「いざ…!あっ、あっ、やっ…!いざやっ、ぁ!」

 俺の名前を呼んでくれる、縋り付けなくて背中の上で手の平を握り締める彼はどうしたって自分を煽る。触れることが出来るだけで、彼の媚態を見ることが出来るだけで十分にすぎると思っていたのにそれは決してそうではなかった。心臓から血を絞られるような切なさが身を包むのがわかる。触れているだけではだめだった。どうしても彼から触れられたかった。
 それは握りこんだ手の動きを早めても変わらずに自分を煽りつづける。触れたいと思うことよりも、触れられたいと願うことはずっと、ずっと深い欲だった。背中の上で握られた拳が恨めしい。その手で触れられたい。そのためならセックスできなくても構わない。

「…いざや、」

 思ううちに手が止まってしまった。これは失敗だった。明らかに限界の近い彼にこんなことをするのは酷だろう。赤らんでぐっしょりと涙で濡れた彼は細く息を吐きながら自分の名前を呼んだ。

「無理すんなって、言った、だろ…」
「違う、そうじゃなくて、シズちゃん、」

 さわって、と口に出してしまった。今まで出してきた声の中で一番真摯な声だったろう。震えて、しどろもどろになりながら唇にのせた。そこまでしなければ彼は今度こそ帰ってしまうだろうと思った。

「…嫌になったら言えよ。」

 そういって背中から外れた手はジーンズのチャックを外す。下着を少し下げて彼の手が直接触れた。手袋をつけたままのぺたぺたとした感触が、徐々に濡れて和らいでいく。しかし濡れて滑りの良くなった感触はより自分を追い立てる。

「手袋くらい、とったら…?」
「とれよ。」

 そう言ってはいても彼の手はそのまま、差し出されることなどない。その手首を掴んで、彼の手をあらわにすることなど簡単だろう。彼の乳色をした手が、自分に触れる、自分の吐き出すもので汚れる。彼が汚れてしまうのではないだろうかと、そこで初めて気がついた。

「臨也、脱がせろ。あと、俺にも触れ。」

 躊躇いながらも手首をとり、手袋を引き抜いた。少し黄色味のある白い指が五本列んでいる。やはり脱がさなければよかった。暗い部屋の中で淡く光るように光を集める手はきれいすぎて、自分に触れていいものじゃない。だけれど、満足そうに笑いながら自分の手を取る彼に、一体何ができただろう。どうして拒むことができただろう。

「さっきみたいに…」

 触れてほしいと言われれば、もう限界に近い心臓が跳ねる。彼のものもたちあがったままだった。さっきは下着の上から触れるだけだったのを、下着の中に手をいれられて直に触ってほしいとねだられる。堪らなかった。触れられたいとばかり思っていたのが、今度は触れたいとそればかりになる。

「ふっ、うぅ…!」

 彼はすでに濡れて、決定的な刺激を待っているようだった。こんな状態で自分に触れてくれたのだと考えるとうれしくてたまらない。亀頭のつるつるとしたところを先走りを塗り込めるように撫でると彼の声が堪えるようなものに変わった。

「っあ…!」

 指先がひくりひくりと跳ねる。柔らかく握りこまれていた手は力を入れるのをやめたらしい。代わりにその手は自分が触れている手に重ねられた。

「いざや」

 そんな声はあんまりだ。弱々しくて、触れるのを恐れるような声、許してと請う言葉が続きそうな、そんな声はこちらまですっかり騙されてしまいそうになる。自分を騙すだけじゃ飽きたらず、こちらまでだまくらかして本当にしようとする。そんなのは狡い。いつか本当のことに気がついた時に悲しくなるのは自分だけだなんて、そんなのは狡い。
 だけど、それすら彼から請われたのだと思えば受け入れられる。こちらも上手く騙して彼から彼を奪ってやろうかと、出来もしないことを考えてしまう。
 触れる指をいっそう意地の悪いものに変えて、彼の我慢を突き崩す。根本から握った手で扱く。その時裏側の柔く刺激に弱い部分を親指で刺激してやるのも忘れない。性急な動きに、自分の手を包んでいた彼の手は手首を掴んだ。止めようとしたのかもしれないし、動きの邪魔にならないようにしたのかもしれない。どちらにせよ、彼は自分に触れている。その感動は言葉にすることが難しい。涙を零して快感に堪え、それを受け入れている彼は、自分が夢見た通りの姿だった。

 涙が出そうなのは自分のほうだ。こんな幸せなことってあるだろうか。それを思えばこそ、こんな悲しいことってあるだろうか。彼の勘違いだなんて思いたくない。自分が全部間違っているんだと思いたい。彼を愛し、愛される幸せが夢だなんて、そんなことってない。どうにかして彼をつなぎ止めたい。
 扱く手の平をより狭めて刺激をつよくしてやる。こんなにも暖かいのだと、きゅうと締め付けて放さないのだと教えてやるように。だから早くすべてを出し切ってしまえばいい。堪え切れずに溢れた体液も拾って塗り込めて、はくはくと震える出口を引っ掻くと彼は精子を溢れさせた。

「イったねシズちゃん…」
「だから、どう、したっていうん、だ…。」

 彼はこちらと目を合わせようとしない。真っ赤になった顔を背けて荒い息を深く長いものに整えてゆく。
 これで十分だった。自分は彼に触れたし、彼は自分に触れてくれたし、受け入れてくれた。それだけで自分はきっと生きていける。
 だけれど、息を整えた彼の手はまだ猛ったままの自分に触れる。自分がそうしたように、ゆっくりと扱く強さを変えて性感を高める。明らかに出させようとする動きだ。

「手前も出せよ…」
「や、ほんっと余裕ないから…やめて……っ!」

 彼の姿を見て、些細ではあるけれど彼に触れられて、それだけでもういっぱいいっぱいだった。気持ちも溢れ出しそうだったが、体だってもう限界だった。それをこんなにあからさまにいじられては堪らない。彼の指が白く汚れる。指の股に粘液がたまってしまって、彼の美しさを損なっている。

「だめ…汚れるから、はなして」

 必死で訴えても聞き入れるつもりはないらしい。そう思ったのだが、彼の指が離れる。するりと濡れた指が頬に触れた。
 彼はじっと自分を見る。熱の篭った瞳で、唇は湿った息で震えている。

「気持ち悪いか?」

 彼が欲情していることは明らかだった。自分に対して息を荒げて、それを抑えようもなく興奮している。これはさっき尋ねた自分への意趣返しだろうか。意趣返しになんてなっていない。気持ち良くてしょうがないのに。せめてもの抵抗で歯軋りしながら睨みつけると、明らかに安心したように睫毛を揺らす。よかったとでもいいそうな穏やかな顔だ。しかも、情欲を隠しながら無理につくった穏やかさだ。自分が求めてやまない、そんな顔をしている。
 本当に悔しいほど…と思っていると体勢が崩された。彼の後ろにはシーツではなくて暗い天井が闇のように広がっている。背中のほうではたぷたぷと水の音がする。彼にひっくり返されたのだと気がつくのにそれ程の時間を必要としなかった。しかし、彼が自分のものをくわえるよりは遅かった。

「ちょっと!シズちゃ…っ!」

 何を、と聞くよりも先に彼の口の中がすぼめられて、締め付けられた。そのまま頭を動かされて律動を模した動きをされる。それほど技巧のある動きではなかったが、追い詰められて彼の口の中へ吐き出すには十分過ぎた。

「はぁ…シズちゃん……!」

 口の中からくわえていたものを出すと、出口の周りにこびりついている精液も綺麗に舐め取られた。一度出したあとも断続的に吐き出される自分の精液を浴びながら彼は自分のものが萎えるまで舐めつづけた。
 しかし、やっと収まってきたと思ったものはまた彼の口の中に吸い込まれ、暖められる。一瞬流されそうになってしまって、慌てて腰を引く。

「なにすんだよ。」
「いや、もういいよ!なんでそんなしてくれるの?」
「手前に質問する権利は無え。黙って転がってろ。」
「してくれるのは嬉しいけどさ…大体どこで覚えたの?」
「…したことはねえけど、調べた。お前とセックスしようと思って、でもどうしたらいいのか知らなかったから、調べるしかないだろ。」

 平気な振りをして言っていても段々と赤くなる頬だったりうろうろとさ迷う視線までは隠せていない。ついには俯いて、左手のリボンを弄りはじめた。その姿は、この間の路地裏であったことを思い出させる。自分もああやってリボンをいじって、どれだけなら彼を信じることが出来るだろうと小狡いことを考えていた。
 彼に関して、彼が自分を全く嫌っているだけだとか、相手にもされないだとか、自分はそんなこと思っていない。もしも彼が誰かを愛するのならそれはきっと自分になるだろうという確信さえ持っている。ただ、それはもう少し遠い未来の想定であってあのときの状態でこうなるとは思ってもいなかった。

 自分はまだ彼に愛されるには足らない人間だと思っていた。そんな自信はどこにもない。だけれど、これは、愛されているみたいではないか?自惚れだと言ってしまえば彼も一生消えない傷がつくほどの、本当の愛のようじゃないか?

「シズちゃん、」
「なんだ。」
「手だして。左手。」

 暗い室内で白い手はぼうっと光るように、或は水の中から飛び出る魚のように鮮明に差し出される。その薬指から赤いリボンを外した。

「臨也…」
「うん、もう、嘘付けないや。本当はもっと時間かけていくつもりだったんだけど…」

 嘘も虚勢ももう無駄だった。それも含めて彼に愛してほしい。自分が一体どんなものだかわからない。彼の瞳に映るのは獣のような欲望の化け物だった。彼の目に映る自分は人間なんかじゃない。そしておそらくそれは正しい。自分は、化け物だ。彼のように美しくはない、一匹の惨めな化け物であることを認めよう。
 狡いのは自分だ。自分に嘘をついて、彼を嘘つきと呼んで。結局彼は何一つ嘘も虚勢も張っていない。ただ一人鏡のように自分の本当を映している。自分は彼のことなどなんにもわかっていない。

「シズちゃん、本当のこと教えて、一つだけでいい。」

 わからないからこそ知りたいと思うし知ろうと出来る。だけれど、こと人においてはどうしても聞くしかないだろう。だから、自分は彼に請う。

「シズちゃん、俺のことが好き?」

 彼はこたえない。ただ沈黙だけが生み出される。だけれど、どうか教えてほしい。そのためならばどんなに時間が掛かっても待ち続けるだろう。

「…それは、」

 くらい部屋の中にぼそりと低い声が落とされる。

「…お前が決めていい。お前が、知っていけばいい。これから。」

 その声は一つの星の声だった。暗闇の中に輝いて足元を照らし導き、夜明けを告げる。熱を帯びた低い声だった。


折原さんポエマーで恥ずかしい

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