「断罪カヴァリエーレ」の続き
何かほのぼの。(恭真×)梨花+カインさん。






「……あの、」
「ん?何かな、口に合わなかった?」
「いや…そうじゃなくて…」


広い伯爵邸の中の、うつくしい庭園の一角。梨花は出された紅茶を飲みながら、目の前に並べられる色取り取りのお菓子を呆然と眺めていた。何の状況だ、これ。それが彼女の正しい本心である。なんせ、伯爵邸だ。一生縁がないはずのそこにお邪魔して、しかもお茶まで出してもらっている。物凄く紳士な伯爵に。
もう一度問いたい。何故。


「…こんな高そうな御菓子、私…」
「いいんだよ。折角なら、綺麗な御嬢さんに食べて貰った方が嬉しいだろう?」


そして、紳士なだけでなく、所々に殺し文句を混ぜてくる。一瞬びっくりしたが、どうもこれは素らしい。さすがイタリア人、挨拶代わりに口説き文句の国。そういえば同級生に出会う女をことごとく褒めちぎる銀髪がいたが、あれもイタリアの血筋だったか。しかし同じ素だとしても、眼前の彼の方が優美さと高貴さを感じさせるのは、育ちか血か、もしくは生きた年数の差か。そんなことを考えながら、とりあえず彼が目の前にとってくれたケーキを頬張る。季節のフルーツが添えられ、フルーツソースでセンスよく飾り付けられた小さなタルトだ。当たり前だが、とても美味しい。そこらのケーキ屋では比較にならない。急に、今まで泣いていた自分が意味も無く恥ずかしくなった。熱い目頭をぐっと押さえ、軽く鼻を啜る。その様子を見て、くすくすと笑うカインへと視線をやり、むっと表情をむくれさせる。


「……」
「…落ち着いたかい?」
「………、もう、泣いてませんから」


きょと、と、カインのルビーの瞳が見開かれた。拗ねた子供のような言い分に、今は森へと出かけていていないが、共に屋敷で暮らしている二人の子を思い出し、思わず薄い笑声が唇から漏れ出す。それをからかわれていると取った梨花が、殊更不貞腐れて目の前のケーキへと少々荒っぽくフォークを突き刺し、フルーツを口へと突っ込む。
もぐもぐと咀嚼しながら、未だ柔らかな表情でにこにこと梨花を見詰めている眼前の男へと、僅かに視線を動かす。…伯爵と聞いたが、イメージよりもずっと若い。部分的に伝え聞く人柄的に、てっきり壮年の老紳士をイメージしていた。若く家柄のよい貴族で、人徳ある者になど出会ったことがなかったからだ。
梨花は、自分の魅せ方が上手い。それは恐らく天性のもので、そうであるからこそ、たくさんの男を楽に魅了してきた。けれど、彼は。向かい合わせに座るこの伯爵は、今まで出会った誰とも違う。
抜きん出て記憶に残る…という意味では、梨花が現在想いを寄せている芸術品のような男が近いのかもしれないが、何故か脳髄に刻み付けられるようなインパクト以外の共通点は、精々黒髪くらいしか見つからなかった。

極稀に。彼は、憂いたような光を瞳に宿す。けぶる睫毛が繊細に揺れて、小さな呼気が唇から逃げるとき、梨花は言いようのない色を彼に感じていた。人柄よく、雰囲気も柔らかく、なのに、色を落とさない。嗚呼、なるほど。これが、品がよいということか。
口に入れていたフォークを引き抜けば、今度は背筋を伸ばして、出来るだけ優美に食べようと心がける。
有体に言えばいい男であるこの伯爵の前で、下品な食事を曝すことを、今更ながらに梨花のプライドが許さなかった。彼からしてみれば、まだ幼い子供である梨花のその気概に、カインが緩やかに瞳を細める。


「…うつくしい食べ方をするね」
「……どうも。作法も何も、知らないのだけれど…」
「パーティじゃないのだから、そんなことは気にしないで」


背伸びする、子供だ、彼女は。
けれど、そんな子供の彼女は、同時に、一人の男のために泣ける、女だ。
曖昧なバランスを保つその、少女から女性へと転化する中途の姿は、今にしかない瑞々しい色香に満ちている。随分前にその次期を過ぎてしまったカインにとって、その姿は、懐古するような、懐かしむような、そんな想いにさせてくれる。時折盛られる薬によって身体だけは幼くなることもあるが、あれはまだ少年のもので、この一瞬の刹那を駆け抜ける時期ではない。


「…御嬢さんに愛される男は、きっとしあわせなのだろうね」
「……、しあわせじゃないわ。だから、泣くのよ、あのひとが溜息を落とした数だけ泣いて、涙を拭ってくれた分だけ、笑うの」


不毛だからって止められるなら、それは愛じゃないわ。
そう零した梨花の表情は、間違いなく大人のそれだった。色恋を語りたがる年頃の子供には酷く不似合いな、寂寥と痛み孕んだ表情だ。
不意に、伸ばした右手で、そっと梨花の柔らかな髪を撫でる。首を傾げて見上げる大きな闇色の瞳の中に映り込む自分の影を見詰めて、小さく呼気を逃した。


「……また、ケーキを食べにくるといいよ、御嬢さん」


小さな目の前の少女は、近い未来に大人の女性へと変わるだろう。それこそ、蛹が蝶へと羽化するように、うつくしくなるのだろう。近い未来に、いのちの灯火掻き消えるだろう自分と違って、これからその背を伸ばし、生きるのだろう。
この、偶然のえにしで出会った少女が、しあわせであれば、いいと、そう思った。



「……うん、」

ふわ、と、歳相応に、あどけない微笑みを浮かべる。
すべらかに伸ばされた大きな手の平が、自分の髪を梳くに任せ、じっと彼の顔を見上げる。同年代と違い、成熟された男の人の顔立ちだった。
黒と白と、それから赤のコントラストが、どこか現実味を失わせる。
甘やかに零された吐息の行く先を何となしに眺め、小さく息を飲む。
綺麗な、人だ。品よくうつくしい、ひとだ。変わり目の、一瞬の瑞々しい艶と違い、完成された艶やかさを誇っている。

梨花は、男の色に酔うのが好きだった。
何も、必ずしも恋愛や遊びに限ったことではない。ただ、ふと擦れ違った男の、手が綺麗だった、シャツ越しの背中がよかった、鎖骨に目がいった、手首の骨ばった感じが色っぽかった、その程度の小さなことで、嗚呼、いいなと、思うのが好きだった。
そう思える自分も、梨花は好きだった。

自分の髪を撫でるカインを見て、嗚呼。
しばらくは、この人を見ていたいなぁ、と、ぼんやりとフォークを動かし、次のケーキへと突き刺すのだった。