「君は一体その眼で何を見ている」 少佐がつぶやいた。 その無垢な眼には何が映っている。戦争の酷さか?人類の進歩か?はたまた生命の神秘とやらか。少佐はだんだん声を荒げた。わたしは彼の言動に否定も肯定もしない。また、あれだ。加虐者によく起こるそれ。自己嫌悪の過ぎたやつ、と言えば分かって貰えるだろうか。 「水をお持ちしましょうか」 「いや、結構だ」 少佐は質問を無視したわたしの発言にわたしを睨み上げた。この人の目は怖い、真っ直ぐすぎる信念を持っていて、こんな実験をさせているわたしの心を無作為に突き刺してくるのだ。わたしのものとはもう全く違うものに感じるその真っ直ぐな目は、遠くて遠くて手を伸ばしても届かない。この人にわたしのこの汚れた手で触れてはいけない、いや、触れられない。人殺しの目に成り下がらない強い何かを持っているこの人に、わたしは触れてはいけない。 そんなところに座っていたら軍服が汚れてしまいますよ。そう言うと少佐は鼻で笑うように言葉を漏らした。もう、汚れている。わたしは柄にもなく言葉に詰まってしまった。唖然、とした。少佐は自己嫌悪なんかじゃなく自分を悟っているんだ。自分を追い込むでもなく、自らを淡々と責める。 「あの、…なにを恐れているのですか」 死んだような瞳が鋭く見開かれ、それにわたしの歪んだ姿が写り込んだ。 「恐れたところでなにも変わりません。人を殺すことに慣れろとは言いません。達成感を得ろとも言いません。ただ、生きていればいいんです。誰の命を奪おうが何を言われようが、立ち止まっていては駄目です。そんなこと、この薄汚れた軍服に袖を通すとき、軍の狗になると決めたとき、覚悟なされたはずでしょう」 強張った少佐の目がゆっくりと閉じられた。眉間にはシワがよっていて、何かに耐えているようにも見えた。この人はその目で一体何人の死を見てきただろうか。きっとわたしの予想を遥かに越えたものは、この人に何時からか諦め癖を植え付けてしまったのかもしれない。彼は意外にもわたしに反論をしようとはしなかった。 「まさか、人体実験の研修医に言われるとは、な」 「…すいません、出過ぎたことを言いました」 「先程も同じようなことをいけ好かない爆弾狂にも言われたよ。…覚悟、君にもあるのか?」 「わたしは、ただ医術を学びたい。たとえここで人殺しに成り下がろうとも、のし上がってみせますよ」 少佐はそれきり黙ってしまった。わたしも何も発しない。いつから、わたしはこんな綺麗事を並べるようになったんだろうか。 少佐は立ち上がった。裾を叩くとイシュヴァール独特の渇いた土が水分のない風に舞った。戦場では相変わらず爆発音が響き、また誰かが死んでしまったんだと痛感した。もはやわたしたちに罪悪感など感じない。誰に怨まれようとも、もう仕方のないことだから。 そしてもうそろそろわたし達が行う実験は終盤を迎えるはずだ。そうすればわたし達は会うことはなくなるかもしれない。もともと、この殲滅戦がなければ出会わなかったんだ。もしも万が一出会っていたとしても、それはきっと少佐が死んだとき、もしくは手術台の上だったはずだ。人を生かす手と人を殺める手は互いに取り合ってはいけなかった。 「もうそろそろこの殲滅戦は終わる。もう少しで、」 「もう少しです、もう、一仕事です」 「ああ。もう互いに会うことはないと思うが、会ったときは、」 「そうですね、いずれ少佐が死にかけたとき、きっとまた会えますよ」 「何を言ってるんだ、私は死なんよ」 人は誰でも死にます。せいぜい恨みを買わないことですね。あなたの野望には些か敵が多いでしょうし。 「では、いつかまた」 100308 |