神様は俺を指差して笑った6




瞼を眼窩に沿ってゆっくりと撫でる。薄い瞼だ。眼球の弾力を指で感じる。愛しい愛しい、瞼。彼にまつわるもので愛しさを伴わないものなどない。大きな獣を抱き込みながら、その獣が腕の中にいる奇跡をかみしめた。
ねえ、俺は、他のなにを捨てたってかまわない。夜ごはんも、ワインも、約束も、自分の感情だって捨てても構わないよ。だけれど、俺のことをいつも一番に考えてくれなきゃだめだよ。いつでも、いつまでだって一緒にいたい。体だけじゃだめだ。今まで何もかも捨ててきた。深く強く君の中に残るためだ。あのね、シズちゃん。本当は聞いてほしい。だけれど、それはできないから今言うね。


「    」


電気の付いていない夜のベッドルームには何の音も響かない。自分の言葉は音になる前に彼の眠りに連れられていった。
彼の体を抱きしめる。たった一度だけのつもりで、だけれど直ぐに次のことまで考えてしまう。この密やかな抱擁を、一体あと何度交せるだろうか。永遠には続かないだろう。きっとすぐにその時は訪れる。体だけではだめだが、それだけだったのなら、もう、本当に、殺してしまえばいいのだ。
自分は、彼がずっと幸せに、だけど自分を忘れることなく生きてほしい。それが自分の本当に唯一の望みだ。彼のそばにいるのは、彼に好きになってもらうのは、きっととても簡単なことだろう。だけれど、それじゃあ、自分が消えて、何年かしたらきっと他の誰かにその場所を奪われて、きっと彼は、自分を忘れてしまうだろう。そんなのは嫌だった。自分はいつまでも彼と一緒に居たいのだ。だからこそ、彼が自分を殺したいほど憎んで、それなのに同時に自分を好きになってくれるように彼のことを考えて考えて、考え抜いて、やっと起こした作戦だった。命を賭けて彼の怒りを買いに行って、それでも絶対に命にかかわる怪我だけはしないように気をつけた。だって、そうなってしまったら彼は酷く傷ついてしまう。自分が弱いものであると知れてしまったら、彼はどんなに自分を憎んでいたとしても自分に構うことをやめてしまうだろう。それだけは嫌だ。そうしたら、彼の中に居られない。再起不能なほどの傷を負わせたって、そんなトラウマ、なんの拍子で治ってしまうかわからない。そんな脆弱なものになりたくなかった。自分は彼に、いつまでも憎さと愛しさの両方を向けられる存在でいたい。そうしなければずっと彼とは居られないのだ。

だからこそ、今日の彼の様子は許せなかった。自分が話し掛けているのに、あんなにも凪いだ顔でいるだなんて、あんなにも穏やかに話すなんて。ねえシズちゃん、君は俺が好きでしょう?俺を殺したいくらいに憎いでしょう?そうだって言ってくれなきゃわからない顔だったよ。お願いだよ、お願いだから俺を忘れたりしないで。

身勝手極まりない願いなのはわかっているが、もう他に望むものなどない。そのためならなにを犠牲にしたって少しも惜しくない。だから、この不安だけは、どうにか拭い去ってほしい。


「シズちゃん…」


体を離して、代わりに指を絡ませる。この手が離れれば、きっと彼と抱き合うことができる。だけれど、それだけじゃだめだ。それだけでは足りない。
それでも、何故自分はこんなことをしているのだろう。自分の感情さえ捨てると言ったのに。


「俺って、本当に、だめなやつだ…!」


捨て切れない感情が彼を縛っている自覚がある。彼の幸せを願うと言いながら、彼に自分以外の人間が近付くのが許せない。こんなのは、彼のためになんてならない。自分のエゴ以外なんでもない。自分は最低だ。今まで何人もの人々から言われてきた言葉が蘇る。自分は最低だ。最低だ。
握る手を緩める。放す。彼の不思議な引力は自分をその体に引き寄せる。救いなんてない。だけれど、自分の胸を打つ温かな慰めはある。これで十分だ。救いなんて、あったとしても願い下げだ。そんなのは、自分のやったことに責任を感じられないやつが頼ればいい。自分は最低だ。最低なことをしてきたし、最低なことをしている。いつまでもいつまでも彼を苦しめて、その苦しみから彼を逃がさない。いつか彼がそれに気がついて、自分を責めた時には、自分が出来るかぎりのことをしてあげるけれど、そんな日がいつまでも来なければいいと思っている。ずっとずっと気がつかず、ずっと自分を追い掛けていてほしい。自分が死んだそのあとも。だけれどそのためには自分が彼のそばに居てはだめだ。自分はいつか消えなきゃいけない。

指を絡めて、ぎゅっと手を握る。ばっ、と体を離す。握った手を見る。温かな掌だった。離すのが、到底無理だと思ってしまうほどに温かな、確かな温度だった。


「…シズちゃん……」


この世界にもしも神が居たのなら、それはなんて酷い奴なんだろう。俺のこの思いは、さぞかし滑稽な喜劇だろう。こんなにも温かな体温を自分から捨てなくちゃいけない。裏切らないといけない。そうしなかったら、自分はいつか忘れ去られる、そんなに弱い人間なのだ。なんでこんな温度を知ってしまったんだろう。人間は、やろうと思えばなんだって出来るようになる。だけどそれが出来るようになるまでの辛さに耐え切れなくて出来ないと言っているだけなのだ。自分が今まで乗り越えてきたことなんて、何ていうことじゃなかった。彼の体にふれて、彼をこんなにも感じて、その前から消える恐怖を初めて実感した。こんな恐ろしいことを自分はしようとしているのだ。こんなにも愛おしいものを自分の腕の中から引きはがすのだ。


「ん…」


いつの間にか力を込めすぎていたらしい。ゆったりと絡められていただけだった手が緩く握り返される。約束していた一時間はとうに過ぎてしまった。このまま寝かしてしまったほうが、明日の仕事に向かうにはいいかもしれない。起こしてしまえば今日はもう眠れないだろう。


「ねてな。シズちゃん。起きたら、もう寝れないよ?」


うとうととしていたところに声をかける。瞼が開く。だけどまだどこかぼんやりした顔でこちらを見上げている。


「…ごはん、食べる?」

「おまえ、一時間って言ったよな?」

「どうだったかな?俺も仕事に夢中になってて気がつかなかったよ」

「ハラ減ってねえの?」

「そういえば減ってるかもね」


んん、と軽く唸って彼が起き上がる。絡められた指にはまだ気がついていない。力を込めて、腕を引く。握り合わせた掌を親指で撫でる。だけれど、彼はちらりとその手を見ただけで、他になにも反応を返さなかった。穏やかで、静かで、それは恐怖ととてもよく似た音をして背中を駆け上がる。


「臨也、メシにしよう。ハラ減ったわ」

「シズちゃんは勝手だなあ。全く…敵わないね」


腕を引いて、彼を抱き寄せる。背中を撫でると、それは抱きしめているのと変わらない体勢だ。だけれど、彼はなにも言わず、なにも返さない。恐怖と焦燥が駆け巡る。だけれど、誰もなにも喋らない。振りほどかれないことが唯一の慰めだが、もたれ掛かっても来ないことに苛々した。彼の気持ちがわからない。こんな当たり前のことさえも自分は知らなかったのだ。
背中を撫でる手を離す。


「ごはんにしよっか」


彼はそれに曖昧に頷くと、引かれる手に連れられてキッチンへと歩きだす。自分は、彼が手を組み直そうとしないことになんて気がついていなかった。彼が、どんな気持ちでそれを見ていたかなんて、尚更気づくはずもなかった。自分は、いつも肝心なところを見逃している。自分のことばかりに精一杯だ。









それ無関心やない!シズデレや!折原気付け!!

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