(music by 相対性理論 ハイファイ新書より『地獄先生』)


 新学期が始まって、代わり映えのしないクラスメイト達をこっそりと確認しながら、担任の顔を見る。担任は、去年と同じく、自分から見れば老人に足を踏み入れつつあるひとのいいベテランの日本史の先生だった。おそらく自分の為だろう配慮が随所に行き届いたクラス編成だった。門田はともかく自分と並ぶ問題児の新羅はもしも自分と友人でなかったら(そして新羅に他の友人がいれば)絶対に同じクラスにはなっていなかっただろう。自分の為だけに成されたクラスかと思ったが、そう考えると新羅の為のクラスでもあるのかもしれない。今年も門田と担任には世話になるだろう。
 そう思いながら、前で話す担任の話を愛想笑いを交えつつ聞く。担任のことは信頼しているし好きな先生なのだが、あのギャグはあまり面白くない。まわりのクラスメイトも同じような、担任への好意しか持たない笑い声をあげていた。しかし、今年はそのお決まりのやり取りの中にざわざわとしたノイズが混じっている。

「ねえ、折原先生いるよ」
「副担かなあ?担任ふじちゃんで副担折原先生とかこのクラス絶対最高だよ!ラッキー!」

 主に女子の音量の割にしっかりと届く不思議な声がノイズの大元だった。
 折原先生は去年からうちの学校に新任として赴任した先生だった。新卒で教員試験に受かって、二年目で副担任としてでも三年のクラスを受けもって(しかも恐らく問題児クラスを)いるのだから出来た先生なのだろう。確かに去年受けた授業はわかりやすかったし、作文やノートの評価なども細かくつけてくれて、文章題が苦手な自分もテストの対策がしやすかった。そういうしっかりと教師業を行うところは自分も好感が持てるし、それになにより女子に人気なのはそのあまりに整いすぎてびっくりするほどの容姿だろう。

「じゃあ、私の話はここまでにして、女子お待ちかねの折原君にあとはお願いしようかな。わかると思うけど折原君はこのクラスの副担です。」
「あ、俺ですか。まだ説明ありますよ、藤川先生。」
「折原君どうせ確認してるでしょう?俺はそのチェックって感じで。大丈夫、ダメだったら違うって言ってあげるから。それに女子の視線が厳しいんだよね。」
「そうですか?じゃあ、お願いしますね。去年教えた人のほうが少ないから自己紹介すると、俺は国語科の折原臨也です。今年はこのクラスの副担任と、あとは3年だと論述対策の授業だけかな。国語とか古典はベテランの先生にお願いしてあるので安心してね。論述の授業とってる子は、まあ、シャープペン字講座だと思って我慢して一年間よろしく。じゃあこのあとの動きと明日の教科書購入の流れについて説明するからちゃんと聞いてね。」

聞いてね、と言われていても教室のざわめきは止まない。去年授業を折原先生から受けていたクラスは、2年ではうちのクラスだけだったのだが、他の全クラスから羨まれるほどに評判のいい授業だった。そうでなくとも折原先生から授業を受けたいという生徒は女子を中心に多く、3年の副担任ということで先生の授業を期待した生徒も多かっただろう。しかし、うちの学校では3年の授業は殆ど自由選択で、受験で余裕のない生徒が『論述対策』などという今更な授業をとるはずなどない。つまり、大半の生徒が今年も先生の授業を受ける機会を逸したのだった。先程よりも覇気のないさざめきのような声が先生の話す声の背景として教室に広がる。

 自分はと言うと、それに微かな優越感を感じていた。そんな今更な授業をとっている数少ない生徒がこのクラスの中にいるのだ。しかも、三人も。


***


 三人も、とは言ったが、それは三人しか、の間違いだったらしい。自分のクラスからの参加者は自分と門田と新羅の三人だったのだが、他のクラスの参加者はゼロだった。

「それもそうだよねえ。僕が僕でなくて静雄の友達でもなかったらこの授業絶対にとらないよ!セルティ好き人類代表と、池袋最強がいる時点でやめるね!これで他に誰かいたなら、それはきっと門田君の信奉者だけだよ。」
「いや、この授業がたまたま人気なかっただけだろ。俺達だって静雄が誘わなかったらとってなかったし…」
「そうだな。多分いっこ下の学年だったらもう少しいただろうな。門田は年下にモテるから。」
「なるほど!静雄にしては上出来な推理だ!」
「推理じゃなくて仮定な…。どっちにしろそれはないから安心しろ。」

 門田が溜息をつきながらそういうと、少し安心できる気もする。もしも自分がひとつ下の学年にいても、俺と新羅より門田と仲良くなるやつはいない。だけど、いっこ下になったら俺も門田と違う学年なのか?自分で言ったことだがなにかがおかしい気がする。どっちにしろ仮の話だから現実味はまったくないのだけれど。


「はい、席ついて。いやー、三人か。寂しいね。俺を入れて四人か。ゆとり教育もここに極まったね。」
「先生、本当に他の奴いないんですか?」
「うん。登録されてない。というよりも俺は理系の岸谷君がここにいるほうが不思議だよ。平和島君に誘われたの?」
「そうですよ。私は受験組じゃないし就職希望でもないっていうか、まあ折原先生には贔屓してほしいな、ってことで。」
「ああ、なるほど。校長先生が今年は一人でも生徒がいれば授業を開講するって言ってたけど君のせいなわけだ。君の進路に俺は贔屓出来ないけど、きっと安泰だから心配しなくていいとおもうよ。この授業に関しても、全く出なくても落第だけはつけるつもりないからね。流石に3年で留年はかわいそうだよ。まあ、酷い評価はつけさせてもらうから手は抜かないようにね。ね、門田京平君、平和島静雄君。」

 確かに3年で進路がきまってからの留年なんて最悪だ。受験で失敗して浪人するならまだしも高校を卒業出来ないとなるとまわりの見る目も違ってくる。出てもでなくても同じ評価とは、と思ったが、それに安心できることにはかえがたい。今の自分にとって、進路は切実な問題だった。

「じゃあ、今日の論述テーマは何がいいかな?」
「はい。」
「じゃあ岸谷君。」
「セルティの可愛さについてが最適です。」
「そうだね。医療危機にしてみる?」
「じゃあ1万歩譲るので恋でどうですか」
「…門田君と平和島君に聞いてみれば?」
「いいよね?セルティについて語らせてくれるね?」
「いいぜ。」
「好きにしろ。」

 渋々、といった様子で先生が作文用紙を配る。淡い若草色の升目が綺麗な方眼を描いている。新羅がああ言い出したら誰の言うことも聞かないのはわかりきっているので好きにしろ、と言ってしまったが、恋という題目は自分には難しい。

「先生」
「なあに?平和島静雄くん。」
「どういうふうに書けばいいかわかりません。」
「うーん…。まずは題名と名前から書いてみようか。そしたら、具体的に書くか、抽象的に書くかを決めようか。人に話せるほど経験豊富なら具体的に、人に話したくないことがあるなら抽象的な方がいいかな。どっちがいい?」
「…抽象的に書きます。」
「抽象的に書く時の王道パターンは批判しまくって最後に褒める、とか、理想を語るけど現実はそんなに甘くないって締める、とか最後を逆説的に正しい結論にするためにあえて前半に自分と反対の意見を書くこと。ここの前半の綻びを後半で突っついて崩すから、前半は少し弱い意見にしておこうね。」
「最初が逆の意見…と。」

 原稿用紙の三行目に『俺は恋がしたくないです。』と書き出す。すこし考えてみると、考えさせられる。俺は本当に恋がしたいのだろうか?

「恋がしたくないの?」
「…!見ないでください!!」
「俺はいいの。最初が反対の意見って言ったからこうやって書いたの?いい書き出だしだね。これも大事。書き出しは読む気が出来たりなくなったりするほど大事だよ。頑張ってね。」

 先生の言うことは優しい。だけれど背筋がぞっとするときがある。さっき、恋がしたくないの?と聞いた声がそれだ。ぞくぞくした。それは、机を覗き込んだ先生の香水が甘いムスクの香りだったからかもしれないし肩が髪の先にぶつかったせいかもしれない。だけど、それ以上に後方から聞こえてくる声に身震いしそうになったのだ。

「すてきな恋が、できるといいね。」

 もしかしたら体調が悪いのかもしれない。胃の辺りがぎゅうと引き攣れていたかった。


***

『 恋について
 3年1組 平和島静雄
 
俺は恋がしたくないです。
 身近に好きな人に溺れきっている人がいるからか、それが怖いと思います。人を好きになることが俺は怖いです。触れたいと思うことが何より怖いです。それを我慢できない自分が怖いです。恋は怖いものだと思います。
 幸せになるのに恋が欠かせないという人がいますが、自分は今幸せです。これ以上幸せになろうと思ったらバチが当たって今のしあわせもどこかになくなってしまいそうです。
 でも、俺はいつか恋がしたいです。』

「うーん、言ったことは守れてるけどどうなのかなあ、これ。」

 詩としては花丸あげたいけど、論述としては三角だなあ。決してバツではないけどね。でも原稿用紙5枚もあげたんだからせめて一枚は埋めようか。
 それにしても去年も思っていたが、平和島君は言われるほど問題児というような感じではない。文章を書くのも好きなようだし、なにより素直だ。本当に、他校の生徒とのいさかいがなければ推薦だってとれただろうに。

 まあ、それをさせないのは自分なんだけど、と提出された原稿用紙を見ながらほくそ笑む。

 彼の話は新羅からよく聞いていた。副業の関係で彼の父と知り合いになってから新羅の面倒を押し付けられる度に『シズちゃん』についての興味は増した。
 人外のような力と、繊細な心のアンバランスさ、美しい容姿が彼を人の目の中から放さず、彼を注視することによって彼から人が離れていく。不完全な化け物は、ある意味誰よりも人間らしく、けれども彼には人間という枠から抜け出す可能性を持っている。

「平和島静雄くん、シズちゃん、…静雄」

 俺は君のことを育ててみせるよ。早く人間という枠から抜け出してね。そうしたら、何も怖くなくなる。きっと恋もできるよ。






もっと短くさくっと書く予定だったのですが書きたいシーンが山ほどありすぎて結局静雄の一年間を追っかけることになってしまいました。
囃子さんとスカイプしてて「生徒×先生ですよ!」って豪語していたあの日の私はどこへ行ったんだろう…



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