神様は俺を指差して笑った7



「おはようございます…」


後輩と、その天敵とが目の下に隈をつくって、しかも昨日までは握りあうだけだった筈が恋人繋ぎになって現れた時に、一体どんな顔をしたらいいのか誰か教えてほしい。

もしかして、前からそういう風になっていたのだろうか。そういえば昨日も朝から家に行っただの来ただのと言っていたし、本当は自分が知らなかっただけで、こうなったのも、いつか来るべき日が今日来てしまっただけのことだったのだろうか。どちらにせよ、恋人なんて出来ないだろうと諦めきっていた後輩に恋人が出来たことを喜べばいいのか、それともその相手が男だとか、宿敵だとか、悪い噂しか聞かない奴だとかを哀しんだ方がいいのだろうか。少なくとも、不安になってきた。


「シズちゃんのせいで俺まで寝不足だよ…。いくら俺だって二十四時間のうち二時間しか寝てなかったらきっついよ!君は昼寝してたからまだいいだろうけどさ。まったく、ベッド入ったらせめて寝かせてよ!」

「うるさい…それ以上喋んな…!大体お前が今日じゃないと駄目だって言ったんだろ?あ?そうだろ?」

「もっともっとって言ったのシズちゃんだろ。あんなになっちゃうなんて知らなかったよ」

「うるせえ!それ以上言ったらブッ殺す…」

「殺してやりたいのはこっちだよ…!あー、本っ当に眠い!!田中さん!今日は何件ですか?!」

「あー…三件かな……ちょっとめんどい奴なんだよな。ごめんな…」

「トムさん…謝ったりなんてよしてください。本当、ムカつくのなんかこいつだけなんで…」


目に見えて焦りはじめた静雄をよそに、折原君は携帯でメールを打っている。静雄、朝からそんな話を俺の前で出来るようになったことが、やっぱり、俺は少し悲しいよ。あと、折原君は少しムカつく。

その時、ジャケットに入れていた携帯が鳴った。開くと、メールが一通。差出人は『折原臨也』になっている。昨日仕事をしている間も、もちろん今も、その前だって、折原君に携帯を貸した覚えはないし、アドレスを交換した覚えもない。ちらりと折原君に視線を向けても、にっこりと微笑まれるだけで、彼はなにも言わない。メールを開く。


『シズちゃんに 昨日はお楽しみでしたね って言ってもらえますか?』


思わず吹いてしまった。多分これは、スライムがもりもり出てくるゲームのアレだろう。見ているだけでイライラするレベル上げを終わらせて魔王を倒した父が、なぜか毎回城に直帰せずに、主人公一行を宿屋に一泊させては微笑んでいたのを思い出す。子供の頃にはなにを楽しんでいたのか不思議だった。


「静雄」

「なんすか?」


父はその意味を教えてくれなくて、母に聞いたのだ。そのせいで父の冒険の書はまっぷたつに割られてしまった。


「きのうはおたのしみでしたね」

*


「あーもう!本当に痛い!頭割れるかと思った!あー割れる!現在進行形で割れるよ!」

「割れろ!…あの、トムさん、昨日は本当に酒飲んでただけで、あの…そういうこととかなんにもないですから…!」

「うん、からかっただけだからさ、ごめんな。あと、折原君も、ごめん…」

「いやあ全く!田中さんは気になさらないでください。シズちゃんが相変わらず暴力の権化なのがわるいだけですから」

「反省しろ!」

「楽しく飲んだのは本当なのにね。ベッドで吐いたゲロまで片付けてあげたのに!あー眠いなー!あ、だからってもう一発はいらないからね」

「…次そのこと言ったら真っ二つに割ってやるよ…!」


どうやら朝から静雄の顔色が悪いのは二日酔いと寝不足のせいらしく、折原君はそれをせっせと介抱していたらしい。昨日は折原君の家で泊まったらしく、そのためもあるかもしれないが、折原君は甲斐甲斐しい。…駄目だ。まだ少し「折原君は静雄の恋人」補正がかかっている気がする。自分だって、静雄に布団に吐かれたら片付けるだろうし、静雄が吐いていたら背中をさすってやるくらいはするだろう。しかも今彼等はほんの一時さえ離れられないのだし。そうだ。折原君が静雄にしたことは人として普通のことだ。わざわざとりたてることじゃない。一体俺はなにを補正しようとしているんだろうか。二三回ふるふると頭を振る。


「折原君、今日も来てもらったけど自分の仕事平気か?」
「大丈夫ですよ。なんだかんだ家でやってますし、いつも池袋に来てるのは殆ど趣味みたいなものなんで。勿論仕事の時もありますよ。だからシズちゃん、いい加減に邪魔するのやめてくれないかなあ?」

「俺が邪魔なんだったらブクロの仕事断ればいいだけの話だろ。寧ろそうしろ」

「断れるんだったらそうしてるよ。断れないんだよね。俺なんだかんだ人気者だからさ。文句だったらあそこの粟楠さんちにカチ込んできてよ」


ぴ、と折原君が指差したのは表札に『粟楠』と書かれた大きな屋敷だった。池袋に住んでいる人間だったら殆どが知っている、日本庭園の素敵な平家づくりの大きなおうちだ。中に住んでる人達が素敵というより無敵な感じだが。
彼らでも静雄にはなかなか勝てないらしく、静雄と粟楠会の因縁は深い。自分も一二回は連れ去られたりもした。自分の仕事もなかなか黒に近いなあとそれまでは思っていたが、彼らは完璧に真っ黒な世界の住人だった。グレーはグレーなりに領分を弁えなくてはならないと痛感した。
しかし静雄は別だ。そんなものは関係ない。だからこそ、流されるがままに、このグレーの中に紛れ込んでしまったのだが、逆に、黒の中だろうが白の中だろうが静雄は溶け込まない。自分達がグレースケールの中で生きているとしても、静雄は眩しい光の中で生きているのだろう。赤や黄色や、苛烈な色だ。でもそれは同時に凄く眩しい。そして、少し寂しいだろう。
もしかしたら、折原君も色のついている人間なのかもしれない。静雄とはまた違った意味で変わった人だ。それが、グレーや黒のモノクロの中でお互いにわかって、ひかれあって、二人が一組になって、

駄目だ。補正がかかっている。
朝のことが少しショックだったのかもしれない。いや、結構ショックだった。中学生の頃を知っているような昔なじみの後輩だから、自分の弟のように感じていたし、なにより静雄は助けてやりたいと思わせるような、人の心に訴えるような悲しい目をたまにする。それが人の保護欲を刺激するのだ。そんな後輩に恋人ができて、嬉しいような悲しいような、不安なような感じを掻き立てられて、どうしたらいいかよくわからなかった。親になったら、必ずこんな思いをするのだろうが、生憎と自分にはまだ息子も娘もいないし、自分の結婚報告もまだまだ先になりそうなのだ。なんで今からこんな思いをしなくちゃいけないのか。


「お前が行ってきてついでに一遍死んでこい!このノミ蟲が!」


まあでも、静雄は大事な弟分だし、大事な後輩だし、心配するくらいの迷惑はかけたって構わないだろう。静雄のことが心配になるくらい、お前には幸せになってもらいたいと思う迷惑くらい、笑って被ってくれなきゃこまる。怒ってくれたっていい。ちゃんと心配してることとか、自分が大切にされているのとかをわかってくれていればそれでいい。自分のまわりにいる人間の幸せくらい勝手に願わせてくれ。


「まあ、いいじゃねえか。仕事いこうぜ。今日のはめんどくさいぞ」

「あ、こいつ行政書士ですね。ってことはあったまわるいシズちゃんは黙ってるのが得策だね!あんまり脅しみたいなことしてるとこいつの勤め先の弁護士出てきちゃうよ。それが嫌ならあの取り立て態度変えるんだね」

「うるせえな!俺だって脅しみてえなことしなくったって回収出来るんだよ!」

「そーかなー?そうなんですか?田中さん」

「あー…」


だけれど、いつか静雄は自分から離れていくだろう。それはそうだ。俺と静雄はそんなにすごい関係性があるわけじゃない。ただ、同じ中学に通っていて、たまたま出会って、それで今もたまたま同じ職場で働いているだけだ。きっといつか自分と静雄は離れる。自分からか、静雄からかはわからないけど。この先に訪れるものは自分も静雄も変わらず、きっと折原君だってそれは変わらないのだろう。だからせめてそれまでは、自分が見送る最後の別れの時までは彼らの幸せそうな顔を見ていたい。


「そうだなあ。静雄、もっとがんばれんべ?もし、俺が居なくなっても、そしたら今度は自分の後輩に教える分までやってやらなきゃいけねえんだからさ」


だけれど、まあまずはこのかわいい後輩に甘えられたいと思う。まだ甘えることが出来ない、甘えるということを知らない後輩に、甘えることをおしえてやれたら、それまでは別れなど考えなくてもいいだろう。


「だから、まあ、今日のは俺に任せとけって!よく見てろよ」


静雄をみる。いつか、自分のことを投げやりに考えないようになれたら、人に甘えられるようになれたら、人を愛して人に愛されるようになったら。そんなことが出来るようになるまで、しばらくは見守っていてやりたい。だってまだまだ弟分の印象が抜け切らないのだから。
ちら、と折原君と静雄の間を見遣る。

静雄と折原君の手は相変わらず恋人繋ぎだ。あれだけ騒いだって、繋いだ手を離すことなんてない。静雄はなんだかんだ言っていても嘘が付けない。あの引っ張る力の規則だって、折原君に知られたくなくてわからないふりをしたのだろう。折原君も、なにをどこまで知っているんだか。彼は逆に素直になれないのかもしれない。これも補正だろうか。何に対してか。それはきっと、静雄がそう望むだろう方向だろう。


ああ、掌が冷たいなあ。寒さにはあ、と白い息を吐きながら、静雄に笑いかけた。くく、と引っ張られる感覚がして、静雄に引っ張られる。

温かい。








トムさんの前では折原が空気でも仕方がない。

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