1.微温湯



 朝起きて、違和感を覚えた。ザワザワと落ち着かない、あるべきもののない感じが背中に汗を浮き上がらせる。かすかな水分は朝の光に熱を奪われて体を冷やす。おかしい。何かがおかしいはずなのだ。だけれど、それが何かはわからない。
 布団をどかし、洗面所へ向かう。いつもの習慣に身を任せて全てが気のせいだと思いたかった。だけれどおかしい。洗面所がどこにあるのかわからなかった。そういえば、ここは誰の部屋なのだろうか。見覚えのない部屋だ。よくあるワンルームといったところだろうか。ベッドと、食事をするテーブルと、その前に置かれた14インチほどのテレビが主な家具で、それ以外には箪笥すらない。クローゼットはあけっぱなしで、中には沢山のワイシャツと黒のスラックスが掛けてある。よく見ると、バーテン服だった。ここの部屋の主はバーテンダーだろうか。面識はおそらくない。というか、バーテンダーの知り合いを思い出そうとしたのだが、バーテンダーの知り合いが思い出せないだけでなく、そのほか誰も知っている人間のことを思い出せなかった。
 そのことから、一番恐ろしいことに気が付くまでそうはかからなかった。自分が誰であるのかすら自分にはわからなかったことに気が付いてしまったのだ。自分の名前、生年月日、家族、友人、恋人、そのほか自分にまつわるすべての記憶がなくなっていることに気が付いた。そのことに気が付くと、さらにめまいがするようだった。まさか、そんなことが自分の身に起こるなんて、それは何かの間違いではないだろうか?しかし実際に起こっているからこんなにも困惑しているのだ。こんなことを思うなんて馬鹿らしい。余計に傷が深まっただけだった。どうにもならない現実は、嘘だと念じたせいで自分の中へ隙間風のように入り込んでしまった。

「   …!  !  !  …。  ?」

 嘘だ、と何度も声を張り上げて叫んだ。けれど、声が出ることはなかった。記憶だけでなくて、自分は声も失ってしまったのだ。一体自分は何を何をしてしまったのだろう。どんな酷いことをしたせいでこんなことになっているのだろう。こんなのあんまりだ。声が出ないことがこんなに怖いことだなんて知らなかった。自分はもともと声がでなかったのだろうか?だけれど、声が出せないことに対してかなり抵抗があるし、声について考えているくらいだから、声を出している時はあったはずだ。

それでは、いったい自分は何を覚えているのだろうか。テーブルの上にあるリモコンを見つける。これは、リモコンだ。赤いボタンを押すとテレビの電源が付くはずだ。押してみた。テレビはつかなかった。そうだ、主電源を落としているときはテレビ本体の電源ボタンを押さなければテレビはつかないのだった。テレビの電源ボタンを押す。テレビが付いた。昼の情報番組を放映している。その司会者の名前も、ゲストで出ている有名らしい俳優の名前もわからなかったが、テレビの使い方はわかるらしい。司会者がゲストと話している内容も理解できた。それが日本語だということもわかる。字幕も読める。文字や言葉はわかるらしい。それが消えなかったからテレビの使い方もわかるのだろうか。

 そのとき、枕元に置いていた電話が鳴った。ジリジリと、黒電話を模した呼び出し音が部屋の中に響く。この部屋の主のものだろうか。二つ折りにされている電話を開くと、発信者の名前は表示されておらず、番号だけが表示されている。通話ボタンを押して耳元に押し当てる。いや、押し当てようとした。しかし、その手は空を切って自分の頭の上を通り過ぎて行った。自分の喉に触れる。声を発しない喉。いったい、その上は、どうなっているんだ?
 電話口で相手が何か言っているのは事細かに聞こえるが、自分は耳を持っていない。耳も、口もなければ、目も鼻も持っていない。
 自分がなくしたのは頭だった。

『シズちゃん?どうかしたの…?』

 電話口で相手が話す声も、徐々に異変を察知し始めたものとなる。不思議なものだ。耳などないのに、押し当てなくてもその声ははっきりと聞こえた。通話を切ろうとしてボタンを押したのだが、力加減がよくなかったのか、それとも自分の力が強すぎたのか携帯電話はあっけなくひしゃげてしまった。洗面所を探すなんて馬鹿なことをしていなくて本当に良かった。洗面所に行っていたら。どんな恐ろしいものを見ていただろうか。




 朝は寒く、それに対して部屋の中の暖房は何一つ動いていなかったから仕方なく布団の中に戻る。いつこの部屋の主は戻ってくるのだろうか。それとも、自分がこの部屋の主で、先ほどの電話でいう『シズちゃん』なのだろうか。

そういえば、自分は男なのだろうか、女なのだろうか。ぺたりと胸を触るが、そこは薄い胸板があるだけだった。女のようではないものの、男にしては薄すぎる、頼りない体だ。腕や足を見ても同じでひょろひょろと細く、しかも日に焼けてもいない、これもまた頼りなさげな体だった。こんな体をもつ自分が(しかも推定ではインドア派なのに)首がないのに動き回れるような体にされて、記憶を消されるようなことを何かしていたのだろうか。
 元からこうだった、という考え方はできなかった。まず第一に、人間は首がなければ死ぬだろうし、第二に、その状態で生きているということは人間ではないということだ。じゃあ、自分は化け物なのだろうか。否、とまで言えないところが悔しいが、寒さには弱いし、静かすぎる部屋に恐れ慄くような小さな心臓しか持っていない。そんなヤワなものが化け物と呼ばれるだろうか。今すぐにでも死んでしまいそうで、寧ろ幽霊のほうが近い気持ちだ。

 自分は幽霊なのだろうか。

 なんだか、そう考えると納得のいくような気がした。首がないのは、死ぬときに首を取られたせいで、記憶がないのは、幽霊として新米だから(たしか幽霊は人間の時の記憶を無くすこともあると漫画で見た気がしなくもない)で、しかしそれにしては暖かい体だ。自分がそう思うだけで、本当はとても冷たいのだろうか。それとも、もう誰の目にも映らず、誰からも触れられない、そんな存在になってしまったのだろうか。

(そうか、俺、幽霊なんだな。もう死んでるんだ。)

 そう思うと、なんだか足りないものを少しだけ取り返せたかのような、妙な安心感に包まれた。もしかしたら、幽霊としてのキャリアは結構あったけれど何かの拍子に記憶をすぽんと落としてしまったのかもしれない。そうか、自分は幽霊なのか。

(それなら安心だな)

 誰の目にも映らない、誰からも触れてもらえない幽霊だったら、記憶がなくなったからと言って悲しむひとは誰もいないだろう。自分だけが悲しいだけで済む。それに、言葉や物の使い方は覚えているからいつもの生活に戻ることも難しくはないだろう。いつもの、とは、今の自分が想像するだけで、きっと以前の生活とは違うものになるのだろうけど。でも、それだって自分一人の気ままな暮らしだ。それでいいのだ。きっと今までも自分はそうやって生きてきたのだから。


 テレビではマーマレードに食べるラー油を混ぜたディップソースをエビフライにつけて食べている。マーマレードの苦みやほのかな酸味と、ラー油の唐辛子の香りや具のフライドガーリックの強い味付けはきっとよく合うだろう。
しかしそこまでしなくても、素直にラー油だけでいいのではないだろうか。似たような味で考えるならチリソースとか、いや、しかしそれはフライよりもフリット向きだろうか。

(そういえば、腹減らないな。こんなに食べ物のこと考えてるのに)

 当たり前だろうか。口もないのに、腹が減ったら確かにそれこそ地獄のようだけど、首を切られて死ぬような人間には丁度いい罰なのではないだろうか。それとも、自分はただ何かに巻き込まれた哀れな一般市民だったのだろうか。それだったら、腹が減らないオプションよりも頭部パーツを減らさないで欲しかった。
 先ほどのゲストの俳優がマーマレードラー油をつけたエビフライをおいしそうに頬張っている。今はない自分の頭が、あのくらいの男前だったらいいな、と思いながらぼんやりとその口元を見る。目を見る。鼻を見る。そして、首を見る。やはり、首に切れ目なんてなかった。もしも彼の頭が着脱可能だったら貸してもらったりできるだろうな、と思ったが、そんなことは断じてない。それに自分は幽霊なので、彼の目には映らない存在のはずだ。
 幽霊というのは、誰の目にも映らない寂しい存在だけれど、それでも誰かを見ることが出来てよかった。ほんの少しだけはその寂しさも薄れる気がする。
 テレビに映っている彼のことを覚えておこう。少しだけだが自分の寂しさを紛らわしてくれた男前だ。羽島幽平。エビフライがとてもおいしそうに見えて、羨ましい。


 暖かな布団の中でもぞもぞと動きながらテレビを見る。
 自分が幽霊だとすると、自分はこの布団の持ち主に取り憑いているのだろうか。それは少し気持ちが悪い。部屋の中を見ていると、どうやらここの主は男のようだし、先程確認したところ自分は男だった。なにがあって男が男に取り憑かなくてはならないのだろうか。どうせだったら綺麗な女にとり憑きたい。
 それを思うと、途端にこの布団が気持ちの悪いもののように感じられてきた。女独特の甘い匂いなど一切しない、ただ温かいだけのくたびれた布団だった。幸いなことに不衛生な臭いはあまりしないというか、匂いなどは全くしないのだが、このくたびれた感じがいかにも使用感を醸し出していて気持ちが悪い。

 布団を出た。だからといって寒いだけで、しかもどこにも行く宛てなどないのだけれど、布団は嫌だった。知らない人間が使っているものには、ほんのりとその人間の温もりがこもっている気がする。それに触れるのだって気持ちが悪いのに、包まれるとなれば余計に気持ちが悪い。

部屋の主には申し訳ないが、ストーブをつけよう。テーブルの向かいにはガスヒーターがあった。電源を入れて足をあぶる。膝を抱えて、視線だけでテレビを見る。目もないのによく視線なんて持っている。幽霊というのは、不思議なものだ。


 テレビをぼうっと眺めていると、玄関からチャイムが鳴った。ここの住人が帰ってきたのだろうか。テレビとストーブを消すべきだろうか。帰ってきて切ったはずのテレビとストーブがついていたらびっくりするだろう。
 だがよく考えてみると、自分の家にチャイムを鳴らす人間はいないのではないだろうか。それならば放っておけばいいか。つけたばかりのストーブを消すのは嫌だったし、テレビももう少し見ていたい。案の定、チャイムは二度ほど鳴ったあとは静かになった。

 しかし、それから40秒ほどすると、扉があいた。まさか誰かが入ってくると思っていなかったので、驚いて玄関の方へ視線を向けると、黒いコートを着た男がこちらに歩いてくる。

「なんだ…シズちゃん、また首無くしたの?」

 バッチリと視線があった男は自分に向かってそう言った。


***


「じゃあ、初めましてだね。俺は、折原臨也。君は、平和島静雄っていうんだよ。」


 自己紹介とともに自分の紹介をされるという体験はそうそうあるものではないだろうが、目の前の男は自己紹介をしながら他者紹介をすることになれているようだった。自分のことを幽霊だと思っていたのがうっすらと恥ずかしくなってくる。それにしてもありえない生物だということには変わりないのだけど、生きているだけ少しはいいのかもしれない。いや、恥ずかしさが増したからやっぱりよくないかもしれない。でも、そう思えるのも生きていると分かったからで、何がいいのかなんてよくわからなくなってくる。

「言葉はわかる?こんなことがあるからメモの用意をしておけって言ったのに…。」

 と、言いながら折原は何かを探し始めた。しかし、ベッドのそばに放置されたオレンジ色の電話の残骸を見つけるとはあと溜息をついた。

「壊しちゃったの?」

 こくり、と頷いた。

「多分、うん、ってことなんだろうけど、今の状態じゃわからないな。首がないと不便なんだよね。俺も気を付けようかな。まあ、俺の首がなくなるときはシズちゃんと違って死ぬ時だけだけど。」

 そんなふうにふざけた言葉が出てくる割には折原の目はひと時たりとも笑ってはいなかった。自分の知り合いなくらいだから、この男も首がなくなってしかるべきの悪人なのかもしれない。普通の人間は首の心配なんてしないだろう。それとも、自分がこんな風だから首のあるありがたみを再認識しているのだろうか。よくわからない男だと思った。大体、この男がどういう関係で自分のことを知っているのかも分からない。
 なんだかだんだんと目の前の男が胡散臭く見えてきてならなかった。普通、最初に警戒して話すたびに打ち解けていくはずなのに、この男はなぜか信用ならないと思う。こんなにも自分のことを知っているのに、それでも信用できない。

「ん?どうしたの?とりあえずこれ使ってよ。スマートフォンでごめんね。指しか認識しないから影使えないよ。」
『携帯は指以外でうてないですよ』

 何度か変換を間違えながらも文字を打って折原に見せる。

『あと、俺はいったいなんですか?折原さんはは俺とどういう関係ですか?』
「君はデュラハン。俺は、君の…」

 デュラハンってなんだ、という文字を入れながら折原の話を聞く。変なところで言いよどむので打ち終わった後にその顔を見ると明らかに困っていた。こちらが折原を見ていると気が付くと、その顔がこちらに向かって笑った。

「俺は君の恋人だよ!」
『嘘だ』

 思わず先に作った文字を消して突きつける。あんなにさわやかな顔で言われたらさすがに自分でも嘘をついていることくらいわかる。

「やっぱりわかっちゃうか。いっつもこの嘘だけにはひっかからないんだよね。そうだな、本当は君のファン以上恋人未満って感じかな。君は池袋では有名人なんだよ。今はないけど、首はとってもきれいな顔をしてるしね。まあそれはおまけみたいなものなんだけど。君は池袋最強って呼ばれてる。この携帯電話、普通の人が頑張っても握力だけじゃあこんなにバラバラにはできないよ。それが君の力。まあ、それだけじゃないんだけどね…。例えば、このあふれ出る魅力とか、さ…」
「 ?!」

 突き出した手を取られて、指先で甲をすっと撫でられる。ぞわっと体中に鳥肌が立つのが分かった。折原という男を信じられないような思いで見ると、長い睫毛に縁どられた目がおかしそうに微笑んでいた。手を取り返して目の前の男から隠す。ザワザワと粟立つ全身がこの男を拒絶していた。

「まあ、俺と君の関係はそんなに変わってないよ。俺がちょっかい掛けて君がうるさい!って怒鳴ってキレる、って感じ。それでもなんで君が俺を頼るかっていうと、俺が情報屋だから。まあそんなに好きなな仕事じゃないけど、この時ばかりはやっててよかったって心から思うね。大丈夫だよ、今回もちゃんと探してあげる。君がどんなに俺のことを嫌いでも、ちゃんと探してあげるよ。ああ、あとデュラハンについてわかんないんでしょ。とりあえず聞きなよ。もうイタズラしないからさ。機嫌直してよ、ね?」

 自分のことについてわからないことが多すぎるので、仕方ないと諦めて折原の話を聞いた。もともとデュラハンという生き物(話を聞いているとデュラハンというものが本当に生き物なのかは微妙だと思った)は首がなくてもとりあえず生きてはいけるらしい。なので、生死に直結することはないから安心していいと言われた。そのほか、影を操って伸ばしたり縮めたりすることや自分がどのように生計を立てているかなど、事細かに語った。

 折原は、あまりによく自分のことを知っていて、おかしい。


『折原さん、』
「いつもみたいに臨也って呼んでよ…。」
『どうして臨也って呼んでたんですか?俺は、あなたと仲が良かったんですか?どうして、そんなに俺のことを知っているんですか?』
「シズちゃん…」

 どうしてこんな男を家の中にあげてしまったんだろう。寧ろ、どうして俺は今までここにいたのだろう。呑気にテレビなんて見ていないでさっさとどこか人目につかないところへ行くべきだったのではないだろうか。この男から、自分がどうだったかなんて聞かずに、これから、首がなくても、自分として生きていくべきだったのではないだろうか。この男は、信用に足る人物ではない。そう思う根拠はただ一つだった。

『気持ち悪いです。これも、お返しします。』

 そう書いて、折原に携帯電話も返す。折原がそれを受け取る。先ほどのように手を取られたらたまらないのですぐに手を離す。

「気持ち悪い、か。」

 そう改めてつぶやかれると良心が痛んだ。多少からかわれたところがあるにしても、優しくしてくれる人間に対して気持ち悪いと言ったのだ。申し訳ないとは思う。けれど、こちらも必死だった。知らない人間が、自分の知らない理由から自分にやさしくしてくれるというのは気持が悪い。べっとりと舐られるような、体にこびりついて離れないような不快感を感じるのだ。

「多分それは、怖い、の間違いだと思うんだけどなあ。まあ知らない人からべたべたされたら怖いよね。それに俺も下心がないとは言えなかったし。」

 でもね、と折原は続ける。

「シズちゃんには絶対に俺が必要だよ。それはこれまでのことでよくわかってる。それに、その体でどうやって暮らしていくの?言っておくけど、君はこの街の住人から愛されてるよ。君がいなくなれば悲しむ人間は沢山いる。それを置いて、一人寂しく暮らすっていうの?それに、どこに行くつもり?ここには森も山も洞窟もないよ。下水道の中にでも住むっていうのか?ああ、そんなことも君はしてたよ、でも二週間で限界だと言っていた。人がいないことに耐えられなくなって、そのあとは首を探してた。君は、人がいなければ生きていけない生き物だよ。君のことを待っている人間だっている。その為に俺を利用することくらい、それがいくら怖くても、気持が悪くても我慢することくらいできなくてどうするの?俺は君のことよくわかってるよ。それを利用しなよ。それができないなら、いい加減俺は君に愛想尽かしてしまいそうだよ。このやり取りをしてる間だって、俺は君の為に時間を取っているんだよ。これが重荷に感じたら、君のために時間をとることをやめるよ。根源から絶たせてもらうよ。そのくらいのことが出来る人間だし、君だってそういうことをされるだけの理由は持っているんだよ。言っておくけど、俺は怒っているわけじゃないよ。ただ、君がいくら俺のことを嫌っていたとしても、俺のことを思い出してほしいんだ。だから、そのために俺のことを利用してほしいだけなんだ。」

 折原は先ほど自分に出した携帯電話を弄って、ある程度弄り終わるとテーブルの上に置いた。

「これ、置いてくよ。中身は全部消してあるけど、俺のプライベート用のアドレス入ってるからメールして。メールの使い方、わかる?ここのメールのマーク押して、下の機能ボタン押せば新規画面出てくるから、そしたら内容を打てばいい。できるね?じゃあ、帰るよ。今日は心配で来ただけだけど怒らせちゃったし、ゆっくり話すには時間も足りない。ごめんね、シズちゃん」


 じゃあね、といって、折原は出て行った。そうしてやっと、体から力が抜けるのが分かった。折原の言うとおり、気持ちが悪かったのではなくて、折原のことが怖くてたまらなかった。あまりにも親しく自分に、しかも自分だって自分のことをよくわからないのに、接してくるから。それに自分のことをあまりに知っているから、今の自分とは全然違う人間になれ、と言われているかのようで嫌で嫌でたまらなかった。自分の中にずかずかと土足で入り込んで勝手にいろいろなものを植え付けていくかのようで、それで自分が変化してしまうようで、怖かった。

 思えば、折原の言っていることはまともだ。それに、自分の周りにいたという人たちのことも気になる。それに、自分の首も、折原は何度も見つけたと言っていたし、きっと見つけてくれるのだろう。恋人だというのは嘘だとしても、本当はとても親しい間柄だったのかもしれない。だけど、自分の為にあえて何も言わなかったのかもしれない。

 いろいろなことを考えるたびに折原に申し訳ない気持ちが痛んだ。あんなに自分のことを思っていろいろなことを教えてくれたのに、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。それに、折原に見放されてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。折原は、根源から絶つと、自分にそれだけの理由があると言っていた。つまり、自分はやはり何かしていたのだ。首をとられるだけのことを、殺されるようなことを。

(首がそのせいでなくなったとしたら、見つかるんだろうか…。ぐちゃぐちゃにされたり、しているのだろうか…。)

 やはり折原に連絡を取らなければならないだろう。そういったことに関してもきっと折原は知っているのだ。自分が今までしてきたことも、これからどうなるかも、きっと折原は知っていてああ言うのだ。
 携帯電話をとって、先ほど教わった通りにメールの画面を開く。なにを打つべきか途方に暮れたが、まずは謝らなければならないだろう。


***


「シズちゃんただいま!帰ったよ!」

 部屋の中は黒いカーテンが引かれたせいで薄暗く、室内のものも黒いものが多いため、音のない部屋の中は余計に不気味だった。嵐の起きる前の静けさというものが部屋の中に存在している。

「あれ?寝てるのかな?」

 寝室のドアを開けると、布団の中に金色の髪が見える。カーテンの隙間から射す光が、髪にぶつかって粒を散らしていた。折原は、その頭を腕の中に抱えるとベッドの上に寝転んだ。

「…寝てないじゃない。まあ寝られないよね?痛いでしょ?ああ、そんなことないか。シズちゃん、化け物だもの。」

 ぽろぽろと涙を流す男の口には轡がされている。正しくは轡ではない。有刺鉄線が口の中に詰められて、口元にも巻きつけられている。

「本当は、傷とかつけたくないから、こんなのつけたくないんだよ。だけどね、こういうのじゃないと外しちゃうでしょ?口乾いてない?乾いたよね。じゃあ、またお水あげるからね。」

 折原がそういうと、頭だけの男はうう、と呻いた。目を見開いて、涙をあふれさせる。男は昨日の晩にあったことを思い出していた。水を張った浴槽に何度も何度も落とされた。息が出来なくて、口を閉じようとすると口の中に金属の棘が刺さって口の中が切れるのだ。しかも、棘の位置は変わらないから何度も何度も同じ場所がえぐれる。口の中は確かに乾いていて苦しかったが、あの苦しみよりはずっとましだった。

「今日は一緒にお風呂も済ませちゃおうね。帰りにラッシュ寄ってきたんだよ。ほら、バスボム。ピンクでラメがいっぱい入ってて、きっと綺麗だよ。水の中で見れるなんていいね。俺は目が痛くなりそうだからやめておくよ。」

 その時、折原のコートの中で携帯電話が震えた。それを取り出して確認すると、折原はにやにやと笑った。

「今日はいい日だなあ、シズちゃんはおとなしいし、シズちゃんは正直でかわいいし、こんなに人間みたいなシズちゃんなんて俺は知らなかったよ。」

 風呂場は既に湯が張られていて、折原はそこにバスボムを入れる。ピンクの泡が風呂桶の底からあふれ出す。その泡はきらきらと輝いて綺麗だった。腕の中の男を見る。痛んだ金色の髪と、冷や汗で汗ばんだうなじの先はなく、ただ薄暗い風呂場の続きのように暗い闇しかなかった。折原は、舌先でうなじを舐めた。髪に鼻をうずめて、彼の匂いを吸い込み、頬にキスをした。鳶色の瞳の震える瞳を見つめて、そのまぶたにキスをした。


「かわいいよ、シズちゃん」


 静雄は、目をつぶったままピンク色の湯の中に落ちていった。

 


 


 



デュラハン静雄企画「好餌。」さまに提出します。
サイトのほうでは連載という形でもう少しお話を続けさせていただこうと思いますが(連載ページ)、この話一本で終わってもいいような気もします \抱いてゲス也さま!/
連載の最後のほうでは自業自得で苦しむ小市民折原を描けたらいいなとおもいます \ざまあ/

首の静雄を虐めてしまいましたが、それもおいおいいい思いをすると思います。胴体のほうの静雄もいいことがあるといいですね!(フラグ)

このたびは素敵な企画に参加させていただいて、ありがとうございました!


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