。うつくしいと称される容姿は、しかし人間単位で物事を見る夜美にとって大した意味をなさず、むしろ異様な、常人とは明らかに纏う空気の違う様に、本能的に嫌悪感を感じたからでもある。そんな夜美の内心を知ってか知らずか、緩やかに笑った男、冷泉恭真がゆっくりと互いの間の距離を詰める。無意識に眉を顰めた夜美の前に立てば、はい、と、軽快な声音に喜色乗せて、目の前に花を差し出した。


「あげる」
「……、」
「あれ、花は嫌いだった」


くすくすと軽やかな笑声が鼓膜を打つのを感じながら、夜美は本格的に現状に混乱しかけていた。今日、今日は、ええと、何の日だっけ?バレンタイン?違う今は初夏だ。バレンタインは冬だ。眼前の男と花という組み合わせは確かに違和感ないが、その花を差し出される先が自分だと思うだけで、途端に違和感どころじゃない気さえしてくる。鮮やかな、ピンクががった紫色。ジキリタスという花だ。夜美自身は知らないことであるが、その花は、六月六日という日の誕生花でもある。毒を含んだ艶やかな花だ。しかし同時に、特効薬としての顔も持っていた。
何とも言えない、そう、敢えて言葉にするなら、何してんだコイツ、と言ったような表情を浮かべる夜美にくすくす笑って、そうして先の二人と同じように多少強引に持たせ、じゃあね、と言ってそのまま恭真は去っていってしまう。
何だ、厄日か今日は。チョコに、飴に、毒花。一気に増えた荷物を抱えて、頭を整理しながら河川敷を抜け、そうして帰路を辿る。

既に陽は傾き、あたたかな陽光がオレンジの情景を作り出していた。影が長く伸び、犬の鳴き声と子供のはしゃぐ声、そして様々に混ざった夕飯の匂いが、どこからか風に乗ってやってくる。
…貰ったチョコ、たくさんあるから、帰ったら、一個、真也にあげよう。喜んでくれるかな、喜んでくれたら、嬉しいな。小さく呼気を落とした夜美が歩みを速めて、住宅街傍のコンビニを通りかかったとき、ちょうどコンビニの自動ドアが開く。中から出てきた三人組を見たとき、夜美は小さく目を見開き、そして三人のうちの一人が、同時に声を上げた。


「あ、夜美嬢!うわーうわーちょうどいい偶然!!ラッキー!今から夜美嬢ん家行くトコだったんだぜ!?」
「え、え、…私に何か、用?」
「用も何も、もう。んー、まぁいいか、ここで、うん……よし、せーのっ」


「「「誕生日、おめでとー!!」」」


「…え……」



パン!!と、派手なクラッカー音がして、夜美に向けてクラッカーが鳴らされる。コンビニで買ったばかりのクラッカーを、刹那、琥珀、そしてあみが引いて打ち鳴らした。はらはらと散る紙切れを浴びながら、きょとんとした夜美が三人を見詰めている。誕生日。嗚呼、そう、そうか。今日は、自分の、誕生日か。そう考えれば、さきほどの三人に貰ったあれこれも、説明がつく。どうやら自分は、気付かぬうちに祝われていたらしい。驚いた表情を隠せない夜美に琥珀が近寄って、そして大きめの箱を差し出す。


「あの、これ、三人で作ったんだ。形はちょっと悪いけど、味はけっこう美味しくできた、と、思う……えっと、平城さん、おめでとう!!」
「夜美嬢、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう、俺と出会ってくれてありがとう、俺と話してくれて…ありがとう。貴方に最大級の福音があらんことを!」
「…えーっと…おめでとう、ございます。あの、ほとんど初対面でこれってどうかと思いましたけど、せっかくですから、祝わせてください」


ちなみに三人とは言っても、料理の腕が壊滅的なあみはほとんど何もやっていないが、そこは琥珀の優しさだ。満面の笑みで差し出されたケーキの箱を呆然と見て、そうして慌てて受け取る。ありがとうと言いたいのに、言葉が喉奥で絡まって、息が詰まる。自分は、今、生きていることを、祝福されている。それだけが何故か、胸に詰まった。そんな夜美に、柔らかく笑った刹那が、続いてまた、何かを差し出す。


「……青、い、薔薇?」
「これは、素直じゃない紫苑から、夜美嬢へ。誕生日なんだってー、って漏らしたら、渡しといて、だってさ。」


青薔薇。奇跡。神の祝福。
満開に咲き誇る一歩手前の一輪のその薔薇は、上品にラッピングされ、刹那から夜美へと手渡される。親子揃って花を贈る辺り、似てるよな、なんて刹那と琥珀が笑った。
たくさんの贈り物に囲まれた夜美が、ようやく実感を得たのか、ふにゃりと表情を崩す。街頭に照らされて、よく映える真っ白な肌を仄かに紅潮させ、柔らかな唇を開いた。



「…あり、がとう…っ!」





緩やかに笑う君よ。
その未来に幸あれ。