「駒鳥駒鳥、翼を忘れてどこへ行く」続編
相変わらずの泥沼三角関係
カインさんとリヴァンさんの決別(主犯:閑)
リヴァンさん妊娠ネタ
暗い、鬱展開、ヤンデレ、嘔吐表現注意








自分の身体に違和感を覚えたのは、もういつからだろうか。最初はただの吐き気で、それもこれも、全てこのぶっ壊れた男に監禁されているという現状のせいなのだと思っていた。いくら剣の腕はこの男より上だろうと自負しても、剣を奪われ腕を拘束され、ベッドから降りることすら叶わないという状態では、単純な男女の力の差に勝てるわけがない。嗚呼、嗚呼、本当に、忌々しい。自分が「女」であると嫌でも自覚させるドレスも、あの男の「男」の手のひらも、何もかもが、嫌で嫌でたまらなくて、苦しくて、それでも自力で何も出来ないことが、さらにリヴァンを追い立てた。シーツの上で蹲り、ただただ過ぎ去る時間の中で、日に日に絶望が重たくなる。陰鬱が胸に巣食って、何とかして逃げ出そうという気力を食いつぶしていく。下腹部が、徐々に膨らんでいっていることに、気付いたのは、いつだっただろう。自分の腹の中に、憎い男の精を受けたいのちが宿っている。宿ったいのちは、確実に自分の腹の中で栄養を吸い上げて一人の人間へと成長していく。その事実だけで、リヴァンを追いつめるには十分過ぎた。


「っ、うえ…かはっ……!」


気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!自分の中で蠢くいのちがおぞましい!!
胃の中のものを残らず吐き出してもなお、まだ足りない。吐きつくしてもなお、この気持ちの悪さを拭うことはない。助けて、と、そんな脆弱なことまで脳裏に浮かぶほどに、自分が妊娠してしまったという事実が、茨のように絡みついて正気を失わせていく。嗚呼、主様主様主様主様主様主様。


「あーあ、汚れちゃったら、もう主のところに行けないねぇ」
「男?女?どっちかなー」
「ほらほら、安静にしていないと駄目だよ」


にこにこと笑ってあの男が吐き出す毒のような言葉が、耳から離れない。どろどろに溶けて粘着く気持ちの悪い瞳が、声音が、緩やかに弧を描く唇が、世間一般から見れば整っているはずの全てが、見るだけで吐き気さえ催させる。いっそのこと、子供など流れてしまえばいい、産みたくなんかない。そんな衝動のままに何度も己の身体を傷つけたけれど、結果として何も変わってなどいない。拘束する枷はより強固になり、変わらずに、腹の下では小さな命が脈動している。今や、リヴァンの心の拠り所は、記憶の中のカインだけであると言っても過言ではない。大切な人、大事な主、この人のためなら何でも出来ると思ったただ一人の人。うわごとのように彼を呼び、ごめんなさいとひたすらに繰り返す。ただその様を眺めていた閑が、暗闇の中で小さく口角を上げたことを、リヴァンは知らない。朝も昼も夜も、時間の経過に意味などないようなその部屋の中で、リヴァンの髪を指先で弄りながら、閑がふと思い出したように呟く。



「嗚呼、そうだ…ねぇ、ふふ、リヴァン、君のだぁいじな主様に、会わせてあげようか」
「っ…!?…主…様、に…?」
「そう、ただし条件があるよ、君は彼の前で、なぁんにも喋っちゃ駄目、声を誰にも聞かせたくないからねぇ。ま、別れの言葉を言うっていうなら、別だけど」


ふふふ、くすくす。心底愉快気に、ベッドに腰掛け、足を組んで、閑が嗤う。指先が弄ぶ金髪が、彼の黒髪と白い肌に対比して、いっそうきらきらと輝いていた。さらさらとした指通りは絹のように心地よく、無意識に触れる仕草を止められない。口元へと持ち上げて、見せ付けるように口づけてみれば、嫌そうにリヴァンが頭を振り、指先から髪を落としてしまう。あれ、逃げちゃった、なんて、大して気にしていないように笑うも、その瞳は確かに冷たく細められる。嗚呼、むかつくなぁ。主の存在には、すぐに反応するのか、なんて。嫉妬と呼ぶには生温い、暴力的な感情が閑の胸中を静かに満たす。それでも、彼の表情に、それらが僅かも滲み出ることはなく、表面上にはただ笑みを湛えたままに、言葉を紡ぐ。毒々しい感情ばかりが舌先に溢れ出て、嗚呼、理性があるのかないのか、もう自分では判別できないくらいだ。激情のままに動くのに、自分の様をどこか客観的に見下ろして、自分さえも策に絡めて、策略を張り巡らせて、ずぶずぶと底のない沼に沈んでいく。



「そういえば、彼、カイン・ヴィンチェンツォ、だっけ?彼ってさぁ、とても感情を隠すのが上手そうだよねぇ。汚れた君に会ったらどうするかな、表面上はにこやかに笑っていても、内心では…ふふ、」



さぁ、疑心の種は植え終えた。
ずっとずっと、彼女のこころを保たせ続け、そうして同時に、ずっとずっと苛んできた存在を、知っているよ。カイン・ヴィンチェンツォ、お前だ。ねぇリヴァン、君は彼をこころのよりどころにしていたくせに、彼を思い出すたびに怯えていたね、彼に拒絶されて、否定されて、侮蔑されるのが怖いんでしょう。それだけを、世界で唯一、恐れていたんでしょう。イラつくなぁ、むかつくなぁ、気に入らないなぁ、どうして僕を一番に恐れてくれないのかなぁ。好いてくれないんでしょう、知っていたよ、僕が、俺が、私が、嫌いなんでしょう、知っているよ、知っている、それでいいから。だからさぁ、ねぇ、だったらせめて、一番に嫌って、憎んで、怯えてくれたっていいでしょう。他の感情に負ける愛なんていらない、愛だろうが憎悪だろうが構わないから、ただ一番に想ってくれればそれでいい。そう思う感情は、何も間違ってないでしょう?嗚呼、見つけた、彼女が慕った伯爵様。



「君が、カイン・ヴィンチェンツォ伯爵?」
「…そうだけれど、そちらは、どなたかな?」



さぁ、予定調和の悲劇を始めよう。もしくは、素敵な喜劇を始めよう。
別に君には何にもしないから、どうか最後に、あの子を絶望に落としてね。僕自身の手で、突き落としてやれないのが口惜しいのだけれど、そうも言ってられないでしょう。下手したら、せっかく出来た子供を、流してしまいそうな勢いなんだもの、早くずたぼろにしてやらないと。嘘をつくのに躊躇う素振りすら見せないこの酷薄な口は、内心でこんなにも笑ってるのにそれを見事に隠して、気持ちいいほどの嘘を吐く。




「はじめまして…私は冷泉閑、冷泉家の当主…まぁ、そちらの貴族のような家柄だと思ってくれていいよ。突然で悪いのだけれど、君、リヴァンという子を知っているかい?」
「っ…!」
「嗚呼、よかった、君がリヴァンの主だね。…君に話があるんだ、伯爵、単刀直入に言うよ。……僕はリヴァンと婚姻している」
「…こん、いん?え?どうして、リヴァンは突然、何も言わずに…」
「……ごめんね。彼女は、君をとても慕っていた…異国の人間と共に生きたいだなんて言って、君に蔑まれるのが何よりも怖くて、結果、逃げるような形になってしまった。……僕らは、近いうちに、日本に帰るよ。その時はリヴァンも連れていくつもりだ。だから、これは僕の我儘だ。もし君が、リヴァンのことを蔑まずにいてくれるのなら、最後にさよならだけ言ってあげて欲しい…それだけでいいから、どうか頼まれてくれないか」



嘘嘘嘘嘘嘘、大嘘吐きもいいとこだ。こんなに嘘ばかりを吐いて騙しているというのに、罪悪感なんて微塵も浮かばない。浮かんでくるのは笑気だけ。演技力には、多少の自信がある。この容姿のせいか、この地位のせいか、はたまたこの性格のせいか、どうも幼い頃から他者を惑わせて操り、自分に惹かれる人間を、片っ端から狂わせて、破滅させる過程を愉しむ悪癖があったのだ、騙し騙されは日常茶飯事のこと、優しい笑顔の裏側で、どうやって出し抜こうかとそればかり。まぁ、彼はだいぶ、手強そうだけれどね。



「……リアは」
「…ん?」
「リヴァンは、今しあわせかな。彼女はいつも凛々しい騎士だったから…どうにも、誰かと婚姻だなんて、想像がつかないのだけれど…」
「…嗚呼、ふふ、そうだね。しあわせ…であってくれたら、嬉しいな。彼女はよくドレスを着ているよ…騎士服ではお腹の子に悪いからと、俺がお願いしたからというのも大きいんだろうけどねぇ」
「…子供?」
「嗚呼、そうだよ、言い忘れていたね。今彼女は懐妊しているよ、容体は落ち着いている…そうだね、だからというのも大きいかな。懐妊の影響からか、今少し精神不安定で…うん、今の自分を君に否定されることに、とても怯えている。それがどうにも見ていられなくて…こんなところまで、護衛を振り切ってきてしまった。それで、どうかな、伯爵。私の頼みは、受け入れて貰えるのかな」
「…そう、だね。まだ気持ちが落ち着かないから、此処を立つ前に、会わせて欲しいな…きちんとさよならも言えずに、永遠に会えなくなってしまうのは、やはり辛いものだからね。」
「……ありがとう、伯爵。」



あははははははははははは!!!!!
ありがとう、ありがとう伯爵!君はとても優しくて、とてもとてもいい人だねぇ!!嗚呼、嗚呼、本当に。好都合。
好きだったんでしょう?あのこが、リヴァンが君も、好きだったんでしょう。気持ちは未発達かもしれない、もしくは無自覚かもしれない、はたまた従者に向ける親愛だったかもしれない、大穴でちゃんと恋愛感情だったのかもしれない。それなのに、相手を思いやるから、好き故にしあわせなんか祈るから!!身を引こうとなんかするから!!だから俺なんか奪われるんだよ、伯爵様!!



「おいで、リヴァン、君の愛しい主様との再会だ。解ってるよねぇ?口をきいては駄目だよ、君が何か余計なことを言えば、彼を殺すようにと、幾人に命じてある…君は、大切な主を危険に晒すようなこと、ふふ、出来ないでしょう?」



さようならを、言うといいよ。考える時間なんか与えない、伯爵が予想外に頭が切れたら、真実が見抜かれてしまう可能性がある。彼は、どう控えめに見ても、愚鈍には見えない。彼を混乱させて、落ち着く暇を与えてはいけない。後で気付かれたって構わないんだ、その頃には足取りを消してしまえばいい。突然の婚姻宣言なんて怪しいだろうけど、本人に会わせると言っているのだから、ひとまずの疑いは避けられる。何かがあるのなら、そこで彼女が何かを言うと、普通は思うだろう。彼女が怯えているのは、自分に拒否されることを恐れているせい、それは、普段の彼女の態度から、何らおかしくない理由付け。声を出さないでねと言ったのは、ボロを出させないためで、声を聞かせたくないなんてカモフラージュの理由付け。でも、普段の僕の言動から、そう言うのは、何らおかしくないでしょう?自分さえ策に利用して、幾重にも絡んだ策略を絡める。…さて。これが失敗したら、どうしようねぇ。考えうる全ての道筋を潰しておかないと、武力行使でこられたら、私は負けてしまうだろうし。今のところ、そんな心配はなさそうだけれど。


そっと、リヴァンの方へと、視線を移す。彼女はただ、ようやく会えた彼を前に、何とも形容しがたい、ごちゃ混ぜになった感情をない交ぜにした表情をして、眩しいものを見る様に、唇を僅かに開けて、彼の赤い瞳を見つめていた。嗚呼、ようやく会えた、ずっとずっと想っていた、大切な主。ずっとずっと、彼の存在だけが、あの時間の中での救いだった。けれど、何も、喋れない。自分は、一言も、彼に告げられない、それこそ、別れの言葉でもなければ。大切な主を危険に晒すような真似、自分が助かりたいからという身勝手な理由で、出来るわけがない。着せられた柔い手触りのドレスのフリルをぎゅっと握りしめ、俯くように視線を逸らす。項垂れたような、そんなリヴァンへ向けて、ようやく言葉が固まったのか、カインがそっと、口を開く。



「…リヴァン」
「っ……、」
「……リヴァン、リア、元気で」
「え…?」


カインの口から零れたのは、結局、迷いに迷って、一番伝えたい言葉だけだった。彼女は身籠り中なのだという、そして、そのせいで精神不安定だというのなら、余計な言葉を言うのは得策ではないだろう。彼女が選んだのだ、今更、自分の存在は、枷にしかならない。もう、解放してあげよう、自分の存在から。怯えないで、いとおしんだ人、大切だった人、軽蔑したりしないから、大丈夫だから、きちんと笑って見送るくらい、かっこつけて送り出してあげるから、だからどうか。


「もう私の護衛とか、騎士だとか、考えなくていいよ。…君は君の道を、行けばいい。…さようなら、リア、どうかどこにいても、息災で」
「あ……」


どうか、元気で。
一番、伝えたいこと。どうか、遠い異国の地でも、元気で。私が見惚れた、凛とした姿のままで。
最後の最後に、自分の記憶を残してくれるなら、かっこ悪い様は見せたくなかった。大人げないなんて思われたくなくて、最後くらい、恰好のいい姿で記憶に留めて欲しくて、カインは笑った。



ゆっくりと、閑が嗤う。




主様、主様、主様。
感情を抑えたような、そんな声音、表情、笑顔。あの男の言葉が脳内に蘇る。
「彼ってさぁ、とても感情を隠すのが上手そうだよねぇ。汚れた君に会ったらどうするかな、表面上はにこやかに笑っていても、内心では…ふふ、」
嗚呼、そんな、嘘だ、嫌だ。軽蔑されてしまった、もう要らないと言われてしまった、もう自分は、彼の騎士でいる資格はないのだと、捨てられてしまった!!汚れた自分は、もう、主の傍に仕える資格は無い!!




「……主、様…今まで…ありがとう、ござい、まし……た…」





嗚呼、素敵な悲劇。鴉が嗤った。