short | ナノ




「ヒューズ中佐、お久しぶりですね」



彼とセントラルで再会するのにそう時間はかからなかった。皮肉なことにあのイシュヴァールでの人体実験の成果が認められ、すぐにセントラル市内の軍医となったわたしは過去を必死に忘れようとしていた。人を救うことだけを考える毎日。勿論心労は日々たまっていったけどあの頃に比べればここは天国のようで、人の命を救うことが許されるというだけでわたしは何故だか安心できた。
ヒューズ大尉と偶然会ったのは病院内で、彼のおトモダチのお見舞いとか言ってた気がする。相変わらず人の心配ばかりしているところは全く変わっていなかった。



「おおおおおお!お前さんあんときの研修医か!!」
「あ、はあ…」
「ちゃんとでっかい医者になったんだな!そーかそーかよかったよかったははははは」



ばしばしと激しく叩かれる背中の痛みに苦笑しながら曖昧に相槌を打っていると、いつの間にか彼の奥さんと娘のエリシアちゃんの自慢話へと移行。そして何故だか今晩夕食をご馳走になるという流れになってしまった。なんでだ。一体なんなんだこの人の話術のレベルの高さ、空気の読めなささは。



「お、おじゃまします…」
「あら、いらっしゃい。可愛いお客さんね」
「きれいなひと……」
「そうだろうそうだろう!俺のスウィートハニーは世界一だからなはははははは!!」
「いつものことだからあまり気にしなくていいのよ」



そう言って照れながら微笑むグレイシアさんはたいそう美しい人だった。そしてそんな素敵なグレイシアさんの作ったアップルパイも香ばしい甘さがちょうどよく、あまりの美味しさにぺろりとたいらげてしまった。



「とっても美味しかったです、ありがとうございます」
「よかったわ、美味しそうに食べてくれるのが1番のお礼ね」



ヒューズさんの家はとても愛に満ちていた。とても寛大で暖かくて笑顔に溢れる、そんな素敵な、他人のわたしでさえも優しく受け入れてくれる場所だった。いつでも笑い声が響いていたこの場所が、過去になるなんてこのときは誰も知らなかった。
もしかしたらヒューズさんは気づいていたのかもしれない。勝手な推測でしかないけれど、すでに覚悟を決めていたんじゃないだろうか。


ついこの間、重い足取りでヒューズさんの家の前まで花を持って行った。ドアをノックしようにも、どうにも手が震えて腕が上がらなくて結局わたしは持ってきた花をそっと冥福を込めて玄関の前に添えて逃げ帰ることしかできなかった。軍医である前に一人の軍人であるわたしが一体どんな顔で会えるというのだ。
そして今日、ようやくあの日から1年が過ぎようとしていた。空は何を思ってかどんよりと暗く、星のちらついていたあの日とは打って変わって沈んでいた。月明かりのない空の下で、わたしはヒューズさんの好きだったお酒を一人さびしく酌をして飲む。わたしの目の前にはヒューズさん。



「ヒューズさん、そっちの空はどうですか」
「やっぱり一人でお酒飲むのは寂しいですよ」
「そういえば、あれからグレイシアさんに挨拶をできてないんですよ」
「なんとなく会いにくくて…」
「エリシアちゃんのあの笑顔に会いに行きたいとは思ってるんですけどね」
「あぁあ、またグレイシアさんのアップルパイ食べたいなあ…」



「いつでも食べに帰ってくればいいじゃない」
「…え」
「やっぱりあの花はあなたのだったのね」
「いや、あの…」
「あなたは白が好きだもの」



ふいに声が聞こえたほうを振り返ると、風になびきながら涙を流すグレイシアさんが立っていた。声は震えていたけど芯の通ったしゃんとした姿だった。わたしなんかよりもずっとずっとつらいはずなのに、わたしなんかよりずっとずっと強い。だからヒューズさんはグレイシアさんにこんなにも惚れていたんだ。美しくも強い綺麗なひとに。
わたしはグレイシアさんの胸に飛び込んでいって泣きじゃくった。天にも聞こえるように子供みたいに泣きじゃくった。
わたしはずっとこんな女性に憧れていたのかもしれない。ヒューズさんがベタ惚れするような、自慢されるような、そんな女性になりたかったのかもしれない。そこに変な感情は微塵もないと言ったら嘘になるけど、愛されるということを知りたかったのかもしれない。



わたしはその日、涙をこらえながら少ししょっぱい2人分のアップルパイをたいらげた。



111009