サインコサインタンジェントという物を考え出したのは誰だ今すぐ出てこいぶん殴る。

苛々しすぎて血管が切れそうになるのを必死に堪えてペンを握る。放課後の学校は嫌になるくらいうるさい。外で野球部がノックをする音、ぷわーん、という調子外れなトランペットの音、他の教室で喋っている奴らの声…エトセトラエトセトラ。それら全部がひっくるまって苛々を募らせていく。


こんなところで補習プリントと向き合っているのには理由がある。定期テストの数学で少し――いやかなり――平均点を下回ってしまったのだ。


――むしろ、バレーのテストならよかったのに。それなら赤点どころか日向にも月島にも、誰にも負ける気がしない。余裕で学年1位を取れるのに。早く家に帰りてェ、そう思っていると目の前の奴に机をとんとん、と軽く叩かれた。


「ちょっと影山真面目にやってよ」
「…っせーな今からやるんだよ今から」


あーもう、なんでこいつと一緒なんだか。

名字は隣の席の女子だ。…まぁ正直、クラスの女子と話すことなんて年に数える程しかない俺は、もちろん名字とも殆ど話したことはない。同じ補習組になって初めて知ったが、口が減らない奴だ。


「なんでよりによって影山と一緒なのかなー…」
「こっちの台詞だっつの」
「何それ以心伝心?うわーやだやだ」
「もう黙ってやれよ」
「影山どこまで行ったの」
「…2枚目の裏」
「おっそ!影山クンこそ黙ってやれば?」
「うっせえ!そういうお前はどこまで行ったんだよ」
「1枚目の裏」
「それで胸張ってんじゃねえよ!!」


だってー、と机に貼り付く名字。ポニーテールにされた髪がさらり、机に広がった。


「影山サマのお出来にならないお三角関数はお得意ですので」
「その変な敬語ヤメロ」
「あーもう領域を図示せよ!とか意味分かんないしそれに不等号つくとかもうキャパオーバーですー。脳みそ沸騰しちゃいますー」
「分かんなくてもやるっきゃねえだろ、2人分揃えて提出しなきゃ帰れねーんだから早くしろ」
「影山今日部活あったの?」
「無いけどお前と違ってやること一杯あんだよ」


鼻で笑ってやると嫌味な奴、と舌をベっと出しながらも作業を再開する。…俺もとっとと終わらせよう。




紙と鉛筆の擦れる音しかしなくなってからどれ位経っただろうか、時々影山ここってどの公式使うんだっけ、と聞かれたり、こちらからも聞いたりしている甲斐あってか、最後の3枚目も裏にさしかかる。そういやコイツさっきから静かだなと名字を見遣ると、机に突っ伏していた。…寝てる。


「オイ寝てんな起きろ。起きて終わらせろ」
「んー…」


頭を軽く小突いても体をむずがらせるだけで起きない。にしても、気持ちよさそうに寝てんな、こいつ。俺は自主練したいのを我慢して勉強してるっていうのに。髪でも引っ張って起こしてやろうか、と手を伸ばして髪を掴む。自分のものとは違う細い髪に、少し躊躇った。手からするりと抜けていく感覚が心地よくて何度も繰り返していると、名字がぼんやりと目を開く。――慌てて髪から手を放した。


「…か、げやま?」
「お、おう。起きたか」
「んー…」


むにゃむにゃと口を動かしているが、開いた目はまた閉じている。寝ぼけている、のだろうか。


「さっきへんな夢みた」
「…どういう?」
「かげやまがさぁ、うれしそうにさぁ、わたしの頭なでてるの」



――心臓が止まるかと思った。



「ば、かじゃねーの!?俺がそんな事するか」


声は震えていなかっただろうか。必死に平静を装いつつ答えると、だよねぇ、と返事が返ってくる。…その声が少し、ほんの少しだけ沈んでいるように聞こえたのは気のせいだろうか。


「つか、起きたならやれって」
「もうおわってるし」


はぁ?とプリントを見てみると確かに、抜けもなく全ての欄が埋まっている。いつの間に追い抜かされてたのか全く分からない。驚くと同時に少し悔しさを感じる。領域が苦手なだけというのは伊達ではなかったらしい。


「…終わってたなら言えばよかったダロ」


2人分のプリントが揃っていれば事は足りるのだから、それを俺に渡して先に帰ってもよかったのだ。だが、名字はゆるゆるとかぶりを振った。


「だってさ、そしたら、私にかえれって、言うでしょ」
「まぁな」
「せっかくふたりなのに、もったいない」
「…は、あ?」
「こんなに、かげやまとしゃべったこと、ないし、」


まぁ、教室では基本的に寝てるからな。


「…起こせば、いい」
「やだ。むり。きらわれたくない」
「………」
「かげやまにきらわれたら、しんじゃう」
「―――…
 ……なん、で」


そんなことでは死なねえだろ、とか、確かに起こされたら機嫌悪いだろうけど嫌いはしないし、とか、――俺に嫌われたら死ぬってどういうことだよ、とか。言いたいことは山程あるのに言えたのはそれだけだった。息が苦しい。腹の方から何か分かんねえ熱が首を通って、耳と目を熱くする。全身を擽られているようにソワソワと落ち着かない。

それ以上何も言えずに黙っていると、目の前の名字から静かな寝息が聞こえてきた。
寝た、のか。言うだけ言って寝たというのか。


「…あああああ、クソッ!」


とにかく早くこのプリントを終わらせて、コイツを起こして提出しに行こう。さっきの質問の答えを問い詰めるのはそれからでも遅くない。


夕日を反射する黒髪を起こさないようにそっと撫でる。ふわり、名字の顔が緩んだ、気がした。








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title by 確かに恋だった(一部改変)



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