たぷたぷと音を立て、ミルクが黒い水底へ消えていく。黒く澄んでいた水面はみるみる茶色く濁って、完全に姿を変えてしまった。
用意されたのは確かに二人分だったのに、と我がもの顔で溢れんばかりに注いだ男を見れば悪怯れた様子もなく、寧ろ満足気にカップを口へ運んでいた。哀れなミルクポットの中身は限りなく空に近い。俺はなけなしの少量を自分のカップへ招いたのだった。
「牛乳に珈琲入れるのは駄目なの?」
喫茶店の帰り道、ふと思った。
そもそも店のメニューに牛乳は少ないし、あったとしてもオマケに珈琲ポットなんて付かないから仕方ない。だけど、そういった融通が利く家でも珈琲に牛乳を思う存分ドバドバと注ぐのだ。全く意味が分からない。
「はぁ?何言ってんだ?」
「さっきだってミルクポット空にしてたじゃん」
「あの店はミルクも美味えから……」
確かに珈琲専門店だけあって、あそこは小さい店ながら珈琲は勿論のこと、それに合うミルクや砂糖なども美味しい。拘りって言うよりか、愛故にって感じだろう。うんうんそれにしてもシズちゃんの口からミルクとかエロいよなぁ…なんて逸れながらも納得しかけた頭がそうじゃない!と叫ぶ。危ない、騙されるところだった。
「じゃあ珈琲牛乳とかカフェオレ頼めば?」
「いや、やっぱり珈琲とミルクは別で」
「家でも遠慮なく入れてるのに?」
「あれは、」
「カップギリギリまで入れたりするじゃん」
気になっていたことを聞いていく。じわじわと、チクチクチクチクと刺すように。責めてるみたいだが決してそんなんじゃなくて、積み重なった純粋な疑問だ。シズちゃんは口数が多い方ではないから、自然と俺と彼の口論は必ず俺に軍配が上がるのだ。
「今日だって……」
「その日の気分で調節してんだよ!」
ガウッ!と引き気味だった腰をあげて、大きな犬が一声鳴いたように吼えた。
何と言う答え、何と言う正論。
言い返す言葉もない俺は分かったと頷いて、緩く繋いでいた掌をぎゅうっと握り返す。
「ミルクポット買いにいこうか」
「あ?」
「直接牛乳パックから入れるんじゃなくてさ。なんかそっちのが良くない?」
店だけじゃなくて、家でも美味しく飲みたいじゃないか。だから買いにいこう?二人きりのカフェだって良いでしょ?
「つーかその前にカップだろ。あ、ポットもいるし、それと……」
「もう一緒に住めばいいじゃん」
次々出て来る要望に、つい勢いでプロポーズしてしまった。自分でもあまりに自然に出た言葉に驚く。呆気に取られる俺の隣、された本人は何も言わず俯いたままだ。
いつもは憎い身長差だが今はシズちゃんより背が低くて良かったと思う。伏せた顔が丸見えで様子がよく分かる。
「…じゃあベッドも変えるからな」
「ッ!もちろん!」
繋いだ手だけじゃなく、顔も熱くて死にそうだ。シズちゃんの恥ずかしそうに染まった顔は可愛いけど、俺まで赤くなってどうする!
照れのせいで続かない会話は、まるで付き合い始めの初々しいカップルのようで更に追い打ちを掛けた。それでも離れない掌が愛しいだなんて、何処の思春期のガキだ俺は。もう立派な大人なのに。
「あ、ダメ!やっぱりそれはダメ!」
「は?」
「指輪が先じゃないと!」
その時のシズちゃんの表情といったら、もう力の限り抱き潰したいぐらいの可愛さだった。普段の無表情が嘘のよう。
震える手は嬉しいってこと?縛り付けていいってこと?ああ、思いっきり抱き締めて、抱き締め返して欲しい。息が出来ないぐらい、力いっぱい。泣き出したい気持ちを抑えながらも俺は左手の人差し指に手をかけた。
路地裏プロポーズ
(予行練習って事で)
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