神様は俺を指差して笑った 終


夢を見た。美しい麒麟の夢だ。麒麟は紫色の雲の中を駆ける。その動きはとても大きくゆっくりとしていて急くことなく、実に優雅だ。だけれど、それを必死に追い掛ける自分はなんて無様なんだろう。汗だくになって、雲の凹凸に足を取られて、だけれどなにより無様なのは追い掛けることをやめられないところだ。少しでもその姿が近付けば嬉しくて、足を早める。走って、走って、やっとその首にしがみついた!
麒麟が走るのをやめる。くるりと振り返って、自分の姿を目に映す。黒い瞳がきらきらと輝いて瞬きするたびに星がこぼれ落ちる。こぼれ落ちる星を手の平で掬いとると、温かいような冷たいような不思議な温度で、ずっと手の平においているとぽろぽろ零れて小さなかけらに崩れてしまった。一口口に入れると、苦いような、しょっぱいような悲しい味がしたから、捨てようと思ったのだけれど、麒麟がそうさせてくれない。仕方が無いから、雲を少し掬ってそれと混ぜて、麒麟の頭にはずいぶんとかわいらしい冠にしてあげた。麒麟は喜んで、自分に星を混ぜた鞍を作ってくれた。その鞍を麒麟の背に乗せて、夢路を駆ける。手綱はないが、鐙(あぶみ)もない。
麒麟は立ち止まった。もうここまでだという。自分の不器用な蹄では手綱も鐙も作れないから、ここでお別れだという。そんなのは自分が作るから待っててくれ、と言うと、俺はお前のものではないから嫌だと言われた。俺のものになってくれ、というと、俺はものじゃないからできないだろう、と言う。仕方なく、麒麟の首から降りた。

「おわかれだ。これで夢はおわり。悲しい。頭の冠が冷たくて重くなる。これが夢の終りだ。さようなら臨也。ああ、冷たい。骨が凍ってしまう。さようなら臨也。またとない、さようなら」

そう言うのが早いか、麒麟の首はぽきんと折れてしまった。小さな小さな冠は、麒麟の骨を凍らせて脆くして、その重さで麒麟を殺してしまった。深い深い悲しみが麒麟を殺したのだ。

こんな残酷な夢なんて見たくなかった。こんな夢をどうして見たのだろう。麒麟はどうしてさよならと言った?そんなことを言わなければ幸せでいられたのに。
麒麟のなきがらを前に、瞬く星が溢れ出す。自分があふれさせる星は冷たく凍てついて、自分の頭の上に水面が出来た頃には、いびつに首の曲がった麒麟と星の流れるままに凍りついた自分とを、永遠に触れ合えないように凍りつかせてしまった。

*

悲しい夢に、それでもずっと浸っていたかったのだけどそれでも瞳は開いてしまった。白い天井、薄いオレンジの色をした陽光、それは紛れも無く現実だった。右を向いても誰もいない。その右手にずっと握っていた手の平ももうない。悲しいまでに、それは現実だった。かちゃ、と軽い音をたてて開いた扉に一瞬期待したけれど、そこにいてほしい人はいなかった。

「ああ、起きたんだ。」
「まあね。これくらいの怪我で寝ていられないよ。」

ペットボトルをぶら下げた新羅が入ってきて、がっかりして、だけれど少しほっとして言葉を返す。起き上がってペットボトルを貰う。だけれど胸がいっぱいで中身を飲む気にはなれなかった。
やっぱり、シズちゃんはいなかった。俺の元にはいなかった。

「静雄は行っちゃったよ。」
「だろうね。」

あの時最後に、切れ切れに漏らした好きだという声に全て安心しきってしまって油断した。最後の最後で詰めが甘くていやになる。思いが通じ合ったのだと思った。自分のものになったのだと、自分の思いが通じたのだと思った。そんなはずはなかった。だって彼は彼であってものじゃないのに、自分のものになんてなるはずがないと、自分だって知っていたのに。彼は彼であるから、自分の愛するかれなのであって、自分のものになった彼など彼ではない。彼は彼のままに、自分は自分のままに愛し、愛されたいと言ったのは自分のくせに、最後の最後で油断して自分のものにしようとした。罰が下ったのだ。自分に罰を与えたやつは、今頃天上で俺をせせら笑っているだろう。笑うがいい。だけれど俺は諦めない。きっと彼を探し出して、彼に愛していると言ってみせる。

「もう、俺も行くよ。シズちゃんを見つけないと。」
「大層なことを言うね。反吐がでるね。」
「何て言われてもいいよ。滑稽だと自分でも思うからね。でも、俺はシズちゃんのこと絶対放さないって決めたから。」
「そう?でも、もうすぐ静雄帰ってくるよ?セルティとコンビニ行ってるだけだから。僕と愛しのセルティの時間を切り裂いておいて、そんなことを言われるとその左手切り落としたくなってくるから黙っといてくれない?」
「はあ?」
「大体、臨也コンビニ行く?起きる?って聞いた時に『うん、今起きる』って言ったくせにさ、一向に起きないからさあ、そのせいで俺が臨也なんかと留守番になっちゃったんじゃん!!もうすぐ起きるかもって、セルティに言われたら残ってるしかないじゃないか!大体、静雄が残ればよかったのにさあ…。なんで私が……」
「…新羅、池袋にまだシズちゃんいるの?」
「当たり前のこと聞かないでよ。静雄が池袋以外何処に棲息できるんだい。」

扉の向こうで足音がしている。ガサガサというビニール袋の音。一方的に喋る低い声。聞いた途端、ベッドを抜けて駆け出していた。玄関のドアを開く。
ガン、という音がして扉は開いたが、そこにはおろおろとする陰のある女性の姿しかなかった。
オロオロしながら、扉に隠れた方向を慌てて指差す。そちらを向くのが早かったかどうかというところに、金属のひしゃげる音がした。

「いーざーやーくーんーよォ…!」

扉の向こうには池袋最強の想い人が怒りをあらわにした顔で立っていた。思わず扉を閉めようとするが、そう思った時には既に遅く、ドアに半身を滑りこまされた。つかみ掛かる腕に捕らえられて、大きなビニール袋で顔面を殴られる。後から新羅がぱたぱたとスリッパを鳴らして近づいて来る音がしたが、彼に自動喧嘩人形を止められるようなスキルはない。ああ、やっぱり死んだかも、と思っていると、曲がった扉の向こうから影が伸びて今にも殴り掛かろうとする拳を止めた。

*

「じゃあね!もう来ないでね!セルティと離れ離れなんてまっぴらごめんだ!!」
『新羅のことは気にしないで。でも、臨也も静雄も怪我はあんまりしないように』

あべこべなようでいて、要旨は同じことを言っているカップルの家をでて、池袋の駅の方向へ向かう。平日昼間の池袋はスーツを着たサラリーマンのほかはあまり色のない、灰色をした街だった。その視線は、相変わらず刺さるようだった。繋いだ左手を、普通に握る。普通の力で、落ち着いていれば、自分だって何も壊すことはない。臨也の手が、同じくらいの力で握り返してくる。

「俺、シズちゃんが消えるんじゃないかな、って思ったよ。」
「俺も、思った。池袋から出ていこうかと。手前と二度と会うことなんてないように遠くへ消えようと思った。」

だけれど、自分は折原が好きだった。折原を信じられなくても、折原のためだとか何だとか言っても、それでも折原と離れることなんて出来ないと思った。折原が嘘をついていて、自分を騙していたとしても、それはその時に傷つけばいい。もしも自分が折原を殺してしまったら、一生かけて折原を想いつづけて焦がれなくてはいけない、そういうことが一番の罰で、それをきちんと受けなければ愛するということの責任もなく愛していると言っているだけなのではないか。そう思ってしまった。
その考えに自信は全くないのだけれど、折原が好きな気持ちを考えると、他にどうすることも出来ない。

「でも、俺、臨也のこと好きなんだ。」
「…知ってるよ。俺も好きだもん。わかるよ。」

全くわからないことだらけだ。臨也がそうだとはとても思えないのだけど、でも、自分も臨也も迷いが吹っ切れたのだけは確かだ。いまここにいる相手を愛すること、いまここにいる相手に愛されること。それが出来ることの幸せとか喜び。涙も砂糖菓子に変わりそうなほどのときめき。先のことを考えて塩辛い涙を流すのはやめた。

「愛してる。その同じ分より少し多く俺を愛してよ。」
「うるせえ。お前の方が俺のことを好きなんだろ。」


神様は俺を指差して笑ったかもしれない。俺達を滑稽な存在だと嘲りたかったのかもしれない。だけれど本当のことはなにもわからない。だから、俺は神様は俺に向かって微笑んだのだとこっそりと思っている。臨也は、神様に躍らされるなんて御免だと言うかもしれないけれど、俺は臨也に愛されることができるのなら神様の力を借りたって別にいい。
臨也の言うとおり、俺はきっと、臨也が俺を思うよりもほんの少し多く臨也のことが好きなんだろう。だけれど、臨也だって、俺の言うとおりに俺が臨也のことを好きな量よりも少しくらいは多く愛してくれたっていい。少しの差を埋めるために、少し時間を進めて相手を追い越して、その差を埋めるために少し時間をかけて相手を追い越す。自分達の未来がそのようにつくられていくのなら、俺はそれで幸せだ。

神様は俺をもう一度指差して笑うだろう。少しのときめきと、まだ見えない未来に夢を馳せて微笑むだろう。自分も笑う。池袋のビル風に臨也のコートが舞って、肩にかけられたそれの温かさに、幸せを感じて微笑む。誰かが自分を指差す。臨也も指を差される。全部無視して背伸びをした臨也に往来の真ん中でキスをされる。微笑んだ折原が走る。自分はそれを追い掛ける。だけれど、恥ずかしいと思う気持ちも、嬉しいと思う気持ちも、悲しいと思う気持ちも、なにもかも身についていてよかった。化け物のような醜い心を、誰しもが持っていて、それを恐れて無視することよりも一緒に付き合っていけたほうがいい。自分は自分から逃れられないのだし、臨也のように自分に笑いかけて、自分に笑うことを求める人間だっているのだから。

自分は神様に微笑み返す。彼が笑ってくれたように、自分も彼を笑う。彼を捕まえる。足の遅い自分にもやっと捕まえられた。神様は、池袋の路地裏で、もう一度背伸びをして俺にくちづけた。








らぶらぶハッピーエンド以外断固として認めません!
臨静ー!俺だー!はやく結婚してくれー!!(土下座)

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