なまえはあれから意識を失い、5日間ぐらいの昏睡状態にあった。その間、ボクは兄上になまえの部屋には入れてもらえず、仕方なく屋敷の外の窓ガラス越しになまえのお見舞いをすることにした。その最初の1日、顔色はまだよかった。一緒に遊園地に行った時のようなほんのり色付いた頬。それから次の日とそのまた次の日も同じようにして窓からなまえの様子を見守った。早く、目覚めて欲しい。なまえがいないと、つまらない。最初は良かった顔色は日を増すごとに悪くなっていった。兄上曰く、なまえの受けた魔障は、身体が末期になるとより一層精力を吸い取る力が増していくらしい。これではもうなまえの命の終わりが毎日手に取るように分かってしまうぐらいだった。認めたくないが、なまえはきっともう長くない。昏睡状態なのだから、口から食べ物を含む事はなかった。その身体からは無数の管が伸びていた。栄養補給や延命のための措置だった。果たしてなまえはそれを望んでいるのだろうか。ふと蒼白に変わってゆくなまえの顔を眺めながら、そんな事を思ってしまう。ボクはもちろんなまえにはずっと生きていてほしいと思う。空を飛びたいと願うなまえの今の有り様はまるで翼を失った鳥のようで、もう飛ぶことはできない。しかし生まれ変わることができるなら、また空を飛べる事はできる。観覧車に乗った時に垣間見たなまえの瞳は、自分の命の残量を知っていた。だからこそ自由になって空を飛びたいと願った。全部、知ってた。なまえは。そしてきっとなまえとボクでは命の在り方の捉えが違う。キミが人間でボクが悪魔であるのと同じくらいに。
なまえはグールに襲われていたあの時、もしや………。

一週間が経った頃、ボクはなまえの部屋に入る事を許された。なまえの優しい手に、温かな頬に触れたい。そう思いながら、なまえの好きなキャンディーを上着のポケットいっぱいに詰め込む。高揚する気持ちを抑え込みながら部屋に入ると、窓ガラス越しに見ていた時とほぼ同じようにしてなまえはベッドに横たわっていた。唯一違ったのは、身体から伸びていた管が全て外されていたというところ。顔色が悪いのはもう仕方ない事なのだろうか。それでも管がないという事は容態が落ち着いたと考えるか否か。側まで行くと、うっすらと目を開けているなまえ。ボクに気づいて名前を呼んでくれたのが嬉しくて嬉しくて。

「ワーイ!なまえが目を覚ましてくれてボクは嬉しいです。気分はどうですか?」

ボクの口から出てくる言葉は皆やけに高揚していた。なまえの手が、ボクの頬に触れた。どき、と大きく胸が鳴る。遊園地に行った時以来のこの感覚に身を委せながら、ポケットに手を突っ込んで、キャンディーを数個取り出す。そしてなまえの手を取り、キャンディーをあげた。するとまたありがとうと言ってもらえた。弱々しくなってしまったなまえの握る力。こぼれ落ちないようにボクの手を重ねる。

あーあ、キミがもしもボクと同じ悪魔だったなら間違いなくボクのお嫁さんだ。それでいて虚無界で一緒に暮らす。毎日がきっとキミに出会う前の数倍楽しいから。あ、でもこれは今もそうだ。つまり、もっとずっとなまえと一緒にいたいという事だ。キミがいなくなってしまったらボクはどうなってしまうか分からなくて怖い。恐れるものなど悪魔で、地の王であるボクにはないはずなのに。

「アマイモン、」

小さな声で再び名前を一生懸命に呼ばれ、耳を傾けると愛してると囁かれた。今まで生きていてこれほどまでに心地よい響きの言葉はない。もっと言われたい。他の誰かにではなく、なまえに、なまえだけに。そうしたらボクもなまえにだけ同じ言葉を言おう。

「ボクも、なまえが愛しいです。愛しくて愛しくて、仕方ありません。」

なまえは心底嬉しそうに笑っていた。久々になまえの笑顔を見た気がする。そうしてボクは遊園地の時に為し得なかった事をすべくなまえの頬にそっと手をあてた。少し震えているのがなまえにも伝わり、怪訝そうな顔をされた。なまえが寝ているベッドの横にひざまづいて、もう片方の手でなまえの顔にかかる髪を払う。先ほどよりも脈拍が早くなる。なまえが目を閉じた時、ボクはなまえの唇にに"キス"をした。ようやく、だ。数秒。とっても長いような気がした。終わるとなまえは驚きと恥ずかしさと、それから嬉しさの合わさったような何とも言えない顔をしていた。唯でさえ具合が悪く目覚めたばかりだというのに、少し苦しいことをしてしまったかもしれない。けれどなまえの笑った顔を見たら大丈夫なような気がした。きっとこれでよかった。そうだ、今日はここに泊まることにしよう。兄上は許してくれるだろうか。兄上に何と言われても今日はなまえの側を離れないつもりだ。なまえと一緒にいる。そんな事を考えていた時、なまえはまた静かに瞳を閉じた。さっきとは違った意味で心臓が煩くなったが、微かに胸の辺りが上下している事を確認しほっとした。それから愛しくてたまらないなまえの寝顔を見ながらボクもその横でうとうととすることにした。