ゆらり、ゆらり。
ゆっくりと上昇していく観覧車。
「私、高い所大好きなんだ。」
「ボクもです。」
一緒だね、となまえはボクの手を嬉しそうに握った。
「空を飛んでるような気持ちになれるでしょ。ほら、今まで遊んでいた乗り物がもうあんなに小さくなってる。」
「なまえは鳥になりたいんですか?」
「うん、生まれかわってもしなれるとしたら、なってみたいなぁ。」
「変ですね、なまえは。」
「あははは、そう?」
困ったように笑うなまえの顔を首を傾げて見つめる。ボクには空を飛んでみたいと願うなまえの気持ちは良く分からないけど、今少なからずなまえがそういった気持ちに浸る事ができているならばいいと思った。
観覧車が頂点を過ぎた辺りでボクは兄上の言葉の続きを思い出した。
確か、"キス"というものがどうたらこうたらと言っていた。人間が何のためにその"キス"とやらをするのかと問うてみると、"愛情"を深めるためだとか、それを聞いてボクには到底理解できる事ではないと思った。
もとより"愛情"を知らないボクが、それを知ったように求めるのも愚かな話だろう。
もしもそれが人間が互いに求め与え合うものだとしたら、なまえは知っているのだろうか。
未だに何故兄上がボクにそのような話をしてきたかは分からない。ただ、その時の兄上は何かを楽しんでいるようにも思えた。ボクは大して気にも止めなかったが。
なまえと向かい合って座りしばらくした今、なまえはあまりボクの方や周りの景色を見ることがだんだんなくなっていた。むしろ、下を向いていてこちらからは顔が良く見えない。
「なまえ、」
「……ん?」
俯いていたなまえは、ボクが名前を呼ぶと少しだけ顔を上げた。けれど、こちらは見てくれない。せっかく観覧車に乗っているんだから、さっき話していたように空を、周りを見ればいいのにと思った。太陽がもうだいぶ沈んできて、オレンジ色から闇のはじまりの色へと変わってきている。
「なまえに話があります。聞いてください。」
兄上には強く口止めされていたが、なまえに隠しておきたくない。こんな状況で、これからする話題を切り出すのはあまり良い流れではないかもしれないが、伝えておかなくてはならない事があった。
「……話?」
「ハイ。実は兄上からなまえの病気の事について聞きました。」
「………!」
なまえは少し驚いていたが、すぐに真剣な眼差しに戻って、今度はボクの目を食い入るように見つめる。
「その時に、なまえに残された時間が少ないという事も聞きました。」
「………そう、なんだ。」
「ボクがなまえに話しかけたのはただの気まぐれでした。ボクはなまえをあの時、そのまま放っておく事も容易にできたはずでした。ですが、ボクは……。」
ボクはなまえ、キミを放ってなんか置けなかった。全部全部一時の気まぐれだと思い込んでいたが。初めて会った時、ボクは吸い込まれるようななまえの瞳に捕われた。
「………?」
「なまえが病気だからだなんて関係ありません!ボクはなまえとまだまだ遊びたいです。もっと楽しませてほしいです。」
「……アマイモン。」
ボクがなまえに言いたかった事は多分、全て言えた。なまえと一緒にいるととても楽しいから、ずっと一緒いたいと思うから、それを全部なまえに伝えた。
「アマイモン、ありがとう。優しいね。」
また、優しいと言われた。なまえの目からキラリと雫が溢れて落ちた。
「なまえ、泣いているんですか?」
人間は喜怒哀楽、様々な感情を持ち合わせているらしい。涙を流したり、笑ったり実に忙しい生き物だと兄上が言っていた事を思い出す。今のなまえは、嬉しいのか悲しいのかどうして涙を流しているのか分からない。
「ごめん…つい。」
なまえは笑った、泣いてるのに。こういう時に、"キス"をすればいいのだろうか。そうしたらなまえは喜ぶのだろうか。
「………あ。」
なまえの双眼から次々に溢れる涙を目で追っていたら、いきなりなまえが立ち上がった。そしてボクの事を抱きしめてくれた。なまえからはふわふわしたお菓子のような甘い香りが漂ってきて、何より暖かいと感じた。
しばらく抱き締められる形になっていたが、やがてそっとなまえの背中に手を回し、その体を自分に更に密着させるよう抱き寄せた。ボクの腕の中でなまえは笑った。ボクがこんなことをしたのはなまえが初めてだ。壊れてしまわぬよう力の加減をする。
「今日は今までの中で一番幸せで素敵な1日だった。アマイモンのおかげだよ。本当にありがとう!」
なまえは、本当に"嬉しそう"だった。ボク自身、これと言って大したことはしていないつもりだったが、なまえが喜んでくれたならそれは良かった。
ボクはなまえの背中に回していた手を、僅かに色づいている頬まで持ってくる。
「なまえ。」
「…………アマイモン。」
なまえの高鳴る鼓動を感じる。なまえは何かを期待するような目をしてボクを見つめているが、ボクはこの先すべき事になかなか手を出せないでいる。
きっとお互いに持ち合わせている感情とやらは、同じはずなのに。
「……もうこんなに暗くなってしまいました。兄上のところへ帰りましょうか。」
結局、何もできずになまえから離れて、そう告げた。なまえはというと、一瞬キョトンとした表情を浮かべて、戸惑いながらも頷いていた。
それから無限の鍵を使い、なまえを兄上の屋敷まで送る。
ボクがなまえが部屋に入るのを見届け、出ていこうとすると、コートの裾を弱い力で引っ張られた。
「ねぇアマイモン、あの…、私……!」
「………おやすみ、なまえ。」
振り返らずに、ボクは静かに部屋を出た。ドアが冷たい音を立ててボクたちを隔てる。しかしなまえは、追いかけては来なかった。
静まり返った長く薄暗い廊下を歩きながら、ボクは拳を握りしめる。
なまえの言いたい事が何となく分かるようで、怖かった。言わないで欲しかったから、振り切った。なまえとお別れなんてしたくない。
ただの気まぐれであったはずなのに、いつしかなまえに夢中になってしまった自分。
「…………。」
なまえが今日みる夢の中に、自分がいて欲しいだなんて、馬鹿げたことを思いながら、ボクは生ぬるい夜風に身を委ねた。
ある夏の日の物語