世界の終焉は死によって迎えられるだけじゃない。こうして生きている中で自分の「世界」を無意識に形成して、その枠に収まっているから。その世界が崩壊すれば、身体こそ機能していても確実にその一つの世界は終わりを告げている。


少年はネットで無数の仲間を広げ、
少年はカラーギャングのトップに、
少女は他人の中に居場所を探して、

彼は首のない「彼女」を愛し続け、
彼女は自分の存在意義を探し続け、

そして君は、俺はどうやって世界を構成しているのだろうか。



「さっぱり分かんねえな」

「シズちゃんには難しかったかな?」

「死にてえって事だけは分かったぞ」

「そんな事言ってないよ、だから…つまりさ」



俺たちの終わりは「死」なんかじゃ弱いんだよ。
確かに肉体が朽ちて消えてしまう事は終わりかもしれない。だけど違うだろう?
勿論死を持って終わる世界もある。だけど、そうじゃなくて折原臨也と平和島静雄はそんな終わりじゃつまらないじゃないか。

ナイフを目の前のバーテンに向ければ困惑しながらも構えてくる。あぁ、単細胞はコレだから困るな。構成する世界の崩壊、アイデンティティの崩壊を、それによって変化するであろう世界が見たいだけなのに。


「終わらせてみない?」

「何、言って…」



殺し合いを続ける池袋の喧嘩人形と新宿の情報屋の関係を終わらせてみようよ。
そうすれば俺たちの世界なんて簡単に崩壊して、終わるんだから。










最高の終末論
(崩壊はもうすぐ)