向き合った瞳は閉じられた。口づけを請うかのような態度に押されて、彼の唇に触れた。エアーコンディショナーの風は生温く、湿度だけを奪っている。彼の唇は渇いていた。自分の唇も渇いて、どこかに濡れたところがあると張り付いて引っ掛かる。剥がすには痛みを伴った。だから濡らした。それを理由に、彼の唇を味わった。薄いメンソールの薄ら寒さを感じて、それを流したくてより深い口づけを請う。唇を突けばそれは開かれた。冷たいメンソールの香りすら甘い。彼は甘い。まぶたを開らけば、ほんのりと頬を染めている。

「きもちいい?」

 自分の口から漏れる声もあまりにも甘かった。彼が何を思って自分のところへ来たのか、それを考えれば甘くするほかなかったのかもしれない。彼が今ここにいるのは、同情だとか、勘違いだとか、自分の夢見ていたものとは違うものなのだ。まさか、彼が自分をどうおもっているか知らないわけではない。彼は、自分に引きずられただけだ。好きだと言われて好きだと返したい、その欲求に従って自分のところに来ただけだろう。だから、そうするより他になかった。甘やかすしかなかった。それに自分が本当にしたいことも行為としてはそれにあたるのだった。

「手前、体温低すぎるんだよ。口の中まで冷たいってどういうことだ。死んでんじゃねえの。」
「死んでないよ。死んでもいいくらい嬉しいけど、まだ死ねないな。」

 彼の首元を撫でた。自分でもぞっとするような撫でかただった。彼にしてみればひとしおで、酷い鳥肌をたてている。こんなに明らかな視線を送られて喜べるのならそれはとんだ気違いだ。そういう点では彼は普通なのかも知れない。だけど、こちらを一瞬見ただけでベッドに倒れ込めるあたりやっぱり気が触れているのかもしれない。

「やさしくすんな。嘘臭せえ。気になって寝られねえ。」
「優しくさせてって言ったじゃん。プレゼントのくせにあれするなこれするなってうるさいなあ。黙ってられないの?」
「俺にとってお前が優しくしてくれるっていうのは、お前が俺を酷く扱うことだ。」
「なにそれ。シズちゃんマゾだったの?」
「そういうわけじゃねえよ。素直なお前なんか胡散臭いにもほどがあるってだけだ。嘘臭いんだよ。」
「嘘じゃないよ。やさしくしたいんだよ。」
「そんなこと微塵も思ってねぇくせに。」

 微塵も思っていないわけではない。自分は彼に優しくしたいと思っている。酷くしたいなんて思っていない。(そうしてみたら面白いかもしれないと一瞬脳裏を掠めたがそれだけだ。それは面白いだけで喜びをもたらすものにはならないだろうと結論づけてしまえた。)だけどそれは、彼が自分を好きだったらと思えばこそしたいことだった。本当は自分のことが好きな彼を抱きたかった。愛して愛される関係が欲しかった。だけれど、一瞬だけでもいいから彼を手に入れてみたかった。自分の腕の中に彼を囲いたかった。彼がそれを許してくれるのに断ることなど出来なかった。
 彼は狡い。彼が自分に嘘をつかせているのに、嘘などつくなという。

「嘘ついちゃだめなの?文句あるの?」
「文句あるからやめろっつってんだろ。」
「俺が何言っても嘘だって言うんでしょ?」
「手前の嘘くらいわかんだよ!嫌々なんだったらやめればいいだろ!帰ればいいんだろ!!帰れって言えよ!」
「やだよ。」

 彼の首に巻かれた蝶ネクタイを抜く。首元をくつろげて皮膚越しに心臓を触った。規則的に動く心臓は、はくはくと震えていた。

「シズちゃんは狡い。俺のことばっかりわかってて…。なんにも教えてくれないくせに俺には全て話せっていうんだね。」
「狡くて悪かったな。」
「悪くないよ。そういうところ、凄くシズちゃんらしい。」
「手前のほうがそれらしいと思うけどな。」
「そうだね。でもねシズちゃん、俺はシズちゃんに嘘つけないんだよ。」
「ああ、そうかよ。」
「ねえ、シズちゃん、おれのこと好きになって。お願い。」
「…それは聞かないって言っただろ。」
「違うよ。これは、俺からのお願い。ねえ、おれのこと好きになって。」

 震える心臓の上は赤みがさして、熱がほとばしるようだった。ひとつずつボタンを外して衣服を脱がす。シャツの袖から腕を抜いて上半身を裸にすると、彼は震えた。

「今だけでいいから、俺のこと好きになって。愛してよ。これはお願いだから、聞いてくれてもくれなくてもいい。でも、シズちゃんは俺に聞いたでしょ?」

 本当はこんなことを口に出すなんて御免だった。ずっと彼と対等になりたかったはずなのに、自分はずっと彼に負け越している。化け物じみた身体は自分の努力をあっさりと潰すし、言葉は聞き入れられない。それに、惚れた弱みというのはおそらく正しい。自分はずっと彼と対等にありたいと思っている。それは変わらないけれど、彼がそう望むならそうじゃなくたって構わないと思うようになってしまった。
 腕を縫い止めて首筋を吸う。そんなことをしても何も得られない。吸い寄せられた血液は皮膚に阻まれて自分の口に入ることはない。ただ、うっすらと赤らんだだけだ。
 だけれど、その肌の赤らんだ箇所を見ただけで下腹が疼いた。これは、自分がつけたのだけど、それと同時に彼がつけさせたのだ。彼を吸い尽くして喰らい尽くしてやりたい気持ちになる。いや、ずっとそう思っていた。彼を見る度に、彼にむしゃぶりついきたいと思っていた。白く浮き出る鎖骨、その骨は肩を尖らせる。その尖んがった頂点を舌先で舐めたい。胸骨の平らな硬さを指で確かめながら肋骨をつまびきたい。柔らかな白い腹。筋張った臑。硬く締まった尻。背骨の浮き出る背中。総てが夢にみたとおりだった。だけれど触れるのは初めてだった。首筋に顔を埋めたまま背中に回す腕が、どれ程躊躇ったあとに震えながら出されたものだったのか彼は知っているだろうか。
 うっすらと汗ばんだ背中もまた、骨張っていた。背骨の浮き出る感触が余りに生々しくて、自分は背骨がどういうものか初めて知ったような気さえした。余りに鮮烈な感触だった。

「好きだよ…。ねえ、好き。すき。もっとさわりたい。」
「ああ」
「さわりたい。ねえ、さわって。」

 ああ、とまた低く頷いて背中に手がまわされる。触れそうになったと思うと、それは背中ではなく腰に回った。

「いいよ、脱がせて。」

 服越しに触れるのを躊躇った手は、今度は躊躇うことなく裾から入り込んで服を捲る。上を脱がせるとその手はそっと背骨に触れた。思わず体が震えると手は止まる。

「もっとさわって。触ってほしい。俺のこともっとわかってて欲しいんだ。」

 自然と口から出る言葉に自分でも驚いた。自分のことを把握されたいなんて、一体いつから考えていたのだろう。だけれど、ずっと想っていたことは間違いない。そうして体温を分け合うことを思い描いていたのだから、考えてみればもうずっと前からそう思っていたのだ。

 彼が探るように体に触れる度に自分の体は震える。気持ちがいいとも言えるし、気持ちが悪いともいえるし、暖かくもあって熱すぎる気もして、弱々しい刺激なのに余りに強くはっきりとそれを感じる。感じる刺激は下腹でまた違う刺激になってまた更に体を震わせる。
 彼は気持ちが悪いと思わないのだろうか。自分は確かに彼に欲情していた。

「ねえ、気持ち悪くないの?」
「悪くねえとおもう。」
「俺は好きでもないやつに欲情されたら気持ち悪くてかなわないな。そんなに愛されたいの?さみしいね。」
「そう思うならそうおもってればいいだろ。それに、お前言ったよな。今だけは手前のこと好きになれって。だから、そんなに気持ち悪くない。」
「そう、それならよかった…。」

 ふう、と一息つくと耳元で囁いていたのが良くなかったのか彼の体が跳ねた。背中を這い回る手も止まる。止まった手はそのまま自分を抱いた。

「お前も触れ。」

 焦れたような声と、強張ったからだと、力の込められた背中の上の手がいけない。それはじりじりと追い詰められていた自分を鮮やかな手つきで突き落とすに十分すぎた。

「シズちゃん、触るよ。」

 彼のすべらかな胸を、腹を、腰骨の凹凸をなぞる。それはさっきまでのように散漫な動きではなくて明らかに意図をもった動きだった。
 腰骨を擽り、震えた臍に指をいれて、たちあがった乳首に触れる。爪で引っかいて、押し潰す。漏れ出る熱い息を感じながらじれったい性感を与えつづける。片方の手で柔らかな立ち上がりをかたくさせて、片手は下へ下へとおりてゆく。彼のそこに触れたかった。熱く、しどとに濡れていればいい。スラックスのファスナーをおろして下着越しに触れる。薄い布は湿っていた。汗か、そのほかの体液かはわからない。触れようとさがすまでもなく、彼のそこはここにいると主張していた。

「さわっていい?」

 情けないことに声が上擦ってしまう。好き勝手に触れることも出来なければ満足に質問も出来ない。彼の強張ったからだはもう触れと言っているようなものなのにどうしても一歩踏み出せない。ほんの僅かでも彼が返事をしなければ自分はなにもできない。

「もう、何も聞くな…!勝手にしろ!」

 それでもわざわざ答えてくれる彼は優しい。だけれどやはり、どこかずるい。自分はその答えが聞きたくて堪らないのに勝手にさせるなんてずるい。けれどそういわれたら自分はそうするしかないのだ。
 触れてみると、下着は温く湿っていて、だけれど濡れるところまではきていない。形作るように手を絞ると、彼は唇を噛んで堪えた。指先で先を弄りながら扱くと、震える彼の体が自分の手と同じタイミングでこわばった。唇から漏れる微かな声さえ聞き逃せない。

「声だして。もっと聞きたい。」

 そういってみるものの、横に振られる首は拒否をあらわした。無理にでも声をあげさせてやろう。そのくらいの無理強いならば許してくれるかもしれない。あるいは、何ををも許してはくれないだろう。だから、これくらいの無理ならば押し通す。
 口の近くにある耳をはむと小さな声があがる。悲鳴のような声。一度開かせた口が再び閉じる前に動きを早める。

「んっ、んんぅっ!あっ、あっ…!」

 何時も聞くよりもずっとずっと高い声に、いつまで我慢が出来るだろうと思った。もう既にきっちりとはいたままのスラックスが窮屈だった。すぐにでも脱いで擦りあげたい。彼のものを弄るように、意地悪く少し痛いほどに扱いて、彼の体にぶち撒けてしまいたい。自分が彼に触れるように彼に追い立てられてあらいざらいすべて吐き出したい。
 だけれどかれにそれを求めることは出来ないだろう。今だけの情人、それだけでも十分だし、第一彼にそういう行為の技巧は期待していない。むしろ上手かったら嫌だ、などと独占欲めいたことまで考えてしまっている。
 もしも彼が本当に自分を好いてくれるなら、そうしたら触れてほしいと言えるのに。自分のためにこういうときはこうしてほしい、覚えて、と甘えて見せることも出来ただろうに。だけれどそれは現実の、今の話ではない。現実にいる彼は追い詰められて歯を食いしばって快感に堪えている彼だけだ。


キリが悪くてすみません。長さの都合でぶちっとしてます

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