君のためじゃないよ!



君にあげたいものは沢山ある。百本のバラの花束や、きめの細かなスポンジを飾り付けたショートケーキ、首輪のかわりのネクタイ、毎日地面より先に踏み締める靴、プラチナのペアリング、やさしい言葉、執着にも似たような愛、体中にキスマークを散らしたいし、朝日のなかで交わす朝のあいさつより素晴らしいものはそうそうない。それをすべて彼にあげたい。



ガードレールがアスファルトと擦れてえぐれる音など、交通事故にあった時に一度聞けば多いほうで、それが生活音になっている人間などそうはいない。けれども、自分は既にその少数派に属している。しかし、彼よりは絶対に多数派に属しているという自信がある。多数派、ということは誇るべきことではないが、少数派の自虐に走ってしまうような寂しさからは解放されている。彼は絶対に少数派だ。ガードレールでアスファルトを削るなんていう行為は、人間ではきっと彼しか出来ないし、化け物が道具を使うほどの知能をもっているかなんてわからない。彼は、いつだってひとりだ。マイノリティの、最小構成単位は1に他ならない。

「はは!道路えぐってるじゃん!工事の人に謝まらないとねえ!シズちゃん!!」
「お前が避けなきゃえぐらないで済んだんだよ!!クソッ…!」

今の状況も異様だった。体中に生クリームをつけた男が、花束を持った男を追い回す。花束を持っている自分だって、少し変かもしれない。花束は、花が霞んでしまうほど多く、大きなリボンが結ばれていて、コートのポケットからも色とりどりのリボンがのびる。かと思えば花を抱く反対の手でナイフを握り締めて走っている。
男に追いつかれそうになる度に、花束の花をナイフで刈り取っては花をめちゃくちゃにして男へ投げる。生クリームが糊のかわりとなって、赤い花びらが何枚か男の体についたままになっている。

「そんなに追いかけられたら花なくなっちゃうなあ!!」「手前が止まればいいだけの話だろうがア!!」

話ながら、時々道を確認する。段々と人通りが無くなるように、段々と道幅が狭くなるように。標識だと狭い道でも使いようはあるのでもう少し手間だったけれど、ガードレールならさほど問題にはならない。後方でガツン、と音がした。ちらりとうしろを振り向くと、彼はガードレールを捨てた。少しひしゃげたガードレールは薄い金属らしい音をたてて踏み付けられた。
ポケットから緑色のリボンの付いた包みを取り出す。ちら、と彼を見遣ると、まだ生クリームは多く付いている。どうしようかなあと一瞬迷ったが、まだまだ膨らんでいるポケットを見ているとまだこれくらいならば、とリボンをほどいて、後ろで走る彼に投げつける。ひらひらと頼りなげにリボンは落ちて、彼のもとまでは届かない。綺麗にラッピングされた包み紙をバリバリ破いて、丸めて彼に投げる。視線を送らなかったのが功を奏して彼に当たったらしい。唸り声が後ろから聞こえる。
丸められたネクタイを丸いケースごと彼に投げる。

「なんだこれ!」
「あげるよ!スーツくらい着ろ!!」
「スーツなんか持ってねえ!」
「じゃあネクタイだけで!!」
「死ね!」

丸いケースが投げつけられて頭上を通っていく。遠くでプラスチックの砕ける音がする。勿体ないといっている場合ではない。もし受け取れば確実に部位が持って行かれる。

今度は靴を脱いで、後方へ飛ばす。もともと彼にあげるつもりだったのでサイズは大きく、脱ぎながら後方へ飛ばすのは簡単だった。けれど、彼がサイズまで気付く筈もなく、ただの障害物として避けられてしまった。

*

赤いリボンを幾重にも巻かれた箱はとっておきだった。最も渡したくて、最も渡すつもりのない箱だった。毎年リボンは結び直すけれど、その中身はずっと前から同じものだった。紫や、オレンジやピンクのリボンに手をかける度に焦りが増す。赤いリボンのかかった箱だけは、それらのようにただの障害物や嫌がらせとして扱われるのを拒む。だけれど、ポケットの中の包みは段々と減っていく。
追いつかれたら、出そうと思う。逃げ切れたら毎年のようにリボンをほどいてデスクの中でまた一年間眠ってもらう。だけれど、どうでもいいものが追いかけられている途中でなくなってしまったらどうしよう。わざと歩みを止めるわけにはいかない。しかし、このとっておきを、彼に他のものと同等に扱われることは耐えられない。彼が貰ってくれるならあげたいけれど、彼が要らないというなら存在自体を隠しておきたい。

息が切れて、喉の奥から血のにおいがせりあがってくる。ポケットにいれてリボンをいじる指先まで冷たい。彼に追いかけられると自分の限界があっさりと見えてくる。いつも有能感と全能感とを持て余しているけれど、なんのことはない。自分は人間にすぎない。彼のような化け物ではない。どんなに少数派でも、それに分類される人間は、同じ瑕をもつ人間を慰める。そうでないと、自分が慰められないからだ。それがどんなに惨めなことか、あの化け物を見る度に思う。あの化け物は傷を舐めあう同族などいないから、慰めなど期待しない。傷付けば傷付いたことを隠さないし、けれどだからといって同情を求めたりなどしない。声一つ上げずに耐えてみせる。彼は自分が唯一であることを知っている。
それが、なにより美しいと思う。人間には耐えられない孤独に耐えうる頑強で潔癖な精神。

考えに没頭していたらしく、足の裏に激痛がはしってやっと、石を踏んだことに気がついた。切れた皮膚からじわじわと血が溢れて、黒い靴下を赤茶色に染める。何年も続いた1月28日の追いかけっこもこれで終幕らしかった。肩を軽く掴まれる感覚があって、そのあとに体が宙に浮いた。巻き上がった砂が鼻に入って、やっと殴られたことを理解する。急に立ち止まったことを心配したりする気はないらしい。

「手前、いつから毎年この日は俺にショートケーキぶつけてるか覚えてるか?」
「さあね。」
「今年で6年目だ。」
「俺は六万も無駄にしてたわけね。気付かせてくれるなんて優しいじゃん。」
「六万じゃねえだろ。そのほかにも馬鹿みたいな量のプレゼント買い込んでるだろ。」
「障害物の事?気にしないでよ。あんまり高くないからさ。」
「アルマーニのネクタイとプラダの靴が高くない訳ないだろ。」
「よく気づいたね。貧乏人のくせに。」
「バラだって、毎年買って、安いもんじゃないだろ?」
「まあね。けどシズちゃんの花びらつけて爆走する馬鹿みたいな姿が見れるのは今日だけだからね。」

一発は殴られたが、それ以降は殴る気配がない。正直逃げ出してしまいたかった。追いつかれたらこの箱を渡そうと決めていた。けれどそれは、今日みたいな偶然の結果じゃなくて、もし追いつかれても渡しても大丈夫だと思えるような、そんな関係が彼との間に築かれた時にフッと力を抜く、そんな自ら選ぶ必然の結果の筈だった。

「何年か前から、」

指先で赤いリボンをいじる。ポケットの中の赤い羽を思う。指先で弾けばふるふるとふるえる。

「手前が投げたものをあとから拾いに戻るようになった。時間が経ってて他の奴に拾われてたり、投げられた場所覚えてなかったりして全部は拾えてねえとは思うけど…」

自分の前に仁王立ちする彼の顔など見られなかった。地面に座り込んだままポケットに手を入れてリボンをいじる。箱を縛り上げる真っ赤なリボンは、幾重にも重ねられて、蝶が群がるような箱になっている。一本一本あの白い手がリボンをほどいてゆく想像を何度しただろう。一匹ずつ空へ飛び立つ嘘に恥ずかしさと安心を得られる日を、待ち遠しくもずっと来てほしくないと思ってきた。

「普通に寄越せばいいだろ。なんでどうでもいいものみたいに扱うんだよ。」
「どうでもいい物だからだよ。」

彼にあげたい物なんてどうでもいいものだった。自分が彼にあげられるものなんてタカが知れていたし、本当にあげたいものはあげられない。もらってもくれないものを渡すことなんて出来ない。自分には投げつけるくらいしか出来ない。

「けど、拾ってくれるなら、それはそれでいいかな。うん、嬉しい。」
「寄越せよ。プレゼント。」
「もうないよ。ああ、花はちょっと残ってるかな。」

脇に抱えていた花束の花の半分以上は頭を刈り取られたように茎だけしか残っていなかった。一瞬渡たしかけたが、やめる。自分が彼に渡したいのはこんなものではなくて、もっと、素晴らしいものなのだから。

「寄越せよ。それでいいから。」
「嫌だよ。シズちゃんが貰ってくれるなら、もっといいものあげる。」

ポケットに手をいれたまま立ち上がる。ポケットから赤いリボンのかかった箱を取り出す。

「…あるじゃねえか。」
「まだ、あげないから無いも同然だよ。」

一本伸びたリボンを解くと、箱をポケットに戻す。赤いリボンは途中でよれたり捻れたりしている。

「いつかあげる。シズちゃんのプレゼントになるときに、あげるから。今はとりあえずこれくらいならあげられるかな…。」

指で二三回扱くと少しは捻れもマシになった気がする。それを左手の薬指に結んで、彼の孤独を飾る。
いつか。彼が孤独でなくなったら、自分が慰めなど必要としなくなったら。彼が人間に近づいて、自分が人から遠ざかったら。彼が自分を愛したら。そんな時にはきっと、虚勢などすっと溶けてなくなっているはずだから、それまではこれで。

「君のためじゃないよ!」







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