Happy Halloween !!
ホラー、グロ表現有り





暗い、暗い森だった。鬱蒼とした木々が覆い茂り、空にはぽっかりとした満月が浮いている。黄色ではない。赤だ。雲一つない夜空の中、ただ一つだけくっきりと浮かび上がっている赤い満月を見上げ、九条あみは大きく溜息をついた。まず、ここはどこだろう。自分がどうしてここに来たのか、正確な記憶がない。けれど、それをあみは不審に思わなかった。それでいいのだと納得していたし、ここが何があみは解っていた。知らないけれど解っていた。くすくす。鈴の音を転がしたような、というには、少々低いような、そんな少年染みた声が響く。


「来たよ」
「来たね」

「いらっしゃい」
「いらっしゃい」

「歓迎しないけど歓迎するぜ」
「歓迎しないけど歓迎するよ」

「ようこそ呪われた屋敷へ」
「ようこそ呪われた屋敷へ」


銀と黒が揺れる。白いシャツに、黒のベスト、黒のズボン、黒のマント、黒のシルクハット。全く同じ格好をして、全く同じ言葉を同時に発する二人に、あみは見覚えがあった。ぼんやりとした頭が、急に覚醒したような心地を引き起こす。ぱっと弾かれたように顔を上げれば、二人はまるで、双子のように揃った動作でくすくすと笑い、全く同じ動作で、右手と左手を、背後にそびえ立つ屋敷へと向ける。


「さぁ、いらっしゃい」
「さぁ、いらっしゃい」


重々しい音を立て、大きな扉が独りでに開いていく。真っ暗闇の屋敷の中、エントランスであろうフロアに、ぼうっと蝋燭の灯りが灯る。急に灯された明るい光に目を奪われ、二人から一瞬、目を離す。再度入口に視線を向けた時、もう二人はどこにもいなかった。ほう、ほう。不気味なフクロウの鳴き声だけが、暗闇の中に響く。あまりに静かな静寂は、けぶった蝋燭の揺れる音さえもあみの鼓膜に届かせ、知らず、唾液を呑み込む。


「……刹那、先輩…?」


入らなければ、この屋敷の中に、入らなければ。
この奥に行かなければいけないことも、あみは解る。知らないけれど解っている。どうして、どうして、どうして自分は解っているの。うふふ、くすくす。蝋燭の続く方へと、足を踏み出すあみの背中を、二人の笑い声だけが追いかけた。




「…絵画……」


蝋燭の灯りだけで照らされた廊下は、先が見えないほどに長く続いている。ぼんやりと浮かび上がる絵画は、かなり年季の入ったものなのだろう。芸術になど詳しくもない素人目から見ても、かなりの価値があるように見えた。風など吹いていないのに、時折炎は不自然にざわめく。ゆらゆらと、そのたびにあみの影が揺らいでいた。不思議と恐怖感は、湧いてこない。あれだけ、ホラーや心霊といったものが苦手だったというのに、今だけは、その感情だけをどこかに置き去りにしてきたかのように、何の恐れも無く先へと進めるのだ。平常時の精神であったなら、大の心霊嫌いのあみは、そもそも屋敷の入口の位置から怯え、かといってあの不気味な森に引き返すことも出来ず、ずっとそこで蹲ってしまったに違いない。ゆっくり、ゆっくり、歩を進めるあみの鼓膜を、小さな物音が揺らす。それは足音のようだった。何だろう。そう思って、ふと足を止めたあみの背後。うふふ、と、誰かが笑う。


「お姉さん、何をしているの」
「え…?」
「うふふ、くすくす、嗚呼そっか、来ちゃったんだ」


その少年を見た途端、あみの脳裏にある男の顔が浮かび上がる。彼女が普段、大魔王と呼んで毛嫌いしているあの不自然なまでにうつくしい、冷泉恭真。少年は、恭真に面立ちがよく似ていた。彼を二桁に入ったばかりの年齢にまで幼くさせ、髪を伸ばせば、少なくとも兄弟には間違えられるだろうくらいに、よく顔の作りが似通っている。少年はにっこりと笑い、あみの手を握ってまた、年相応に笑う。先ほど出会った、刹那や紫苑のように、彼もまた、礼装にマントを羽織っている。おいでお姉さん、こっちだよ、と、廊下の奥へと進みながら、くすくす、くすくす、また、至極愉し気に笑う。


「可哀想にね、お姉さん。此処は来ちゃいけないよ、此処は歪んだ場所、此処は呪われた場所」
「お姉さん、気を付けて」
「気に入られちゃったら、帰れないよ」


さぁ、着いた。お姉さん、行ってらっしゃい。
一際大きな扉の前で立ち止まった少年が、ふわりと笑う。するりと解けた手のひらは、そこに視線を落としても、もうどこにも、誰もいない。ただ、蝋燭だけが、ゆうらりと凪いでいた。きっと、あみが動かずとも、この扉は開くのだろう。知らないけれど、あみは解っていた。一歩、わざと足音を立てるようにして、あみは扉へと近づく。軋んだ扉は、入口と同じように重々しい音を立て、あみを呑み込むように、中へと誘う。おいで。誰ともなしに、そう言われたような気がして、あみはそっと、独りでに開いた扉の中へ、足を踏み入れる。




「やぁ、いらっしゃい」


晩餐会の会場みたいだ。それが、最初に室内を見た時の、あみの感想である。暗い室内で、細長い机が重厚なしつらえで真ん中に置かれ、入口から一番遠い正面に、一人。向こうから向かい合うようにして、一人、二人、三人、四人。合計五人が、思い思いに絢爛な椅子に腰かけ、お茶らしきものを飲んでいる。長机の中心には、大き目のキャンドルが置かれている。五人の顔が見えるところまで、そっと歩み寄って。そうして、あみは小さく息を飲んだ。


「ようこそ、招かれた招かれざる客人。椅子はたくさん空いているから、好きな場所に座るといいよ」


一番奥、恐らく一番身分が上である人間が座るのだろう正面の席で、ティーカップを傾ける人間に見覚えはない。けれど、知っている、あみは知っている、あの、人間離れしたような、人間の定義さえ飛び越えた、あの美貌。滑らかな陶器のような肌、毒々しいまでに赤く色づいた唇、長く伸びた睫毛、整った鼻に、するりと伸びたしなやかな髪。成熟した身体は、ただそこにいるだけなのに、何とも言えない妖しげな色香を纏わせていて、彼の微笑み一つ、呼吸一つで陥落しそうになる。嗚呼、そうだ、これは。あの男、あみが大嫌いな、あの、冷泉恭真の纏う空気だ。正面の男を見ていられなくなって、ふっと視線を落とした先、あみは思わず、咄嗟に零れ落ちそうになった悲鳴を、どうにか噛み殺す。嗚呼、なんだこれ、何がどうなっているんだ。真ん中で向かい合わせに座っている男女、彼ら二人に見覚えはない。ただ、やっぱり恐ろしい、寒気がするような容貌と色香を漂わせていて、そして、同じ紫色の瞳を持っているから、何らかの関係者なのだろう。それはいい、問題はその次だ。なんで、どうして、ここに冷泉恭真がいるのだろう。先輩がいるのだろう。一番あみに近い位置で、のんびりと紅茶を啜る二人は、あみが見慣れた二人だ。冷泉恭真と、冷泉紫苑。あみの知る二人は、常に何かの上に立っている人間であったから、一番入口側、下座に座っていることに僅かの違和感も感じる。しかし、今はそんなことは、どうでもいい。最初に感じていた、眠気のようなぼんやりとした感覚の無くなった今、どうして彼らが、いや、二人だけではない。今はいないが、確か最初は、刹那もいたはずだ。どうして、あみのよく知る三人が、こんな、どことも知れぬ屋敷の中に、当たり前のようにいるのだろう。


「ほら、どうしたの?早くしないと、紅茶が冷めてしまうよ」
「父様、ケーキも出さないと」
「嗚呼、そうだったねぇ、うっかりしていたよ」


ほぅら、お食べ。
正面の男と、近くにいた女が、二、三言交わし、そうして指を鳴らすと、恭真と紫苑が座り席より二つほど席を開けた場所、いつの間にか出現していた紅茶の横に、皿に乗せられた赤いクランベリーソースらしきケーキが出現する。嗚呼、もう、何なんだこれは。頭が情報処理に追いつかない、くすくす、あはは。暗い部屋の中、蝋燭の光が揺らめいて、五人の愉し気で、そして不気味な笑い声がこだまする。転がった苺にナイフが突き立てられ、クランベリーにフォークが突き刺さる。カップが転げて、紅茶が零れ、テーブルクロスを伝って、床へと水溜りを作る。あははははは。ふふふふ。駄目だ、と、本能のように、あみは思った。途端、愉し気に談笑していた五人が、不意にあみへと視線を流す。五対の紫に見つめられ、言いようのない恐怖心が、あみの動きを縛る。駄目だ、駄目、これは駄目だ!この人たちは、彼らは、駄目だ。だって、彼は、彼らは。


生きてない。







「あはは、ばれちゃった」


ぐちゃり。


正面の男が笑ったかと思えば、その身体が、ぐちゃりと潰れる。心臓部が無残にへこみ、ぐちゅりと肉塊と血飛沫が溢れ出す。口端から垂れた赤黒い血が、紅茶の中へとぼたぼた落ちる。左手は白骨化し、そこも同様に、血の色に染まっていた。ひ、と、引き攣った悲鳴が、あみの口から洩れる。同じように、半分だけ腐り落ち、骨の見える状態となった、真ん中の二人が、愉しかったのに、と不満気に紅茶を啜る。いや、違う、これは紅茶じゃなくて、どす黒い血だ。ケーキだと思っていたものは、頭蓋骨の上に肉塊と血をかけたもの。あまりのおぞましさに吐き気がする。思わず足をもつれさせ、後退る。そんなあみに構わず、くすくすと笑った恭真が指を鳴らせば、五つのグラスが現れる。当たり前のように赤黒い何かで満たされたその中の一つを手に取り、上へと掲げる。


「ハッピーハローウィーン、おかえり先代」
「ハッピーハローウィーン、ただいま今代」


乾杯。さぁさぁ、お茶会の時間だ。
ぼうっと、今まで薄暗かった室内が、一気に周囲に灯った蝋燭のせいで眩く照らされ、暗闇に目が慣れていたあみは、思わず手のひらで視界を遮る。少しすれば、それは、眩しいというほどの光量でなく、辺りに散らばったかぼちゃのランタン。ジャック・オ・ランタンの灯りでしかないと解るも、そんなことは今のあみにとって、何の解決にもならない。再び聞こえ始めた談笑と笑い声に、逃げるなら今のうちだと慌ててドアまで駆けるも、扉は鍵でもかかっているかのように固く閉ざされ、開くどころか動く気配もない。どうして、嫌だ、怖い、誰か、誰か、助けて!内心であみがそう叫んだ時、すうっと、さきほどの頭蓋骨から、白い何かが、抜け出した。


「…こっちよ」
「っ、え…!?」
「早く、あの人に捕まらないうちに」


あみの腕を引く、長い髪の女性が扉を開けると、先程の固さが嘘のように、難なく廊下への道が開ける。女性に引かれるままに、あみはただ、廊下を駆ける。後ろを振り返る勇気など、あるわけがなかった。遠ざかる笑い声、またねと言う幼い少年の声。


あーあ、悪い子。お仕置きだねぇ。
入口の扉を潜る時、確かに聞こえた、心底愉し気な声だけが、いつまでも鼓膜に染み込んで、あみの脳裏に刻みつけられていた。









はっと目を覚ましたとき、あみは、自分がどこにいるのか解らなかった。鳴り響く目覚ましはいつまでも無秩序にけたたましい音楽を鳴り響かせ、あみを強制的に眠りから引きずりおろす。何がどうなっているのか、碌に理解も追いついていないままに、あみはゆっくりと身体を起こす。あれ、自分は確か、屋敷の中にいて、そうして、髪の長い、女の人に、助けてもらって、それから。


「……」


嗚呼。なんだ、そうか、夢、だったのか。それもそうだ、どうして自分は、あんな不気味な森の中にいたのか、あんな屋敷があったのか、どうして一人でに扉が開くのか、指を鳴らしただけで食べ物が出てくるのか。考えてみれば、おかしなことばかりじゃないか。そう、そうだ、あれは夢なのだ。そう結論付ければ、知らずに安堵の溜息が零れる。思い返せば、今更ながらに恐怖が襲ってきて、どうしようもない。心臓は、あの時の分を返すようにとんでもない速さで脈打っていて、息も荒い。怖かった、でも大丈夫、あれはただの夢なのだ、何も怖がることはない。酷い寝汗をかいてしまったから、とりあえずシャワーを浴びよう。そう結論付け、あみはようやく、携帯を拾って、未だなり続けていたアラームを消す。そして、ゆっくりと、身体を起こして、シャワー室へと歩いていく。あみの去り際、あの女性に掴まれていた右手首から、するりと一筋、うつくしく長い黒髪が滑り落ちたことに、あみは気付かない。



本当に、朝から酷い夢を見た。あれからシャワーを浴び、朝食を食べ、着替えてメイクをして、これで完璧だと、比較的早い時間に、いつもの通学路を歩く。ちらほらと登校してくる他の生徒達の背中をなんとなしに見つめていたとき、あみはそこに見慣れた銀髪があるのを見つけ、思わず立ち止まる。大丈夫、そう、あれはただの夢。おはようと言って、刹那も普通に、おはようと返してくれるはずだ。それさえ確かめられたら、もうただの悪夢だったと思って、忘れてしまえばいい。「おはよう、刹那」お願いだから、いつもみたいに、おはようと笑って。眠たそうに振り向いた刹那の、青と紫の色違いの瞳に、一瞬だけ身体をびくつかせる。けれど、ぼんやりとした空気は最初だけで、すぐに刹那はへらりと表情を崩して、あみに笑うのだ。



「あれ、あみ。おはよー!…昨日ぶり?」



その瞬間、今度こそ、あみは、身体を凍り付かせた。今日は、連休明けだ。昨日も一昨日も、あみは刹那に、会っていない。遭ったのは、そう。あの不気味な、夢の中。



嗚呼。
あれは夢?それとも。

現、実?