閑都前提、依鈴→閑








お前は俺をどうしたいの、なんて閑が無理矢理繕って笑った言葉を、依鈴はほとんど夢見心地で聞いていた。閑の声が自分の名を呼ぶだけで、身体の奥が熱く脈動する、閑の瞳が自分を見つめるだけで、頭の中が甘く痺れていく、冷泉閑という存在がそこにあるだけで、依鈴はもう何も解らなくなるほどに昂揚する。けれど、どうしたいの、と問われても、依鈴の中に明瞭な答えはなかった。ただ、触れた指先が甘く痺れるのを、黙って享受する。そのうちに、されるままだった閑が、そっと白い指先を伸ばす。


「…お前、僕が好きなの」


それとも、冷泉家の当主が好きなの。ねぇ、どっち?

大して感情のない瞳で、そう問いかける。依鈴の答えがどうであれ、きっと気にもならないのだろう。けれど、知っては置きたかった。自分にこれほど心酔している彼女が見ているのが、ただの閑なのか、冷泉閑なのか。ただの閑だというなら、こんな人間が好きだなんて趣味が悪いねぇ、とでも笑うだろうし、冷泉閑だというなら、君の見ている人間は虚像だそんな人間どこにもいないと嘲笑うだろう。


「閑様…好きです閑様…貴方の全てが…」
「……そう」


冷泉閑も、ただの閑も、全てが好きだと虚ろに呟く依鈴を見ながら、そういえば、誰かに愛されたいと思っていた頃もあったような気がするなぁ、なんて、ぼんやりと考えた。いつしかそんなふざけた戯言はなりを潜め、本心を隠し、抑え込み、そのうち本当の自分さえ見失った。自分は、どうしたかったのか、どうなりたかったのか、どうされたかったのか。もうそんなことは、憶えていない。けれど、都に対して、自分を見て欲しい、一番に想って欲しい、そんな欲を抱いたのだから、きっと、視界には入れて欲しかったのだろう。都にしたように、依鈴の髪に触れる。優しく梳いて、柔らかく撫でて、都と違って、抵抗の欠片も示さない依鈴の毒々しいまでに赤い唇に触れる。瞳を閉じて口付けれ場、瞼の裏に、悲痛に歪んだ愛しい女の姿が鮮明に浮かび上がった。

都、都、ねぇ、どうして僕を置いていったの。
そんなに俺が嫌いだった?俺から離れたかった?酷い子だねぇ、僕はただ、ずっと君といられたら、それでよかったのに、それだけが僕の望みだったのに。
別にねぇ、よかったんだよ、触れるたびに怯えられても、必死に拒まれても、別によかったんだ、だって無力な君はどれだけ暴れても僕から逃れられない、どこにも行けない。
結局男女の力の差に叶わず、押し倒されて悲鳴を上げるその顔が、とても好きだった。
嗚呼、今、都の中には僕がいる、私しかいない、それがどれだけの快感を俺に与えたか、君は知らないんだろうねぇ。
愛してた、あんなに、愛してた、のに。





「……都、」
「っ、嫌、嫌です、やめて、止めて下さい…!」
「都、好きだよ、ずっとここにいて」
「嫌ぁ…!離して、離し、て…誰か、誰か助けてぇ…!!」

暴れる彼女を力任せに抱きしめて、無理矢理にシーツへと押し付ける。何とかして逃れようと抵抗する細い腕を掴んで拘束してやれば、涙に濡れた瞳が恐怖とも怯えにともつかない絶望染みた色合いを宿して僕を見つめる。嗚呼、その顔が、凄く、好き。俺だけを見るその瞳が、愛おしくて堪らない。ほんの少し手加減を止めて、強く抱きすくめてやるだけで、彼女は身動きもとれなくなる。それがまた征服欲を煽って、もうどうしようもない。震える細い肩に顔を埋めれば、彼女特有の、柔らかな匂いが肺を満たした。ぎゅうっと抱きしめて、ただ名前を呼び続ける。ねぇ、お願い、ここにいて、どこにも行かないで、ずっと、俺の傍にいて。


「……都?」


強く、強く、抱きしめた瞬間に、腕の中の都が消える。一瞬で、身体の芯が冷えた。どうして、嗚呼、嗚呼、どうして!!逃げ出さないように、無くさないように、どこにもいかないように、あれだけ強く抱きしめていたのに、潰れるほどきつく抱きしめていたのに、どうしていなくなってしまったの!!


「本当は解ってるんだろう?自分が都を潰したって。強く強く抱きしめすぎて、彼女を潰してしまったんだって」


耳元で聞こえる声に、反射的に腕を振り払う。流れるように腕を裂けたその男は、嫌になるほど、私と同じ顔をして、同じ声で語り掛けて、同じ調子で笑っていた。くすくす、くすくすと、耳障りな笑い声が脳髄に響く。手元に戻ってきた重みに、視線を下に戻せば、そこにあったのは血と肉塊だけで、気持ち悪いその光景に思わず喉の奥がひゅっと鳴る。


「結局、お前が手に入れたのは、無様なプライドと、汚らしい地位と、踏み分けた肉塊だけだったねぇ」


ねぇ、冷泉家当主様。
愛した女を殺した気分はどうだい?















「っ…!!!」


眼を開いた時、自分がどこにいるのか、すぐには認識出来なかった。反射的に跳ね上げた身体に入った力をそろりと抜くも、呼吸は完全に荒れていて、頬を冷や汗が流れ落ちる。嗚呼、嫌だ、またあの夢だ。気持ち悪くて、心底薄気味悪くて、吐き気がする。そっと視線を巡らせても、傍で眠っているのは、愛した都ではない。彼女はもう、この世にいない。それでも、その温もりに縋るしか、この冷えた精神は、常の温度を取り戻せそうになかった。再び身体を横たえ、死んだように眠る依鈴の傍へと、肌を寄せる。そろそろ夜明けの時間か、僅かに入り込む朝日に照らされて、障子の作り出す影は、まるでどこかの檻の鉄格子のようだった。あの檻は都を捕まえていてくれなかったくせ、自分は死ぬまで此処に閉じ込められた儘なんだろうな、なんて、自嘲染みた笑気が唇から漏れ出した。

願わくば、胸糞悪い夢でもいいから、自分の顔をした悪魔に何度嘲弄されてもいいから、何度でも彼女に会えますように。瞼を閉じれば浮かび上がる彼女の姿に、そういえば、結局あの子は一度も、僕に笑ってはくれなかったなぁ、なんて、くだらない事実にまた、抑え切れない笑気が零れた。