テニスの王子様 [LOG] | ナノ
2009/氷帝二年R誕生祭


俺から言おうと思ったのに言えなかったこと。それを先に言われたのは何でもない日の放課後だった。



平気じゃないのはたぶん僕先輩たちが引退してからというもの、誰がどう見ても彼女はいつもに増してぼんやりとしているのが分かった。
別にやる気が無いとかそんなんじゃなくて、どうやら極度の緊迫した状態から解放されたことで本来の姿、素に戻ったようだった。
元々俊敏な方ではなくおっとりしてるのがベースにあって、だけど物事はハッキリ。急かされればそれなりの動きをする。
そんな彼女は俺からすれば不思議な生き物で、どんな細胞が組み込まれてあんなに人に合わせられるんだろうと思うような人物。
彼女が友達と居る時は本来のおっとりさが滲み出て、それが少し違う人が加わると違った何かが生まれて来る。
最初は多重人格のケでもあるのか?とか思っていた俺だったが…何をどう間違えたんだろうか。彼女ばかりを目にする自分が居た。

「ほう…腑抜けることがお前の平和なのか?」
「ひ、日吉!」

「……平和っていいよね」とか間抜けな声が聞こえたのは偶然だった。勿論、それがすぐに志月のものだというのは分かった。
こんな寒空の下、冷たい洗濯物を干しながら独り言とか呟きながら何やってんだか。そんなスピードだと赤くなった手が更に赤くなる。
そう言ってやりたいのは山々だが、今はそういうことを言ってる場合ではなくて。向こうのコート、部員たちが待ってる。

「タオル」

ウォーミングアップも兼ねた持久走を終えたばかりの俺たちは少なからずとも汗ばんでの休憩中。
今は体が火照ってていいぜ?だが、自然と時間が経てばその体も冷えていく。汗は冷たい水みたくなって体に良くない。
俺たちが走りに出たのは志月も見ていたはず…おのずと分かりそうなもんだがまだボケーッとしてる。これは渇を入れないといけないようだ。

「部員に風邪ひかせるつもりか?さっさとタオル配って来い!」
「い、イエス!ボス!」

……ボスって何だよ。なんて突っ込みを入れる前に走り出した彼女は、予想は付いていたが俺の分は渡さず。
取り残されたのは俺と干し忘れた洗濯物。ちまちま干しやがるからまだ半分は残っているだろうか。
一度では洗い切れないほどに溜まる洗濯物を数回に分けて洗って干して。それでもまた新たなものは溜まっていく。
それを否応なしにまた洗って干して…これを繰り返す合間に部室の掃除だったり、下級生に混じってボール拾いだったり…それが仕事。
志月と同時期にマネージャーになったヤツは早くに跡部さんが切ってしまった所為で今は一人だけ。
先輩たちが居た頃はそう忙しくはなかっただろうが…今は結構酷な仕事内容かもしれない。とか考えないわけがない。

屈んで残された洗濯物を手にすれば外気に触れすぎた所為か、それは重く冷たく指先にそこそこの打撃を与える。
これじゃ手は赤くなっても仕方ねえ。下手したら痺れるくらいはあるかも…そう考えながら志月と同じように地味に干していく。
物干し竿の高さが低い。そういや前に「少し下げてやれ」と跡部さんに言われて志月を始めとする先輩たちに合わせたことがあったっけか?
その頃は何となしに合わせてやったが…そうか、小さい体で懸命に動いている。そんな姿に…惹かれないわけがなくて。



最初は単なる回し者だと思っていた。
俺が居残って練習してりゃ勝手に残って勝手に世話焼いて。挙句の果てにはまだ完全下校の時刻になる前に練習を止めろと抜かす。
こっちは真剣に取り組んでやってんのに水差しやがって…と何度呟いたり怒鳴ったりしたか分からない。だが、彼女はそれでもめげずに目敏く俺を見つけた。
部室でゆっくりしてからコートに戻った時も、職員室へわざと用事を先延ばして部活終了後に寄ってからコートに戻った時も。
どこに監視カメラを付けてんだ?って聞きたくなる程、彼女は俺を把握した上でひょこっと出て来ていたんだ。知らぬうちに、よく驚かされた。
「お前から逃げられる方法はねえのか?」と一度聞いたことがあって、その時の返答は「バレないように逃げればいいのよ」だった。
俺は、そのバレない方法を懸命に模索して実践して…だけど、それでも彼女が見つけてくれることを少しだけ期待していた。そして、それは裏切られなかった。



「日吉!」

呼ばれて振り返った先、どっかの猪でも逃げ出したか?くらいの勢いで突っ込んで来る志月の姿が見えた。
稀に見ない志月の猛タッシュに向こうで何か起きたのかと心配でもしてりゃ、単に俺に渡し忘れたとタオルをキツく握り締めてた。
口で呼吸をしながら申し訳無さそうに、怒られると思ってか何処か体の一部に気合を交えたような雰囲気で目の前に立つ彼女。
言っておくがな、俺は跡部さんみたく短気じゃない。どちらかと言えば気は長い方だ。それにそう怒りっぽいわけでもない。

「マイペースなのは構わないがしっかりしろよ」

無理して仕事しろ、なんて思っちゃいないし口に出したりもしない。マイペースでも別に構わないんだ。
ただ、その段取りだけは勘どってくれさえすればマイペースでも暇そうな部員を使っても一向に構いはしないんだ。
……とは言えずに、突進して来た所為で汗を少し流しながら息を整え掛けている志月に俺のタオルを差し出せば、それは思いっきり顔面に直撃した。
いや、わざとじゃねえけど思いっきり顔に直撃したもんだから「うっ」と呻く志月に内心慌てた。

「ひ、日吉!」

嫌がらせをされた、と言わんばかりに声を荒立てた彼女は押し当てられたタオルを退かすべく手を動かしてた。
下から上へ、そして自分の顔の方へ――…そして一瞬、手が重なりそうになったからスッと引けばタオルは志月の腕の中へふわりと舞い降りて。
荒立てた声と比例した顔が見えて、不覚にもドキッとさせられた。今までに何度となく見て来た困り顔、呆れ顔。
もう少し迫力ある表情でもすりゃ笑ってこんな妙な心拍数を誤魔化せたってのに…それをさせない女の子らしい、顔。

「俺の汗は引いたから自分のを拭いとけ志月」

何でだろうな。コイツを目の当たりにするとどうしても普段の自分を取り繕おうと必死になる自分が居るんだ。
冷静に、冷静に…とクールを気取るわけでもねえのにそれでも必死で普段と変わらぬ自分を演じ出そうとする俺が居る。
志月は気付きはしねえだろうけどそれでも勘付かれるのが嫌で、背を向けて歩き出した頃に響いた「有難う」の声。
知らないだろう。お前と居る時の俺の心境。お前は平気なんだろうが…平気じゃないのはたぶん俺だけ。



いつからだろうか。当然のように傍に居て、それが当たり前になり始めたのは。
分かってて、そうであることを願って、俺は決まって居残り練習をするようになっていた。誰もが居なくなった後、密かに。
勿論、そんな不純なことだけで練習をしてたわけじゃねえけど、それでもプラスして彼女が居ると思っていたからこそ無理も無茶もしてた。
がむしゃらの中に存在した支え。鋭く変化を見極めて止めに入ってくれる存在。きっと差し向けたのは跡部さんだと知りながら呑まれてたんだ。

「日吉、そろそろ帰るよー」
「お前だけ帰れ」
「そんなこと言わずに帰るよー」

陽は落ちていた。彼女の配慮で照明が付けられているのに後々で気付きながらも礼なんて一度も言ったことがない。
そんな俺に呆れてもよさそうなものなのに、見捨てたってよさそうなのに、それでも彼女はさり気なくサポートしてた。とても彼女らしく。
邪魔をする気は無かったらしい。だけどコートの中に気付かぬ間に居ることが多くて、散らばっているはずのボールはしっかり片されているのにも気付いてた。
それもまた未だに礼など言うこともなく時間は過ぎて、そう、いつの間にか当たり前にまでなっていて。

「おい、駅までは送ってやるよ」

この言葉、躊躇わず言えるまでにどれほど時間を費やしただろうか。今ですら言うまでに躊躇いはある。
そんなことも知らずに彼女は笑顔で言うんだ。いつも、穏やかな笑顔を見せて「有難う」と。



「日吉」
「……何だ鳳か」
「俺じゃダメみたいな言い方するなよ」
「そんなこと言ってねえ」

後輩たちに片付けるよう指示した後、部誌を監督のところへ持って行った帰りだった。
いつも以上に楽しそうな顔をしたデカイのが声を掛けて来たもんだから何とも言えない感情が湧いて大きく溜め息が出た。
この様子だと…大方彼女とデートしながら帰る予定でもあるんだろうよ。単純馬鹿が。目に見えて分かりやすいのはどうかと思う。

「人の顔見て溜め息とかするもんじゃないよ」
「……だったらそのニヤけた顔、元に戻しとけよ」
「へ?そんなにニヤけてた?」

無自覚かよ。今にもスキップしながら花畑へと向かいそうな顔してるのが自分で分かんねえのは致命的だな。
ついでもって言えば、そう指摘されても表情が変わらないのもまた致命的だ。色んな意味で、色んなことで致命的だと言いたい。

「気持ち悪いくらいな」
「それは言いすぎだろ」

それこそないだろ。お前本気で顔に出すぎて何かあったんだろ?て言いたくなるような雰囲気出てるんだぞ。
と、言ってやったものの鳳は本当に無意識、無自覚でいるようでニヤけた顔のまま更に笑って手をひらひらさせている。
どこぞのオバサンか、その仕草は。と突っ込みを入れたいところだが、どうも調子が狂ってそうも言えずにまた溜め息が出る。
何をどうすればそこまでの顔が出来るんだか…そう考える俺に鳳が少しだけ表情を変えて言った。

「日吉だって志月と一緒に居る時は同じような顔してるんじゃない?」

スーッと交わされた視線の先、そこに見えたのは後輩たちと会話をしている志月の姿。
何の話をしてるのかはまだ遠くで分からないが、少しずつ近付いていくうちに少しずつその声が聞こえ始める。
どうやら帰りに何処かへ寄る、というような内容で後輩たちは志月をどうにかして誘い出そうとしているようだった。

「あー…結構人気あるもんだね」

返答は出来なかった。そんなの分かりきったことだったからだ。
彼女は数多く居たマネージャーで今となっては唯一残されたマネージャーで、おっとりはしてるが仕事はきちんと出来るほう。
マイペースすぎて時には変なことをしでかすこともありはするが、基本的に前向きで明るい、親しみやすい、で……そこそこ可愛らしい部類。
少しでも慣れりゃ気に入るだろうよ。悪いヤツじゃないから。だから人気があってもおかしくはない。

「でも交わされてるよ」
「……寄り道禁止令とか作ってねえぞ」
「ぷっ、そんな理由じゃないと思うけどなー」

笑いながら進む鳳の後ろ、溜め息交じりで歩けばどんどん会話が近くなってくのが分かる。
だけど、会話の内容はまだハッキリしなくてところどころの強調された部分だけを拾い上げてる状態。何も繋がらない。
ただ、よくよく聞けば会話の内容は「寄り道しよう」から全く違う話題へと変わっていったらしく、内心…ホッとした自分が居た。

今日も…居残ろうかと思っていたから。いや、居なくても残りはするが、何かそれは、な。
居ないと分かっていながら捜してしまうんじゃないかと思えば、最初から…居て欲しいなんて、馬鹿みたいなことを思う。

そんなことを考えながら近付いていけば突然、「へ?」と間抜けな声が響いて何事かと歩く足を速めた。
それは鳳も同じで、どんどんどんどん声のする方、早歩きで近付けば志月の後ろ姿が揺れる。何処か動揺してるような…
声を、掛けようとしたが何故か後ろ手で鳳が止めたもんだから口は閉じて。

「そんなに好きなんですか?」

後輩の一人がそう告げた。からかい混じりの声。
何の会話を経ての台詞だか分からないにしても…この雰囲気からだと男絡みだと踏む俺。
そうか…やっぱり月並みに好きなヤツがいるんだな、と。心の中で何かが刺さった。いや、そりゃ居てもおかしくはない話なんだが。
だったら別に、遅くまで俺の監視なんかせずにいりゃいい話で…そう考えると、急に胸が痛んだ。
付き合わせたつもりはこれっぽっちも無かったにしても、悪いことはした。そう言いたくて再度口を開こうとした時だった。

「……そうだよ。私、日吉が好きなんだ」

揺れる背中。誰もが耳にした言葉で一斉に俺の方へと視線が向けられる。
それに気付いた志月がゆっくりと振り返るのが分かったから、動揺して顔が上げられずに俯けば「だってさ」と鳳が呟く。
全てを包む空気が変わっていく。鳳の呟きを合図に人が少しずつ散り始めて、そこで顔を上げれば今度は志月が俯いてて。
刺すような痛みが、ほんのりと甘い痛みへと変わった。その途端、何故だか分からないがするりと、向こうまで響かせたい言葉が抜け出したんだ。

「ひ、よし?」

出来れば俺から言おうと思ったのに言えなかったこと。それを先に言われたのは何でもない日の放課後。
彼女の口から零れた言葉は俺を驚かして、俺の口からするりと抜け出した言葉は彼女を驚かして。
まだ、彼女の目は見開いたままで瞬きすらしない。俺はようやく驚きから解放されて…スーッと楽になりかけてて。

「だから――…付き合うよな?これからも」


彼女が静かに頷いた頃にはコートに人は無くて、もしかしたら何処かに潜んでる可能性も考えられなくはなかったが、
さっきは自ら引いた手、それを伸ばして彼女に触れれば温かい。香水なんかじゃない、ほんのり甘い香りもする。
「俺も、志月が好きなんだ」と同じように囁けば彼女はもう一度小さく頷いて、そのまま俺にその身を預けていた。


「コイツ、俺のだから――…」


恋したくなるお題
氷帝2年R誕生祭、出展作品A
2009.02.03. こんな目線違いは如何でしょうか?
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