さよならまであと3秒 の後日談的な
単品でもほぼ問題ありません
 
 
 
 
「どうぞ、上がって」
「お、お邪魔します…!」
 
 
足を踏み入れると、真新しい部屋の匂いがした。
 
 
数日そっちにいます、と連絡して「じゃあ俺の部屋泊まる?」と誘われたのは1週間前のことだった。正直、ものすごくびっくりした。携帯を100回くらい見返した。見返して、やっぱり夢じゃない?って寝て、翌朝心配した先輩から急すぎたことを謝るメッセージが来て慌てて返信したのは記憶に新しい。

それくらい、わたしにとっての一大イベントが、きてしまった。去年の今頃付き合い初めてもう1年になるけど、先輩とゆっくり遊ぶ、なんて心の余裕は正直この1年なかったから。
 
――だから、先輩の家に上がるなんて、ガチガチになってしまうのも仕方ない。と思う。1Kの玄関先でどうしていいか分からず立ち尽くす私を、先輩は笑ってリビングの方に誘導してくれた。
 
 
「そんな緊張することないのに」
 
 
先輩は麦茶を注ぎながらそう気楽に言うけれど、そんなの無理に決まってる。何てったって、普段着。
今までジャージ姿ばかり見てきたからか、普段着の先輩はとてもお洒落で大人びて見えた。グラスを差し出す時、柔らかそうなシャツの襟元から覗いた鎖骨は――凶器だ。ふいに目が合いそうになって、思わず目をそらして、両手でグラスを握りしめた。

大学1年生と高校3年生。ほんの1年の差がここまで差を生むなんて、思ってもみなかった。
 
 
「で、新しい学校はどうだった?」

先輩はわたしの動揺なんて露知らず、いつもの素敵な笑顔でそう問いかける。

「…なんていうか、広かったです」
「はは、何それ」
「いやだって、全然実感が湧かなくて!」
「まぁ慣れてくると思うよ、俺も案内するし」
 
 
そう。春から私は、またスガ先輩の後輩になるのだ。
何で選んだか、と聞かれればまぁ学力とか、学部とか、距離とか、色々あったのだけれど…先輩が頑張る気力になったのは事実だ。
 
 
「学部違うし全然会えないだろうけど、何か役に立てそうなら言ってな?単位のことでも、それ以外でも。同じ一人暮らしだし」
「あ、近所のスーパー教えて欲しいです!」
「じゃあ夕飯の買出しついでに色々回ろうか」
 
 
力強く頷いてから気が付いた。そうか、一人暮らしなんだから自炊だよね、普通に考えて。ってことは先輩は毎日大学の後で料理・掃除・洗濯などなどをこなしてるってこと…!
思わず、改めて室内を見回した。ウッド系で纏められた室内はモデルルームかよって位に整理されている。この状態でキープするなんて、私なら絶対1ヶ月で断念する自信がある。
――女子力で彼女が彼氏に負けるって、どうよ。
 
 
「…先輩、また今度、家事を…家事を教えてください…」
「え、何かあった?」
 
 
目を真ん丸くした先輩は、わたしの理由を聞くと破顔した。
 
 
「俺だって、いつもはもっと気使ってないって」
「そうなんですか?」
「だって、初めて彼女を自分の、一人暮らしの家に上げるとかさぁ、」
 
そこまで言うと、わたしをちらりと見て、麦茶をあおって、目を笑ませて。
 
「俺だって緊張するよ。…普通に。」
 
その言葉が、私の心臓を握り潰したみたいだった。
 
 
「………」
「え?あれ、どうした?」
「…先輩、反則。イエローカード」
「なんで。気持ち悪かった?」
「気持ち悪くないけど、なんでそんなサラッと言えるんですか」
「だって本当だし」
「…もういいです」
 
 
これ以上この流れが続いたら、何だか、まずい気がする。わざと打ち切って俯くと、「ふーん?」と少し浮かれたような声が降ってきた。何かの気配に背筋がぞわっとする。
 
 
「家事教えてもいいけど、交換条件」
「何ですか?」
「先輩って呼ぶの、もうそろそろ止めない?」
 
 
拗ねた子供相手みたいに顔を覗き込まれた。その顔はニヤニヤ笑いを浮かべていて、ちょっと憎らしい。
 
 
「う…、菅原、さん」
「じゃなくて」
「す、スガさん」
「違うって。だから、分かるっしょ?」
 
 
ぐ、と言葉に詰まって見上げると、さっきの笑顔とは違う、なんていうか…剣呑な笑みがあった。
 
やさしい先輩はたまにこうして、少しだけ意地悪になる。この一年で知ったことだ。
分かるかと聞かれたらそりゃ分かるけど、実行できるかは大いなる別問題なのに。
もう一度恐る恐る顔をあげると、変わらず鳶色の瞳がじっと私を射抜いている。
 
 
「…先輩って、案外腹黒?」
「かもね。だめ?」
 
 
聞かなくても分かってるくせに、そう言って凄く凄く甘ったるく笑うから、本当に意地悪だ。
…ひとこと、ほんとに、ひとことだけなら、あるいは。
 
 
「――こ…っ」
「こ?」
「こ、う……」
 
 
ぱくぱくと、金魚のように口を動かす。もはや首まで熱い。絶対真っ赤になってる。
何これ、名前呼ぶってだけなのに。
何回も書いたり口に出したこともある、ほんの3文字。その『ほんの』の壁が、とてつもなく高くそびえ立つ。
 
 
「…ごめん、ちょっとふざけただけだから無理しなくてもいいよ」
「無理なんて!」
「その内呼んでくれたらいいし」
 
 
いつもの少し困ったような笑顔に戻って先輩は言うけれど、でもそれってつまり、今呼ばれたいって思ったから聞いたんじゃないの?
やるなら今だ。一度大きく深呼吸して、それから、ゆっくりと口を開く。

たった3文字、たった3文字だ。気合いを入れろ、わたし!
 
 
「………こ……うし、さん…?」
「………」
 
 
まさかの反応なし。
それどころか口を手で押さえてしまった。…何で?
 
 
「こ、孝支さん?」
「………」
 
 
すごいことに気付いた。
1回乗り越えたら意外と、いける。死ぬほど照れ臭いけど。でももう一回呼んでも返事は返ってこない。…なんで?どうしよう、もしかして呼び方がなにか違っただろうか。
 
 
「えっ、と、孝支先輩!…違うか、じゃあ…こ、孝支くん!」
「…も、いいから、ストップ」
「むぐっ」
 
 
口を手で荒々しく塞がれた。こんなに慌てた先輩なんて、初めて見る。えっ何が違ったんだろう。そう恐る恐る顔色を窺おうとすると、わたしの口を押えていた手が視界を阻んだ。
 
 
「えっ何これせん…孝支さん!?」
「…反則はどっちだよ…」
 
 
それってどういう意味、と聞くより早く、先輩の唇が降ってきた。
 
 
「……あの、」
「………」
「…顔、真っ赤ですけど」
「……ちょっと今見ないで」
「照れてるんですか!?」
「そりゃ照れもするよ!いや俺が呼んでって言ったんだけど!」
 
 
逆ギレに近いような感じで頭を抱える先輩は、さっきまでと違って何だか可愛い。頬が自然と緩んでしまう。
 
 
「ふふ、孝支さん、かわいい」
「…名前は本当ずるい」
「!!ふ、復讐はずるいと思います!」
「何で?俺だって名前で呼びたい」
「う…」
「あーもうこんな時間か。ほら名前、そろそろ買い物行くべー」
 
 
くるり振り返って、おいで、と両手を軽く広げて名前を呼ぶ、まるで犬か猫を呼ぶような動作。…これは絶対さっきの仕返しだ。ここで照れたら何だか負けみたいな気がして、わざと思いっきり抱きついた。
少しかたくて、わたしと同じくらい熱い胸板。
孝支さんの足元が少しぐらついて、思わず顔を見合わせて笑った。

…今は押され気味だけど、いつか逆転してやるんだ!
そう決意を込めて、そろりと袖を掴んだ。
 
 
「今日の夕ご飯何にしますか孝支さん。ってあっ…ふふ、なんか今の言い方ドラマに出てくる家族みたいになっちゃった」
「うっわだからそういうのさぁ!」
「どうかしました?」
「…何でもない。――本当、これから覚悟しといてよ」
 
 
2人とも1人暮らしなんて都合よすぎ、と嘆くように呟く意味はよく分からないけれど、これから楽しくなりそう。控えめに包まれた手をそっと握った。
 
 
 
 
 

 
 
-----
 
 
title by HENCE
無味さまフリリク
「さよならまであと3秒」続編


back
top





「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -