銀行強盗の話
微妙な暴力表現有り





「ねぇ、先輩、これ突入しちゃ駄目なの」
「まだ待機命令だ」
「善良な一般市民様殺しかねない強盗犯とか、射殺でいいんじゃないの、俺なら外さない…上は無能なの」
「……五十嵐、此処は日本だ」


バリケードが築かれ、シャッターの降ろされた銀行の正面にて、五十嵐と那緒は拡声器片手に、ぼんやりと佇んでいた。慌ただしく指示の飛び交う周囲の喧騒などどこ吹く風で、呆れたように目の前の状況を見つめている。現在の状況、銀行強盗真っ只中。捜査第一課に配属されているわりには数々の凶悪事件に乱暴な手段でもってして解決に導いてきた那緒と五十嵐が、特殊犯罪捜査部隊が揃うまでの繋ぎとして、徹夜明けに叩き起こされてきてみれば、見事にバリケードが完成し、中で犯人が喚いているわけである。ちなみに五十嵐は、後にこの凶悪犯罪担当の部署に異動になるわけだが、この時はそんなことは露知らず、集合が遅いと先輩である那緒に不満を漏らしていた。

久瀬那緒と五十嵐叶といえば、現在警視庁で知らぬ者はいないと言われるほどの名コンビである。正確な漢字は、名なのか迷なのか非常に怪しいわけだが、名ならば名物、迷ならば迷惑の略であることは今述べておこう。

ちなみに、最初の評価自体はなかなかのものだった。
そもそも、那緒はそれなりの有名大学を卒業後、国家試験にストレートで合格し、警視庁入りした筋金入りのエリートであり、謂わばキャリア組である。素晴らしいまでの無口に加え、鉄壁の無表情もはやミスター無表情とまで周囲に言わせたその不愛想っぷりのせいか、聞き込み捜査だけはてんで役立たずだが、それ以外の捜査は同期の中でもダントツで、早々に刑事課入りをしている将来有望な刑事である。ちなみに、射撃の腕は刑事課トップクラスだ。

そして五十嵐は、那緒とは対照的に、高卒で警察となったノンキャリア組であるが、彼はとにかく、犯罪検挙率が凄まじい。一度見つけた犯罪者は、並外れた身体能力と頭脳でもってして、決して逃がさず確保に追い込む。少々荒っぽい、物騒な言動が目立つのが難点であるが、才能と素質は一級品と言っていいだろう。彼もまた、日を置かずして刑事課へと配属された。

正反対なのかよく似ているのか、判別しにくい二人は上司と部下、先輩と後輩という間柄で刑事課で出会い、那緒が五十嵐の指導を務めた縁から、妙な相性のよさを発揮し、今日まで刑事課公認のコンビ扱いされている。とても役に立つが、時折暴走して始末書が多い、名なのか迷なのかわからない良くも悪くも台風の目コンビ。手に負えない案件が勃発すれば、凶悪犯罪担当に送る前に、まずあいつらを呼び出せとまでの暗黙の了解まで出来た。そして、今日、その暗黙の了解通り、二人が徹夜明けに呼び出された。二人にしてみれば、とんだ災難である。


「…もうやだ、もう我慢出来ない」


中々突入しない鎮圧部隊に痺れを切らし、ついに五十嵐が拡声器を放り投げた。警察であることを示すパーカーを雑に羽織り、腰元に拳銃、そして実弾があることを確認して、先程頭に叩き込んだ地図を頼りに、恐らく最も侵入が容易であろう裏口へと向かう。始末書は俺か、と、小さく溜息をついた那緒もまた、拡声器を近くの隊員へと放り投げ、同じように彼の後を追いかける。誰か止めろよ、と鎮圧部隊の隊員が呟いた言葉は、「…誰が止められんの?」という別の隊員の呟きによって、呆気なく快晴の空へと吸い込まれていく。


昼でも強盗被害にあった銀行内は薄暗い。立て籠もったのは二階らしいとの事前情報を入れていたからか、階下にいるのは下っ端か見張りだろうとアタリをつけ、さほどの警戒もなしにのんびりと歩く。五十嵐にとって、そこらの雑魚は相手にすらならない。邪魔な障害物、倒れた椅子程度のものでしかない。邪魔だなあと思って蹴り飛ばす、もしくは見向きもしない、その程度だ。故に、今、階段の上で武装したたった一人の男なんてものは、五十嵐にとってはただの物体と大差なかったわけだ。



「ドーモ、刑事課でーす」


やる気のなさそうな五十嵐の声と共に、見張りの一人が、銃を持つ右手、続いて左手とを撃ち抜かれる。あまりの痛みに叫び声を上げそうになる男の咥内へと銃口をねじ込み、声出したらドタマぶち抜くぞと脅しをかける。容赦のないその手腕に、羽織った警察のパーカーさえ見えなかったのか、こくこくと頷いた男を回し蹴りで昏倒させ、階段下へと蹴り落とし、そのまま上階へと足を進める。次は三人、恐らく立て籠もりの本拠地であろう扉の前に、武装しうろうろと周囲を見回っている。さて、三人か、どう動くのか最も最短で片が付くだろう。もうどさくさに紛れて一人くらいやっちゃってもいいんじゃないのかな、なんて考えつつ、近づいてきた一人を撃ち抜こうと、相手の死角から拳銃を向ける。く、と、五十嵐の指先に、力が篭った。


「……」


けれど、その引き金を引く前に、男が倒れる。遅れて響いた銃声に、気付いた後の二人も、足を撃ち抜かれて地に伏していた。状況に気づいた中の男たちが上げる怒声にも構わず、淡々と拳銃を下ろしながら、正面からやってくる男に、五十嵐は思わず抜けた声を上げる。



「……先輩」
「……殺すと、始末書が増える」


一言、そう告げた言葉に、しかし先程まで考えていた思考を見抜かれたようで、そっと視線を逸らした。そこからの行動は、早い。五十嵐の強靭な脚から放たれる蹴りで扉を蹴り飛ばし、乱暴に開放すれば、そのまま駆けこんで、人質に向けられていた猟銃を狙い、正確に手元だけを撃ち抜く。「全員物陰に隠れなよ」と、五十嵐が放った言葉は、決して大きくはないが、この状況で、ホールに嫌にはっきりと響いていた。



「神妙にしろ犯罪者共、碌な強さもないくせに、俺の睡眠を邪魔した罪は重い」



中にいた銀行強盗、その主犯メンバーの数は、総勢五人。五人と、二人。確実に不利なこの状況は、しかし五十嵐に何のハンデも与えない。射撃のトップ那緒が共にいれば、尚更だ。かくして、人質と犯人に多大なるストレスを与え、鎮圧部隊に余計な心理的負担をかけ、作戦指揮の警視の残り少ない髪の気をごっそり抜け落とさせ、始末書を与えられつつも死者ゼロで解決に導かれたこの銀行強盗事件は、無事に終息を迎えることとなったのである。

こつりと、那緒と五十嵐の拳銃の底が、人知れず合わさった。