「来て、ベッドこっちだから…」

 彼は何一つ反論することなくついて来た。手袋のついた手を握りしめて手をひくなんて、考えたこともなかった。こんなことになる予兆は何一つ感じられなかった。
 彼の街に行けば追い立てられて言葉など交わせなくて、彼にあげたいものは一つだってあげられなかった。自分の欲しい彼は、ずっとずっと先の未来にしか居ないと思っていた。それは、自分が少しずつ少しずつ彼を作り替えていって、それが絶対に疑い得ないほど変化した瞬間にやっと得られる成果だと、そう思っていた。異常なまでの執着に、自分は自分の人生をかける決心をして、自分はこうあるべきだと思うことを時には折り曲げてここまできた。
 しかしそうはならなかったことは明らかだ。だって彼はここにいるのだから。

「…シズちゃんは、これでいいの?」
「聞くなって言っただろ。これ以上言うなら帰る。」

 寝室のドアノブに手を掛けて彼に聞いた。その応えに彼の手を握る手に力が篭る。先ほどから自分は悔しくて堪らなかった。彼がそうやって答えを教えてくれないことも、それでもその手を縋るように放せないことも、悔しくて仕方がない。だけれど、その手をはなしてしまうのは怖かった。不安だったし、放したくもなかった。憎らしくて悔しいと思う裏側で、掴まれた体温が嬉しくて堪らなくて、このまま彼が自分のものになってくれたらどんなにかいいだろうと思ってしまう。体を繋げたくらいでなにがあるわけでもないだろうに、それでも触れたいと逸る気持ちは抑えようがなかった。



 寝室は先ほどと変わらず暗い。
 彼の手がするりと抜けてしまうと、思わずその手を追いかけてしまって、それでも掴むには遅すぎて空を切った。

「焦んなよ。まだ触んな。電気もつけんな。」

 するりと抜けた手はベッドの形を確かめて、短く命令を告げると彼はそこに座った。

「ウォーターベッドとか、初めて見た。」
「そう…。寝てるとたまに酔っちゃうんだけど、結構寝心地いいんだよ。」
「そうか。酔うのか。でもやってる最中に吐いても、俺のせいじゃねえってことだな。お前、言ったからな。」

 そんなこと、彼の口から聞きたくなかった。俺が彼をゆっくりと寝かせて、酔っても仕方ないね、と言ってみたかった。もしも彼がここに来たら、というしょうもない妄想は、どんな現実よりも自分を高ぶらせた。もしも、自分のことが好きで堪らない彼がここに来たらどうやって甘やかしてやろう、どうやってよろこばせてあげようか、もしも、彼が自分を好きだったら。

「…シズちゃん、」
「なんだよ。」
「シズちゃんは俺のプレゼントってことだよね。」
「あ…、うん。そうなるのか。そうだな。そうだ。」
「シズちゃん、聞いて。俺ずっとシズちゃんのこと好きなんだよ。」
「ああ」
「シズちゃんは聞くな、って言ったね。」
「ああ」
「でも、シズちゃんの応えが俺のずっと欲しいものだよ。」
「それは、」
「それでも、俺は、シズちゃんにだったら俺のなにもかも捧げたっていいと決めたんだよ。シズちゃんが信じようと信じまいといいけど、だって俺が勝手に決めたからいいんだけど、俺は、シズちゃんのためなら色んなことを諦められる。君がいれば。」

 彼はまさに絶句したというような顔をしていた。それはそうだ。信じられないだろう。理解が出来ないだろう。それならどうして先にそう言わなかったのかとか、それを妥協出来てももっと良好な関係を築こうとすることだって出来ただろうとか、そう思うだろう。だけど、それは自分にとって諦めと同じことだったのだ。
 俺は彼に愛されたかった。自分が段々と彼に惹かれていったように、彼にも段々と好きになってもらいたかった。自分が相手の思いがわからなくてそれでも焦がれて苦しんだように、彼も自分に焦がれてほしかった。それから身を寄せ合うことで彼との関係を離れられないものにしたかった。それが自分に考えられる最も自然な関係だった。そうありたかった。だから、そのときまではずっと彼に自分の気持ちを隠したかった。知らないでいてほしかった。

「だけどシズちゃんはもう俺の気持ちを知ってるんだもんね。だからいいんだ。俺の考えていたことはもう実現できない。それに、君がそう求めるなら俺はそれでいい。」
「いいのか。諦めるのか。」
「いいよ。シズちゃんに求められたら俺は堪えられないんだ。」

 暗い部屋の中で彼のかけるサングラスは役目を果たしていなかった。それを取り払ってサイドチェストの上に置く。彼の瞳はやはり澄んでいる。獣のような瞳。嘘をつかせない瞳。彼の前で自分はなすすべもないのだ。


「だから、シズちゃん、やさしくさせて。」









うちの折原は素直と諦めを同じものだと思っています。

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