コム ミゼリー
2011/03/24 02:09

折原は惨めになってもらう

何故かというと、彼のやってきたことにたいして「平等」という人間にそなわった概念を用いたいからである。

なぜ平等という概念を人間がもつと私が断言するかというと、自然の持つ平等は、すべてのものからその生の意味をうばうからである。平等に不平等であることこそが自然の持つ唯一の平等であり、それは論理的に推測することで何一つ平等とはいえない。
例えば、鳥と人とは平等に生をもつが、ある伝染病が流行った場合、人には害であり鳥には無害であることがある。その逆も然りである。更に、人は知識という空間の概念を時間の中に移す技術によってその疫病を回避することも出来る。もしくは、罹患したとしても治癒することが可能である。または、治療せずとも「奇跡的」に治ることもあるし、発症しないこともある。
自然は、不平等である。

動物はそれを知っているのかいないのかわからない。なのでそれについて明言しない。しかし、人間はそれを知っている。自然というものは万物に等しく不平等である。勿論それは大観すれば平等であるが、では、それが私についてのことであればどうだろうか。

その自然の平等は私の鼻先に突き付けられているのである。生きるか死ぬか、それはいつでも私が踏み出す地面の先にあり、吸い込む空気の一部であり、もっと切実に感じたいのなら動物性のタンパク質を食べることをおすすめする。私が口に含む肉は私自身かもしれなかったのだとよくよくおわかりになることと思う。

人間は人間を食べない。
それは人間の世界のなかではあたりまえのことである。それこそがまず不平等の原点である。そこは、自然の世界である。だから詳しくいえば、地球の生物の世界の第一原則であり、人間の肉の世界のルールである。人間は、肉を持たなければ精神を持たない。少なくとも、いまここに表記される世界のなかでは持たない。
ここで表記される世界では、私たちは精神の世界も持っている。肉と相互に関係しあい、影響しあうものの、私たちは人間であり、それはただの肉として精神を持たない頃から精神を持つことを定められている。私たちの体の気管と食道が繋がっていることは周知のとおりであるが、他の動物の器官は別離していることを知っている人はあまりいないだろう。
動物が精神を持たないというわけではない。そこは動物でないのでわからない。しかし、少なくとも人間は食べたものによって気道が確保出来なくなるという危険を侵してでも言葉というものを使うことを定められているということを私は言いたいだけである。言葉というものによって他者と繋がるツールが用意されているのである。

言葉に関しては人間のみが持つものだといえる。我々がそのように定義したためである。人間が人間と繋がるツールである。しかもそれはただのツールにはとどまらない。使用者の精神を組み立てるのにも使われる。精神の世界は言葉によって組み立てられる。言葉がないままの世界は展望を見せない。精神の世界はある種の虚構である。嘘であり、物語である。そしてそれは言葉の基本性質によって他者を求める。
(A:言葉は他者と繋がるツールである
B:精神は言葉から作られる
AとBにより、
C:精神は他者を求める
という結論が得られる。)

なぜ精神と言葉は密接に関係するのかを説明していないが、それはもういっそ省く。時間が入ってくると文字数が足りない。


ともかく、肉の世界は私たちを不平等の中に叩き込んでいる。これは逃れられない。しかし、精神の世界は不平等なことはない。それは頭の回転や、生きてきた経験の量とは関係しない。それは肉の世界のことだから。肉の世界は常に生と死の不平等がつきまとう。それらはそれに付随するだけである。しかし精神の世界は全員が生きている。生死の区別がない。精神は生きる。伝統や地域や言葉や記憶のなかで精神は、個として残ることもあれば種としてしか残らないこともあるが、それでも生きる。私たちは常に誰かの精神を引き継いで生きている。私たちは、長い年月のなかで淘汰されつつしぶとく残る。最後の一人が死ぬまで生きる。
それが自然によって殺されない、自然の不平等を逃れる努力であると言えるだろう。自然は大局的には平等である、個にとっては不平等でしかない。個は逃れる努力をするほかないのだ。私たちは常に追われている。

だから、私たちは不条理なものをみると怖いのだ。それは死の臭いを漂わせるからだ。それは、行き過ぎた幸福も行き過ぎた不幸も同様だ。地道で確実な積み重ねの上、もしくはそうだと感じられる幸福の上、あるいは当然だと我慢できる不幸の上でしか安心して眠ることが出来ない。勿論それが、思い込みであることはかわりない。本当は死は常に切っ先を鼻に突き付けているのだから。
しかし、この思い込み、あるいはこの思い込みに追い縋りたい気持ちは強いのだ。だから、人は不平等を嫌い、平等を求める。


この人間的な機能に従い、私は作中の折原を許すわけにはいかない。
あ、デュラ本編はまったく関係ないです。成田先生はかっこいい折原をもっと書いてほしい…////ドMの血が騒ぐううううう////
そういえばドMってまた違う構造してますよね。あれは肉の影響の強い精神構造なのかな?


あんまり書くと読む必要がなくなっちゃうんですが、私、折原にかなり夢を見ているので、自分が静雄になにをしたのかわかっていてほしいんですよね。それで、自分が静雄から愛されないのも当然だ、って受け入れてるところがあって然るべき。それと同時に、自分がこれ程までに静雄に執着していて好きなのに静雄はどうしてにべもなく自分を無視するのか、っていう怒りに狂ったところもあっていいとおもう。その相剋で悩んで、絶望して、その状態って惨めですけど、四字熟語でいうなら自業自得ですよね。もっと言ってしまえば自業自得だからこそより惨めだとおもう。


そこらへんきちっと書きたいから、折原は次の作品では惨めです。


最初のほうの2000字は、威嚇だとおもう。



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