授業の終了を告げる鐘が鳴り、生徒の数も段々と少なくなってきたいつもの放課後。友達と楽しそうに話していたクラスメートも帰宅したようで、教室には私以外誰もいなかった。そろそろ時間かなと思い、私も机上の筆箱とルーズリーフを片付け帰る支度を始める。飲みかけのままだったパックのミルクティーをすすり、うさちゃんのお弁当箱も忘れずに鞄にしまった。そして携帯電話を取り出そうと胸ポケットに手を入れたとき、丁度教室のドアが開けられた。


「あ、坂田くん」
「…何やってんの先輩」


声の主は坂田くんだった。私よりひとつ年下の、ふわふわした銀色の髪が特徴的な後輩の男の子。私よりもずっと背が高くて、優しくてとても親切な人。そして彼は、私の大切な恋人であったりもするんです。


「なまえ先輩、ちょっと聞いてる?」
「うん?」
「…分かった。ひとまずその手どうにかしてくんね?」


話はそれからだ、と坂田くんは携帯を掴むはずだった私の手を優しく握る。私より一回りも二回りも大きいごつごつした手に包まれながら、一体どうしたのかと坂田くんの瞳を見つめた。


「…上目遣い」
「え?」
「いやなんでもねぇ。それより先輩、女の子がそんなはしたない格好のままじゃいけません」


坂田くんは私の胸ポケットを指差しながら、小さな子どもを叱りつけるようにそう言った。それでやっと私がずっと胸を触ったままの状態で会話していたことに気付き、なんてはしたないことをしてしまったんだろうと急いで坂田くんに謝った。









空が淡いオレンジ色に変わる頃、俺達はゆっくり歩きながら下校する。先輩は友達に二人で帰っている所を見られたくないらしいから、人がまばらになってから学校を出るのだ。これが俺達の習慣になっている。先輩の歩幅に合わせながら、ゆったりと足を動かした。先輩のスクールバッグでゆらゆらと揺れる、白いうさぎのマスコットが目に入る。


「先輩の鞄のうさぎ、前からそんなのあったか?」
「ううん。昨日買ったばっかりなの。すごく可愛かったから、つい…」


先輩は嬉しそうな、それでいて少しばかり困ったような顔をしながらうさぎのマスコットを見つめていた。はにかんだ笑顔があまりにも可愛くて、俺はつい目を逸らしてしまう。

先輩はやわらかくてふわふわしたもの、特にうさぎの類いには滅法弱いらしく、クレーンゲームの景品を取って欲しいと千円札を渡されたときはさすがに驚いた。もちろん俺自身のポケットマネーでうさぎのぬいぐるみは取ってやったが、その景品を渡したときの先輩がとてつもなく愛らしくて。そして先輩が喜びのあまり俺の胸に飛び込んできたものだから、俺は棒のように動けずにその場で突っ立っていた。しかも先輩はこんなにも俺の心を掻き乱しているにも関わらず、どうやらその全てを無自覚でやってのけているのだから恐ろしい。先程の上目遣いも含め、他の男の前でもそんなことをしているのかと思うと、彼氏というポジションの俺は気が気でないのだ。









坂田くんは本当に優しい。そう彼に伝えれば、きっとそんなはずはないと言われてしまいそうだが、私は坂田くんが心優しい人であることを知っていた。

それは先日、私は委員会の集まりがあって坂田くんに先に帰ってもらっていたときのことだ。いつもなら二人で肩を並べて歩く帰路を、寂しいなあなんて思いながらひとりで歩いていたときに、向こう側の道の端っこでしゃがみこむ坂田くんが見えた。お腹が痛くて帰れなくなったのかと思って後ろから近付いたときに、坂田くんの影から子猫の鳴き声が聞こえてきて。私は何も悪いことはしていないけど、取りあえず身を隠すために細い路地の死角に入った。こっそり坂田くんの手元を覗いてみると、小さくて毛並みの綺麗な子猫が坂田くんの指を嘗めていた。その近くに薄汚れた段ボールが置いてあるのが見えて、その子が捨て猫であることは一目瞭然だった。ここからだと坂田くんの表情は分からない。かわいそう、と思って声をかけようとしたが、坂田くんが急に立ち上がるものだから、私はびっくりしてまた路地に身を潜める。子猫を抱きかかえた坂田くんは近くの商店街へと歩き出した。









家の冷蔵庫に常備している苺牛乳が切れかけていたことを思い出し、先輩に断りを入れてコンビニに立ち寄った。俺が品定めをしている間、先輩がずっとレジに置いてある肉まんを物欲しそうに眺めているものだから、会計の際にひとつ買ってやった。どうやらあの白くて柔らかそうな艶のある丸いフォルムに目を奪われていたらしい。はふはふと肉まんを頬張る先輩の隣で、俺は先輩の可愛いの定義について考えていた。


「坂田くん坂田くん」
「あ?」
「ひとくち食べない?」


美味しいから、と先輩は肉まんを俺に差し出してきた。きっと、いや絶対にわざとではないだろうが、わざわざ先輩が食べかけている方を向けて。この年になってまで間接キスだのと騒ぎたくはないが、相手が先輩となると話は別である。だが先輩には下心の欠片もありゃしない。

つい先日もそうだった。それは昼休みの屋上でのことだ。俺は購買の菓子パンやら惣菜パンを苺牛乳で流し込み、先輩は手作りの弁当をつついていた。たまに羨ましそうな視線を投げかけられたが、パンは腹持ちが悪いからあまり好きではない。むしろ先輩の手作り弁当が食いたい。甘いメロンパンに飽きて焼きそばパンに手を伸ばそうとしたときに、先輩の口元に米粒が付いているのを偶然発見した。どうやら気付いていないらしい。幸せそうに卵焼きにぱくついている。可愛いなとかいっそのこと食っちまいてぇな、なんて不埒な妄想を必死で振り払う。だがいつも先輩に振り回されてばかりなのも俺のプライドが許せない。俺は小さな勇気を振り絞り、先輩の口元に付いた米粒を自分の舌で舐め取った。


「ごちそーさん」


横目でちらりと先輩の顔色を窺うと、きょとんとした表情で俺を見つめていた。顔を赤くしているとばかりに思っていたが、想定外の反応に俺は焦り始める。さすがの先輩でもこれはまずかったのかもしれない。今しがたの行動を後悔し、どう説明すればいいのかと必死で言葉を探していた。


「…坂田くん」
「いや、すまねぇ。本当に悪かった」


ああもう俺の馬鹿野郎。軽蔑されたか極度のナルシストだと思われたに違いない。調子に乗ってあんなことするんじゃなかった。


「もう、そんなにお米が食べたかったなら言ってくれればよかったのに」
「は…?」


確かにパンばっかりは飽きちゃうよね、なんて言いながら先輩はひとくち分の米を摘まむと、自分の使っていたその箸で俺に食べさせてくれた。危惧していた通りにはならずに済んだが、これはこれで虚しさが残る。俺は脱力しながら米を咀嚼し、先輩は特に何事もなかったかように残りの弁当を食べていた。苦い思い出だ。

先輩の頭を撫でて礼を言えば、嬉しそうにふにゃりと微笑んだ。文句なしに可愛い。もはや天然って罪だよなと確信しながら、俺は肉まんと二度目の間接キスを頂いた。









坂田くんに肉まんを奢ってもらった私のお腹は上機嫌だ。コンビニに寄り道をしたから、今日は商店街を歩いて帰ることになった。オレンジ色に染まっていた空は、徐々に暗い色へと姿を変え始めている。時折私の真横を通る自転車を、坂田くんはさりげなく手を引いて避けさせてくれた。やっぱり坂田くんは優しい人だ。こんなにも素敵な人とお付き合いすることができて、私はとても幸せ者である。


「お、」


不意に坂田くんが立ち止まり、くるりと方向転換をした。頭にハテナマークを浮かべている私の手を握り、薄暗い路地へと急ぐ。すると今度は突然座り込み、坂田くんは足元にうずくまる白い塊を触りだした。あ、もしかして。


「子猫?」
「そ。こいつこの間捨てられてたんだわ。あん時は随分弱ってたが…」
「首輪がちゃんと付いてる」
「上手くやってるみてぇだな」


坂田くんはどこか安堵した表情を見せていた。実は私は坂田くんがこの子の新しい飼い主を探そうと、街中を一人で駆け回っているのを後ろから追いかけていた訳だが、このことは私だけの秘密である。私はスカートに気を付けて坂田くんの隣にしゃがみ込んだ。そっと首周りの毛を撫でてあげると、子猫は瞳を細めて気持ち良さそうにしていた。砂や泥で汚れていた体毛は、今や雪のように真っ白だ。


「今度こそ大切に可愛がってもらえよ」


まるで坂田くん返事をするかのように、にゃあと鳴いた子猫。私たちが手を離すと柵の向こうへと走って行った。きっとあの子はもう大丈夫だろう。坂田くんがやっとのことで見付けた飼い主さんは、とても穏やかなご老人の夫婦だったから。


「いつかあの子のお家に行ってみたいね」
「そうだな」


子猫の後ろ姿はもう見えなかった。その代わりに段々と夜の足音が聞こえてくる。名残惜しい気持ちでいっぱいだったが、そろそろ帰らなくてはいけない。再び足を進めた私たちの手は、お互いの温もりを分け合うかのようにしっかりと結ばれていた。


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