標的11



「あれ? 今日は山本くん居ないの。綱吉くんどこにいったか知らない?」

「さあ、オレにはちょっと……」

「そっかー、ありがとう」


 特に用事があるというわけではないけど、山本くんが居ないってことは、どこかで野球の練習でもしているのか。いつでもどこでも明るく、クラスの人気者。そんな彼と打ち解けるのに、入学式からかかった日は浅かった。何か話をふると笑って返してくれるし、真剣になるときはとことん真剣になって物事にあたる。山本くんみたいな好青年はそうそういないと思う。わたしから話しかけるときもあれば、その逆もまた然り。山本くんとはそんな関係。
 バンッと乱暴に扉が開かれる音が聞こえた。


「――蓮華っ!!」


 ぼうっとしていると、クラスメイトから切羽詰まったような声がかかる。思考を止めてその声に、どうしたのと返す。いつの間にか教室の中はガラリと人が居なくなっていて、隣にいたはずの綱吉くんも居なくなっていた。焦っているクラスメイトの、「山本が――」と続く言葉に、わたしは。



―――*−*−*―――



 それは、いつの日のことだったか。きっかけは蓮華が普段通りに、『先輩』の命ずるままに雑用をこなしていたことで。始まりは教室に普段の快活さの欠片もない酷く浮かない顔をしている彼を見つけたところからだった。ここで大事なのは蓮華が用事があるのは人のいない教室にあるという点で。何も聞かず、何もせずに追い出してしまうことも可能であるし、事実そうしてしまった方が厄介事をしょい込むことにならずに済むだろうなぁ、なんて考えてしまう。しかして平生とは違う彼の姿が目に入ってしまったからには、見なかったことにする選択肢を選ぶのはためらわれた。


「放課後のこの時間に、山本くんが教室にいるのってめずらしいね」

「……っ蓮華!?」


 扉付近から話しかけると、彼はとても驚いたようで、びくりと肩をはね上げさせた。蓮華の姿を目にとめると、徐々に落ち着きを取り戻していく。部活はどうしたの? なんて無粋なことは今聞くことではないだろう。山本が落ちつくのを待ちながら、


「そんな、人をおばけか何かみたいに。びっくりさせちゃったみたいでごめんね」

「ちょっと考え事しててさ……悪い。蓮華は何してんだ、忘れ物か?」

「わたしはちょっと先輩のパシ――、いや、うん。そう、忘れものを取りに来たんだよ。わたしは忘れものを取りに来ましたッ!」

「お……、おう」


 場違いなほど明るく、声を荒げる蓮華に若干引きつつも、そうかと返事を返した。戸締りをしに来たと目的を話したところで、山本はきっと彼女に気を遣うだろう。今はそうさせるべき時ではない。ならば丸々と肯定してしまうのも有りなのではないか。
 ゆっくりと自席へと歩きながら、蓮華は彼の方へと視線をやった。人前で『暗さ』なんてものを滅多に見せない山本が、再び瞳に淀みを浮かべていた。少なくとも蓮華が山本のそういった面を見たことは、今が初めてだ。机の中を覗き込みながら、「あれ?」と首を傾げる。


「ここにあると思ったんだけど、無いみたい。おっかしいなぁ」


 何かを探すふりをしながら。ごそごそと机の中をあさってみる。当然のことながら、何も見つかりはしない。


「……」


 互いの間におりた沈黙に気楽さなどない。毎日のように、教室の中でふざけ合うのが嘘みたいに、ただよう空気はひたすらに厳粛であって。きっかけは与えてやったとばかりの態度の彼女に、折れたのは山本だった。まずは浅く息を吸い込み、一呼吸。


「――なあ」


 蓮華はジェスチャーをやめて、覗き込む顔を山本へと向けた。ひたりと目を合わせると、山本が何かを躊躇するように感じられた。どうしたの、山本くんと声をかけるにも、蓮華はそこでどういう声を出していいのかが分からない。



「いきなり、言われても困るかもしんないんだけどさ……、最近、上手くいってねぇんだ。いくら練習しても、落ちっぱなし」

「…………」

「こんなこと初めてでどうしたらいいか、分かんないんだ。どうしても、上手くいかない――蓮華、オレ、どうしたらいいと思う……?」


 ぽつりと呟かれる、主語が抜けている言葉。だけど蓮華には、山本が何で悩んでいるかということが手に取るように分かった。山本が最も大事にしているのは野球だし、彼にここまで悲痛な顔をさせることが出来るのはおそらくは。だからこそ真剣にならねばならない。現時点で自分に出来る最高の答えを、と考える。


「わりー、やっぱ今の」

「ああ、違うって。ごめん、引いたとかじゃなくて……わたしがそれに答えたとして、山本くんが悩んでることが解決するとは限らないけど、それでいいなら」


 蓮華の手に、じわりと汗がにじむ。どうしても、上手くいかなかったら、どうすればいいか。返す答えは初めから決まっている。わたしは、そんな風に人に答えを話したりすることは苦手なのに。彼に口を割らせるような空気をつくったのは蓮華であるのに、頭の中ではやっぱり帰っちゃえば良かった、などと同時に反対のことを考えてしまうのだからこういうところが彼女の駄目な部分だと自分で感じる。巻き込まれたのも、巻き込んだのも自分であるのに彼女はいつも、これから彼に答える通りを実行する。


「逃げちゃえば、いいんだよ」

「逃げ、る……」


 努力をしたら? 何事も練習を続けることが、大事。そんな回答をどこかで予測していた彼は、軽く驚いた。優しい言葉でいかにもな夢を見せてくれそうなのに。全くもって逆のコタエが、それも彼女の口から出たということを意外に思う。


「そう。逃げる、わたしはね、逃げちゃうよ。何をしても上手くいかないときって、きっとどうあがいても上手くいかない。でもいつまでたっても、事態が進展しないってことは無いわけなんだけど……。そうすると、わたしのは逃げるよりも隠れてるのかもしれないなぁ。全力で隠れることが出来たら、気がついた時には事態が変わってるってのが実体験なんだけど、山本くんのに対応出来るかどうかはやっぱり分からないよ」


 事態が変わるということが、好転するだけを表すとは限らない。決して冷静とは言えない彼に、その可能性を示唆されないように。
 ――わたしの答えは、ずるい。
 そう、理解できているのにあたかもそれが正解であるかのように話し、諭す。


「逃げるっていってもさ、自棄を起こさないってことで。その場から居なくなることじゃなくってさ、たとえばしばらく休んでみたら? 押すだけが戦術じゃないし、逃げる――引くことだって立派だと思う。努力だけじゃどうにもならないことだって、一旦引いてみたら案外出来るようになったりするときもある」


 疲れちゃってるんだよ、そういうとき。モチベーションが低迷している中で最善の力を出そうとしても無理なんだよ。だから、逃げる。わたしの場合はだけどね。


「こんなときスパッと解決法を言えたらいいんだけど、あいにくわたしにはそれも無理みたい。長々と一人でしゃべっちゃってごめんね」

「そんなことないぜ、助かった。サンキュー」

「お、お礼まで言われるとはますます申し訳ないよ」


 それじゃあ、と手を軽く振って廊下へと足を向ける蓮華。その動きを山本は、おう、と返しながら目で追った。彼はむしろ相手の動向を窺わなければいけないのは、自分であるのに、彼女が終始探るような不安がるようなそんな瞳孔をしていることに気がついていた。だからこそ不思議に思った。


「蓮華なら、絶えず努力をする苦境に負けない心を持つことだ、って言うのかと思ったぜ」


 小さく誰にも聞こえないように。思わずといった感じで吐き出された言葉に、ぴくりと肩を揺らすが彼女の足は止まらなかった。そして今度は彼がそれに気づくことは無かった。







 ――どうしよう、施錠するの忘れてた。


 


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