真白が化け物になる話
真白と鈴太くんと雲龍








異変を感じたのは数週間前からだった。
その日、真白は小さな抗争の、謂わば鉄砲玉のような役割を担って、好き勝手暴れて帰ってきていた。幸いというべきか、抗争自体は、小さないざこざの悪化程度のものであって、命に関わるような大怪我はしていない。ただ、左腕に、妙な違和感があった。持ち上げると、痛い。動かしても、痛い。あ、これは折れたなと思って、しかし骨折になどすでに慣れきっている真白は、そのまま碌な処置もしないままに、疲れた身体をベッドに横たえ、さっさと眠りについた。そうして、翌日、一日泥のように眠って、夜に目を覚まして、よく寝たなあと伸びをして、水を飲もうとベッドから身体を起こしたところで。ようやく、異常に気が付いた。

あれ。
左腕、確か、折れていなかったか?

そっと腕を捻っても、持ち上げても、挙句ナイフを振りぬいてみても、何の違和感も、痛みもない。あれ、と、首を捻ったが、結局、その時は、ただの打撲だったのだろうということで片を付けた。小さな怪我や切り傷はけっこうあったはずだが、それらの痛みも消えていることには、左腕の違和感の大きさに掻き消されて、結局最後まで忘れた儘だった。それが、今日からちょうど三週間前の出来事である。



真白は目を覚ましてすぐ、あれ、ここはどこだっけ、なんて、抜けた疑問を頭に浮かべた。視界に映る、白磁の天井、鼻につく濃密な鉄錆の香り。ゆっくりと視線を滑らせ、緩慢な動作で身体を起こせば、最初に目についたのは、自分の身体に繋がる細いチューブの管の数々だ。どうも、ここは雲龍の組織の医療室であるらしい。はて、自分は、こんなところに軟禁されるような怪我をしただろうか。眠る以前の記憶が曖昧でぼやけていて、上手く記憶を辿れない。確か、如月鈴太という、とても強く、そうして同じくイカれた男といたはずだ。すると何か、自分は彼と殺し合ったのか。しかしそれにしては、身体に僅かの痛みもないのは何故だろう。念のため、シャツのボタンを外して確かめてみるも、以前の古傷の数々が相変わらず刻まれているだけで、新たな怪我があるわけでもない。ならば、何故、自分はここにいる?尽きぬ疑問に答えてくれる人物は誰一人としておらず、ただただ首を傾げ、仕方なく真白は、ベッドに腰掛けたまま、足をぶらぶらさせて、医師か誰かがここにやってくるのを待った。もちろん医師といっても、闇医者であるのはアンダーグラウンド共通のことである。そして、その待ち望んだ誰かの到来は、存外に早く訪れた。



「…あ?真白?お前、もう起きていいのか」



病人を気遣おうという意思の全く見えない入室の仕方を悪びれも無くして、室内へとやってきたのは、今現在の真白の飼い主である雲龍だった。訝し気な表情をしつつ、こちらへと歩み寄ってくる彼に、ん?と首を傾いで、真白は雲龍を見上げる。彼の口振りから、やはり自分は、何らかの怪我なり病気なりをして、ここに放り込まれているらしい。怪我がないということは、多分病気なのだろうと推測し、真白は胸中でげぇっと盛大に不貞腐れた。病気だなんて、うわぁ、めんどくさい、が、彼の感想である。まぁ、そうは言っても、現状を知らないことには、始まらない。軽いものだったらいいな、なんて暢気に想いつつ、近くの椅子に腰かけた雲龍ににっこりと笑いかけ、ついでにあどけなく首も傾げてやって、べたべたに甘ったるい声音で問いを零す。



「ねーェ、俺、何の病気なの?」
「はぁ?」
「え、だッてェ、こンなとこに放り込まれてンだから、怪我じゃなけりゃ、病気デショ?」
「何言ってんだ、ついにラリって痛感もイカれたか。お前、今、骨折五ヶ所と、腹と肩ん穴空いてんだぞ」
「え……」



まさか、そんな。嘘だ。
普段貼り付けている笑顔を剥がし、茫然と雲龍の顔を見つめる。何、今、彼はなんて言った?普段ふざけまくってる俺から笑顔が消えたのを不審に思ったのか、表情を歪める雲龍に向けて、何度も、え、と聞き返す。だって、そんな、ありえない。



「何言ってンの、雲龍。俺、どこにも怪我なンて、無いよ…?」



その言葉と共に、シャツを肌蹴て、赤の一つもない身体を彼の前に曝してみれば、今度こそ雲龍は、ぽかんと目を見開いて、驚愕をありありと表情に乗せた。





「……えーと、何?つまり雲龍はァ、そこらで死にかけてた俺を、通行の邪魔なンで拾って、医務室に放り込んだらァ、翌日には綺麗さっぱり回復してたわけェ?」


それって凄ェミステリーねェ、なんてけらけらと笑う真白に、雲龍が頭を抱える。どういうことだ、本当に。自分は確かに、真白が体中から血を流しているのを見た。ついにくたばったかと思ったが、とりあえず呼吸を確かめれば何ともしぶとくまだ息があったので、仕方なしに医務室へと放り込んだのだ。骨折五ヶ所と、肩と腹部を貫かれています、まー数ヵ月は大人しく療養でしょうな、と笑った老医者の言葉を裏付けるカルテも、ちゃんと見たはずだ。それなのに、当の本人は、こうしてからからと暢気に笑っている。

そういや、俺、多分鈴兄と一緒にいたよォ、とあっさり口を割った馬鹿の証言を元に、知り合いの知り合い程度の知人でしかない、これまた裏社会を悪い意味で騒がせる男、如月鈴太を連れてこさせれば、また衝撃の事実が浮かび上がって、もう本当に雲龍は、真剣にこの馬鹿をどうしてやろうかと考えた。真白の話を聞かされた鈴太は、あっけからん、というか、純粋に不思議そうな表情で、言い放ったのだ。


「……は?真白は、俺が殺したはずなのに、生きてんのか?」


もういい、と、雲龍は、理解することを諦めた。
自分が見つけた真白は、ちょっと危なかったが、それでも瀕死というわけではなく、一応生きてはいた。だが、鈴太は確かに真白を殺したという。そして、ようやく記憶が戻ってきた真白も、そういや何やかんや遣り合いン為って、心臓刺されたわァー。あれ、じゃァ何で俺生きてンだろォー?とか言い出す始末で、現状としては、確かに真白の身体の傷は、一切合財纏めて治っていて、全てが全て、何もかもが噛み合っていない。

ちなみに、鈴太が真白を殺したという件だが、真白が鈴太の女に手を出そうとしたことからのいざこざだったらしく、まぁそれ自体は普段からのじゃれ合いなのだが、それの延長でさっくりやってしまったのが全貌らしく、そして現状として真白は生きているので、雲龍は考えるのが面倒臭くなって、結果不問とした。彼には手を出せば面倒なバックがいるのだ、無傷だというのなら、つつかないのが最善だ。


そしてまた、驚くべき事実が上がってくる。
一連の流れを纏めれば、心臓を刺されたはずの真白が、どういうわけか息を吹き返し、そうして一日時間をかけて、身体が再生したと考えるほかない、というのが、再び呼び出されて、検査させられた老医者の見解だ。そんな馬鹿な、と雲龍は呆れたが、手渡されたレントゲン写真を見て、思わず真白の身体をガン見する。そんな、どうしてだ、どうして。お前は、生きているんだ、真白。

その写真には。
人が生きるために必ず必要な、心臓が綺麗さっぱり、消え去っていたのである。




「……真白」
「ン?なァにィー、鈴兄ー」
「一つ聞いていいか。…お前、ここ最近、殺しても死なない奴と出遭わなかったか?」
「え?うーん……あ、」
「…遭った、んだな?」
「うンうン、遭ったよォー。えっとねェ、夜美ちゃん、ッていうンだけどねェー」
「っ、夜美…?」
「……?知り合いィー?」
「…いや、いい。続けろ」
「んン?まァ、いっかー。うン、えっとねェー、その夜美ちゃんと遣り合ってねェー、色々あって、夜美ちゃんの心臓、食べちゃったー」
「……それだ」
「ン?」

「夜美の血、飲むとな、回復力なんかが格段に上がるんだよ」




どくん、と、無いはずの心臓が、大きく脈打つ。
真白の身体の中で、食べられた夜美の心臓が、確かに脈動する。それは、鈴太に貫かれ、潰された本来の心臓の代わりに、真白の中で蠢き、やがてはその身の構造さえ作り変える。
人間の化け物、真宮真白が、名実共に「バケモノ」となった瞬間だった。