双さん宅の真也くんと沙弥ちゃんで真沙弥
真也→沙弥
双さんHappy Birthday !!






愛を求めたのですかと聞かれれば、平城真也は間違いなく否と答えるだろう。彼にとって、愛とは然程の価値も認められないからだ。折り合いの悪い、書類上血縁上の姉である女から与えられる愛も、父と呼ばれる男からの愛も、母と呼ばれる女からの愛も、突き詰めれば彼にとって必要ではない。平城真也が欲したものはただ一つだった。平城真也が欲しかったのはただ一人だった。平城真也は田村沙弥が欲しかった。

田村沙弥の姿を認めるとき、嗚呼、綺麗だなぁ、と、極自然にそう思う。化粧っ気のない顔だちが、しかし万人が振り返るほどに可愛いとか、そういうことではない。そんな次元の話ではない。万が一、田村沙弥と同じだけの容姿の女性が現れたとしても、平城真也は、振り返ることすらしないだろう。つまるところ、平城真也にとって、意味があるのは、田村沙弥だけなのである。それが平城真也の常識だった。彼女の後ろ姿が網膜を焼き殺す。靴音が鼓膜を犯す。それは暴力的な感覚ではあったけれど、同時にどこまでも真也の胸を満たした。紙一重の、危ない境界線だったのだろう。


さやちゃん。自分が出したはずの声がいやにからからに渇いて、そのくせ粘着いた水気だけはたっぷりと含んで、昼と夜の境目に吸い込まれる。「ん?」振り向いた沙弥の顔は背後からの夕焼けに淡く照らされて、昼間よりもくっきりとした明暗に彩られている。橙色が、彼女に似合うな、と思った。



「沙弥ちゃん、お腹空かない?」
「あー…そういえば…」
「ね、何か食べてこうよ」
「ん…平城、何食べたい?」



沙弥がふんわりと笑うとき、真也は言いようのない感覚に囚われる。彼女の輪郭だけがくっきりと浮かび上がって、他のものは全てただの背景になってしまう。ぼんやりとくすんで、点描画のようになってしまうのだ。誰かの話し声も、車の排気音も、全て、それらは雑音にすらならない。強いて言うなら、それは沙弥の色彩だ。沙弥が吐き出す呼吸に、言葉に、笑みに、色を付けるものでしかない。



「沙弥ちゃんの好きなものでいいよ」



彼女の笑みが、今は自分だけに向けられていることが、それだけが、ただただ嬉しくて、真也はへらりと、蕩けたような笑みを零した。それはどこまでも透明で、沙弥は笑みを受け止めるのに、何の抵抗も感じることが出来ない。す、と、落ち込むように自分の中に入り込んでくる微笑みに、視線を少し外して、一瞬だけ口ごもった。今の今まで喉元まで迫り上げていた言葉は真也の笑みを見た途端、妙な気恥ずかしさを発揮して、胸中へと滑り落ちていく。こく、と、沙弥の喉が鳴った。



「……普通に、バーガーでいいか」
「うん、行こっか」



好きって気持ちは、液体だね。
教室を出る前、クラスの女子が零していた言葉を思い出した。液体、嗚呼、そうかもしれない。だって、溢れて、止まらないのだ。時々、真也は、沙弥への愛が、自分という器から漏れて、溢れて、零れて、堪らなくなる。愛してるっていう形のない何かが、自分を沈めてしまって、窒息しそうになってしまう。ごぽ、と、気泡を吐いた。水面はきらきらと光っていて、それは真也にとって、沙弥そのものだった。彼女がそこにいるなら、彼女が自分を窒息させるなら、それでもいいなあと、真也は思う。一層のこと、窒息してしまえたらいい。透明で、青くて、うつくしい愛に沈むとき、真也は決して苦しくはなかった。それなのに、ゆるりゆるりと、息が詰まっていく。

隣を歩く、沙弥を見た。沙弥が欲しいと思った。沙弥が好きだと思った。夕日は明るく、ゆるやかに沈んでいく。他愛ない会話の一つ一つが、確かに真也の心を満たしていって、そうして愛を溢れさせるのだ。「私、これ」「俺も、同じのがいいな」君が選んだバーガーと同じもの、ではなくて、君と、同じもの。そんな、小さな言葉の本当の意味には、沙弥はきっと気付かない。並んで座るカウンターの距離と、狭さ故に、時折触れ合う指先。いくら男扱いされていても、沙弥の指先は、間違いなく女のそれで、それは真也から見れば、何よりも美しい指先だった。バーガーを食む唇が、ソースを舐め取る舌先が、何もかもが視線を吸い込む。真也は今日、食べたバーガーの味なんて碌に覚えてはいない。沙弥が好むものだから、沙弥が好む味だから、覚えようといくら意識したって、結局は彼女の存在に心を奪われてしまうのだ。


だいすきだよ。聞こえないように、呟いた。
ごぽり。気泡が上がっていく。