シュレティンガーの猫が生きるためには(原題:copycat)



シズちゃんの様子がおかしい。
いや、シズちゃんは随分と前からおかしいんだけどそれに磨きが掛かっていて可笑しい。
シズちゃんのやることなんて全部おかしくてたまらないのだけどやっぱりおかしいものはおかしいし。いっそ笑ってやりたい。けれど、そういうおかしないじらしさがむしゃぶりつきたいほどにそそられるわけで、これって愛に他ならないと思うんだよね。

「シズちゃん、タバコの銘柄変えたの?」
「貰いタバコするのに銘柄違うと困るだろ。」
「いつも吸えないやつ吸えるのがメリットだと思うんだけどなあ。アメスピもそこそこ好きだったんだけどな…。残念。」
「お前がいっつも俺のタバコ吸うから変えたのに…!」

シズちゃんが煙草の銘柄を変えた。高校生の頃からずっと変えてなかったお気に入りの銘柄だったけれど、それを変えるのは簡単なことで、コンビニで買う煙草をいつもと違うものにするだけ。しかも、俺の吸ってる銘柄なら値段も少しだけだけど安くなるし。ハードルは低いかもしれない。けれどそれは由々しき問題である。人間愛代表とシズちゃんの恋人を兼ねる俺にとっては、それは見過ごせない問題だ。けれど、その晩は慣れ親しんだ一人のときと変わらないにおいに包まれることを許した。だっていじらしくてかわいいと思ってしまったから。

***

「折原!」

二人のときは臨也と呼ぶし、高校のときは誰が居ても臨也だったし、ノミと呼ばれることもなくなった。逆にいうと人目につかないところでしか臨也と呼んでくれなくなったし、ノミ蟲と呼んでキレることもなくなった。俺は三回に一回は気が付いていても気付かなかったふりをすることに決めている。今は三回に一回の無視を決め込む。

どうして苗字で呼ぶかなんてわかりやすくてかわいすぎる。そんなかわいい存在は掌で転がして弄ぶほかにどうしようもないだろう。わからないところこそが好きなんだけど、わかりやすいところはかわいい。
もう一度は呼ばれなかった。そのままエレベーターに乗り込む。今自分の周りにいつもの取り巻きがいなくて本当によかったと思う。もしも居たら、誰かが折原、と呼ぶ声に気が付いて、「呼んでるよ」とこれみよがしに袖を引っ張るかもしれない。服が引っ張られるのもそんな見え見えの下心で触れられるのも不快だし、彼がそれを見てその悪癖に磨きをかけてしまったらそれこそ問題だ。俺は彼の、あの悪癖を治したい。自分の持っているものなど、彼にはかけがえのないものに見えたとしてもその中身は空っぽなのだ。少なくとも自分はそう思っている。空箱を捨てることに躊躇いなんてあるのだろうか。
エレベーターが開いて目的の階に着く。廊下に出ると教室の前のベンチで友人達が自分を待っていた。

「どうしてお昼一緒に食べてくれなかったの?またヘイワジマ君?いい加減うざいって言っちゃえばいいのに!」
「そんなこと出来ないよ。平和島君だって頑張ってるんだから。平和島君はいい奴だよ。友達がいないのが本当に不思議。もったいない。」
「臨也も、そんなに甘やかしてると依存されるぞ。4年間そんなんでいいのかよ?ヘイワジマのためにもよくないし、俺らもさみしいよ。」
「俺らが言ってあやろうか?臨也は優しいけど優柔不断だもんな。」
「いいよ。子供じゃないし、嫌だったら自分で言うから。」
「子供じゃないならどっちが大事かなんてわかるでしょ?なんで断らないの?」
「裕子は痛いとこ突くね。臨也だって困ってるんだからさ、もっと優しくしてやろうぜ。」
「そうだよ。もっと俺に優しくしてよ。ね、俺だって辛いんだから。」

息が詰まりそうなほどに人間の中にいるのは面白い。ぐらぐらと煮え立つような怒りを苦笑する顔のしたに閉じ込めて、折原臨也として喋る。羨望や、同情や、感心の眼差しにさらされて、折原臨也は喋る。まったく、いじらしくてかわいい人間たち。そんなに折原臨也が心配?よく聞いていれば解りそうなものなのに。子供だって、何が一番大事かなんて知っているのにそれを俺が知らないなんて、まったく可笑しい。折原臨也のことを見下しているのかな。それとも、友情に胸打たれて陶酔してる?かわいいね。まったくかわいい。シズちゃんほどにはいじらしくてそそられるかわいさではないけどね。


シズちゃんのあの必死さを考えると俺の怒りも少しは和らぐ。俺の友人達は、同じ高校だったからといって昼休み毎に俺を呼び出したり、喫煙所で一緒になった時に話題を探せなくて俺が「ねえ、煙草一本くれない?」と声をかけられるのを待っているヘイワジマ君が俺のお荷物だと思っているらしい。違う学科で、違う学部で、しかも俺は推薦入学が決まってたから新入生歓迎会の準備にも参加したりしてそこでこの友人達を作ったけど、附属にも関わらず受験が必要だったシズちゃんにはそんな余裕はなかったね。
しかも高校時代の怖い噂を聞き付けて余計に関わるなと心配しているらしい。

シズちゃんは、俺のことを愛した。俺がシズちゃんを愛したように、とはいかないかもしれないけれど、でもシズちゃんなりに俺のことを愛してくれる。もちろん、それは同じように俺にも言える。俺は俺なりの方法でしかシズちゃんを愛せない。シズちゃんのようにシズちゃんを愛すことはできない。
愛は人間に備わる自己複製の機能として解釈している人間がいるけれど、まったく嘆かわしいことだね。それを乗り越えてこその愛じゃないのかなあ。人間の機能じゃなくて、愛の話が俺はしたい。いや、愛を語らうならシズちゃんに滔々と伝えたい。生物学も哲学も彼の前では全く無意味だからね。彼はただそれに従って考えて実践するだけだから。

煙草の銘柄を変えたのは、俺が言い訳しやすいように。「同じ銘柄だからさ、つい貰っちゃうよね。自分の煙草を減らしたくないんだよ。彼を利用するなんてひどい奴かな?」なんて言わせたいがため。
俺のことを苗字で呼ぶのは、友人達よりも深い仲でないことをアピールするため。学部も違う、境遇も違う、金銭感覚も違う、ただ高校が同じだっただけ。そんな人間が名前で呼ぶのはおかしいから。


だから、俺もそれを真似してあげる。


彼に煙草をちょうだい、と言ったあとは話かけられなければ話し掛けない。
俺のことを人前では苗字で呼ぶなら、俺も人前では平和島君、と呼んであげる。

その度に彼の瞳孔が信じられないものを見たかのように見開かれる。俺がそういうふうに彼の真似をするとき、俺は彼の一挙手一投足を見逃さないように、暗闇の中を見つめるときみたいに瞳孔を爛々と開いて見つめる。絶望に震えるような姿を見る度にその姿に自分を重ねる。
彼はいまだにそれに気がついてはくれないようだけど。

それにしても彼の悪癖はかわいい。そうやって掌で転がすことのできる単純さがかわいい。だけれど、彼はそのうち気が付いてしまうんだろう。そんなことをされることを俺が望んでいないことに。そうされる度に彼と同じように自分も傷ついているのだということに。
そのために少しずつヒントをだしているのだ。アメスピも気に入ってるとか思ってもないことを言ったり(アメスピは薄いから好きじゃない)、苗字で呼ばれたとき三回に一回は無視したり。
それに、二人暮らしをやめていないこと。彼にお弁当を作らせること。作らせたお弁当は家に置いていって彼に持ってきてもらうこと。昼休みになったら呼び出すこと。お昼は一緒に食べること。家に帰ったら臨也と呼ばせること。シズちゃんと呼ぶこと。触れること。絡むこと。離れても一緒にいること。

彼には、理論なんて理解できない。いくら愛を教え込んだってわからないものを信じたりしないし、ましてや実践したりもしない。彼自身が思い知らないかぎりそうしない。俺はそれを知ってるから、彼が自分自身の力でそれを知ってほしい。彼がそれを知ってどうするのかはわからない。
その結果によって俺は、それでも生きているかもしれないし、やっぱり死んでいるのかもしれない。今のところ死ぬだろう結果が予想される。普通に考えて、密閉した空箱に猫を入れたら死ぬだろう。中が楽園でもないかぎりきっと死ぬ。シュレティンガーの猫は多分死んでる。空箱のなかに欲しいものはなにもない。きっと生き延びられないだろう。


けれど、シズちゃんは俺の予想を裏切り続けてきた。シズちゃんなら、空箱をワンルームに変えて抱き寄せる腕にくたりともたれてこの胸をいっぱいにしてくれるのだろう。
俺の考えも及ばない方法で、シズちゃんは俺を幸せにしてくれる。俺とは違った愛しかたで。
それは俺とシズちゃんが別の思考回路をしているんだな、と思う瞬間でもあり、シズちゃんが俺のためにいろんなことを考えてそうしてくれたんだな、と思う瞬間でもある。少し悲しくて、とてもうれしい。



そんな日を待ちながら、教室に入ろうとしたときに携帯電話にメールが届いた。
無視されて悔しくても夕飯のお伺いをたてられるくらいには愛されているから大丈夫だろう、と安心して、もう少しだけその悪癖についてのヒントを増やすのはやめることにした。






copycat(英):真似をする(v)真似る人(n)真似た(an)

臨静企画『eclipse』さまの大学生パロ臨静を書かせていただきました!オレン●デイズみたいな爽やかさは皆無ですみません。
そしてcopyというよりはcatに重点おいてしまってすみません!せっかくお題をお借りしたのに…!


この度は素敵な企画に参加できてとてもうれしいです。そして深く陳謝致します。


3.March.2011 /shed:トヨミ
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