若干やらしい
暴力表現あり、暗い
紫苑と恭真が似ているという話






それは多分、どこか硬質な触れ合いだったのだと思う。ソファへと深く腰掛けた風葵の、揃えた両脚を跨ぐように弾力あるソファへと膝を付き、紫苑は風葵の、赤いマニキュアで彩られた指先を口に咥えた。何を言うべきか、多分二人は同じ意味合いでそれを計り兼ねている。舌先で爪を弾き、人差し指へとゆっくりと舌を這わせ、指の間を音を立てて舐める。わざとらしく艶を含んだその動作は、普段とあまり変わらぬ無表情でありながらも、普段と異なる雰囲気へと仕立てあげていた。ゆら、と、深いアメジストの瞳が、不安定に揺らぐ。


「…泣いてる」
「泣いてないよ」
「うそ、」
「しつこい」


泣いてる、と、風葵は対して表情も変えずに、あまり抑揚のない声音でそう言った。僅かに指先に食い込んだ歯牙にも何も言わず、ただ、紫苑の好きにさせる。紫苑は、稀にこうなる。いや、正確には、歳を重ねるにつれて、こうなっていった。思春期によくある、突然の発情とか、そういうものではない。紫苑自身が何か性的衝動を抱え込んだというわけでもないのに、その瞳はゆらゆらと得も言われぬ艶に揺らぎ、普段の冷たげな空気と違い、この時ばかりはどろと蕩けたワインのような、絡みつくような毒気を孕むのだ。そして、性衝動の代わりに、嗜虐と加虐、舌なめずりで獲物を甚振るような、そんな物騒な欲を抱え込む。そうなったとき、紫苑は極力他人と会いたがらない。

最初の犠牲者はあみだった。いつものようにあみと紫苑はくだらないことから、いつものように言い争いをして、いつものように物理的な喧嘩になった。喧嘩とはいえ、それは本気のものではなく、やはり互いにどこか、内面で力を抜いた見せかけだけの芯のない遣り合いだが、その日だけは違った。どれほど手を抜いても結局精神面で紫苑に勝てないあみがいつも負ける。負けたあみを踏み付けるか放置して書類を投げつけるか、基本的に勝った後の紫苑の行動はこの二つに分類されているが、その日、紫苑は気付けばあみの首元を靴で踏み付け、彼女の呼吸を妨げていた。ひゅーひゅーと逃れる浅い呼吸音。意識が戻った時、紫苑は、喧嘩現場であった廊下に取り付けられていた鏡に視線を動かし、そうして、愕然とした。


鏡の中で、自分を見つめる、その男は。
絶対者の異名を継ぐあの人に、自分の父親に、嫌というほどそっくりだった。


年々、自分が、父親に似てきていることは知っていた、気付いていた。伸びた髪、徐々に幼さを失っていく顔だち、薄ら開いた唇の赤み、そして、依然より、深みを増したアメジスト。並べばさすがに違いは解る、それでも、別々に歩けばかなりの確率で間違われるのは経験済みだ。何年経っても父親の容姿は衰えない、芸術品とまで称された、あの男の美貌は。変わらぬ父の容貌、どんどん成長する自分。元々似た顔だちだったのだ、このままいけば、いずれ彼に並ぶようになるだろうことは、明白な事実だった。


踏み付けたあみを見下ろし、するり、喉から滑り落ちた言葉は、今でも鮮明に覚えている。



「僕はあの人のようにはならない。―――――なんて。そうとは限らないのに、ね?」



あの人によく似た口調、あの人に酷似した表情、幼いあの人のような容貌。
いつか自分は彼に為り替わるのだろうか。彼の位の絶対者の名を継ぐように、彼という存在も受け継ぐのだろうか。そう考えると、酷く恐ろしいような心地がしたのだ。
どうにもならない葛藤の中、何もかも他者に決められた生活の中、唯一自分で選び、自分で愛した女の肌は、紫苑のその狂おしいまでの激情を宥める緩和剤となった。白く柔い肌に噛みつき、舌を這わせ、何も考えないその瞬間だけが錯乱しそうな感情を諌めてくれる。

けれど。それこそ、あの人に、冷泉恭真に近づいている証だと、それに気づいた瞬間、彼の中の何かが音を立てて軋んだ。嗚呼、そうだ、同じじゃないか。女の身体で憂さを晴らす、あの人と。愛した愛してないの差など、そんなものはどうでもよかった、大切なのは行為の有無だった。
だから紫苑は、この衝動のとき、ただ風葵の指に、手に、足に、噛みついて、舐めて、そうするだけで、決してその先の行為をしない。元々性衝動に襲われる類のものではないし、ただ、肌に触れているだけで、それでよかった。それでいいと、自分を抑え込んだ。





桜木風葵は知って居る。冷泉紫苑の葛藤を、境遇を、感情を、劣情を。だから自分の指に舌と歯牙を滑らす紫苑をただ、黙って見つめるのだ。
いつか耐えられなくなった紫苑が、罪悪感と劣等感と背徳感と、それから狂いそうな激情と、ほんの少しの愛情で、自分で張り巡らした鎖を超えて劣情に逃避する瞬間を、ずっとずっと待っている。