「…あ、あの、先輩!コンビニは…?」
 
 
菅原先輩はくるりと身をひるがえし、ポケットに手をつっこんだ。そこから出てきたのは、新品の可燃ごみ袋。驚いて受け取ると、先輩はしーっ、と自分の口の前で一本指を立ててみせる。
 
 
「ちょっと皆を騙してみた」
 
 
ああ、悪戯っぽく笑う顔も好きだなぁ、なんて。
 
 
「――なんで、こんな、」
 
 
そこまで言ったところで、頭に暖かな重みが加わった。先輩の手が、優しく私の髪を撫でる。
 
 
「名字さ、何か言いたいことないの」
「…そ、んなの、ない、です」
 
 
思わず俯いた頭の上から溜息が落ちてくる。
 
 
「2年。…ほんとに、丸2年毎日まいにち一緒にいたんだよ?分かんない訳ないだろ」
「………」
「思う存分ぶちまけていいよ、名字が引っ掛かってること何でも。
―――あっさては皆にばれるって思ってんだろ!はは、俺意外と口固いんよ?
もう、ただの、OBだし。しばらく皆にも会えないだろうし。誰にもバラさないから、」
「――…なんで」
「ん?」
「なんでそんな事、言うんですか」
 
 
もう、我慢なんて出来なかった。
 
 
「…っ私にとって、先輩はずっと烏野のセッター”菅原孝支”なんです!!【ただのOB】とか、そんな、…そんな枠組みに入る人じゃないんです!!」
「……うん、ありがとう」
「スガ先輩だって、大地先輩だって旭先輩だって潔子先輩だって、私の大好きな先輩で、仲間で…!!」
 
 
瞬間思い浮かぶ、先輩達の最後の試合。120%出し切った皆の凄いプレイ。終わった後の先輩たちの、清々しくて、ちょっと名残惜しそうな表情。
 
 
「俺もさ、名字のこと2年見てきたんだよ。大事な子だって――…大事な、後輩だって。そう思ってる。」
「……」
「もっと俺に頼ってよ、名字。我慢すんな。叫んでも泣きついてもいい。何でも受け止めるから――…だから最後くらい、いい先輩面させてよ」
 
 
お願いだから、そんなに穏やかな顔で『最後くらい』なんて言わないでほしい。
 
先輩の言葉で最後の試合とか、卒業式の音楽とか、さっきのパーティーの食べ残しとかが頭の中でぐるぐる回って、頭が真っ白になって。気が付いたら、先輩の腕の中にいた。暖かな、腕。何度も折れそうになりながら、烏野を3年間支えてきた腕だ。
 
せんぱい、と小さくつぶやくと、耳元でうん、と優しい返事が聞こえた。本当にどんな事でもいいのだろうか。ぼんやりと先輩を見上げたけれど、やっぱり変わらずに穏やかな顔で私を見ていて。引かれはしないだろうか、と仄かに思うのだけれど、もう頭の中の理性的な部分がマヒしている私は、乞われるまま口にした。
 
 
「せんぱい、さみしい、です」
 
「…うん、俺も淋しいよ」
 
「本当はこんなつもり なかったのに、」
 
「うん」
 
「分かってたんです、先輩3年生だから、見送らなきゃいけないの分かってたし、だからせめて笑顔でいようって、最後に楽しかったなぁってだけ覚えてて貰おうって、そう思って、なのに」
 
「うん」
 
「自分が自分じゃないみたい、で、おかしいんです。楽しいはずなのにさみしくて、つらくて、喋ったらそれが出ちゃいそうで、そんな自分が嫌で、」
 
「うん、」
 
「…も、どうしていいか、わかんない…!」
 
 
ああ、もう、むりだ。
 
何してるんだ、メソメソすんな。泣きやんで先輩を笑顔で送りだせ。
そう思う心も勿論あって、でも、頭の中はまだ先輩たちの笑顔がぐるぐるして、ぼんやりして、何も考えられない。止めどなく溢れる涙で、頬があつい。
 
スガ先輩のことが、すきだった。だいすきだった。やさしくて、脆そうに見えるのにとてもとてもつよい人。何度支えられてきたかなんて数えきれない。
 
でも明日からも学校は続くのに、もう先輩はいないんだ。商店街の人たちみたいに、いつも会えるわけじゃない人になる。龍たちの会話に困ったように笑う顔は、もうない。肩を濡らされているのに文句ひとつ言わず、逆に染み込ませるように寄せてくれる肩が優しすぎて、またぼろぼろと泣いてしまう。
 
思っていたことを全部吐き出して、子供みたいに声を上げて泣いた。しがみつく指先にギュッと力を込めると同じように力を入れて抱き返してくれたのが嬉しくて、少し高い肩に顔をうずめた。とてもとても長い間、脱水症状になるんじゃないかと思うくらい泣いて少し落ち着いた時、体が少し離されて、そっと涙を拭われる。固くてタコのある手が先輩らしくて安心した。
 
 
「…ちょっと落ち着いた?」
「は、い」
 
 
涙は止まったけれどしゃっくりみたいな呼吸は止まらないし、頭の中も霞が掛かったようにぼんやりしていて現実味がない。しがみついたまま、背中を優しくさすられながら呼吸を整える。思考がどんどんクリアになっていく。それにつれ、自分の行いを省みて叫びたい衝動に駆られた。涙の代わりに物凄い熱が顔を襲う。
 
私、いま、どういう状況なの、これ。
 
先輩が卒業するのが淋しいからって縋り付いて、泣いて、意味分かんない事を叫びまくって。そっと先輩の肩を見ると涙のせいでじっとり濡れて色が変わっていて恥ずかしさが増長する。ほんとう、私、何を叫んでるの…!今すぐ穴に潜りたい穴はどこだ!!自分で掘るしかないのか!!監督今すぐスコップ売って下さい!!今すぐ!!!と跳躍しまくりな発想を展開していると、先輩が覗き込んできてビクンと音がしそうな位体が跳ねた。まだ腰に手が回っているから顔が、近い。
 
 
「えっと、大丈夫?顔すごく赤いけど」
「え、あ、ありがとうございますすみません」
「別に謝られるような事されてないけどなぁ」
 
 
そう言って私の肩に顎を乗せる先輩。うわああああだから近いって…!!おかげで涙も全部どこかへ吹っ飛んでしまった。心音がどんどんどんどん加速して終わりがない。私今人生で一番心臓が動いてると思う。賭けてもいい。賭けてもいいから誰か助けて。意識した途端体が固まってしまったので、身じろぎひとつ出来やしない。
 
 
「…聞き間違いとか幻聴だったら申し訳ない、っていうか恥ずかしいんだけどさ、ちょっと確認してもいい?」
「は、い」
「――…名字って、その、…ほんとに、俺の事、好きなの?」
 
 
思わずへんな声が出た。
あとさっきの比じゃないくらい、ほんとに10cm程跳び上がりそうなくらい、体が跳ねた。なんで、それを、どうして、
 
 
「なっ…!そ、ど…!!」
「ええと言ってることは分からないけど、さっき、そう言ってた…ような気がして…」
 
 
嘘、でしょう。まさか思ってたこと全部口にしてたっていうのか。いくら先輩に言われたからってそんな、と思っていると、「あと今烏飼監督来たら死ぬほど恥ずかしいから勘弁してほしい」と一言。反射で口を固く押さえる。さあっと血の気が落ちていくのが自分で分かった。
 
どうしようどうしたらいいんだろう、やっぱり引かれてしまったかもしれない。先輩は『先輩だから』優しくしてくれているのに。先輩にこんなどろどろした感情、似合わない。
とにかく距離を取ろうとすると、強く引き寄せられる。さっきよりきつく抱き締められている、気がする。
 
 
「あのさ、否定しないなら、俺、勘違いするよ」
「え、あの、え?」
 
 
全く意味が分からない。離れようにも力が強くて首と肘から先しか動かせないし、何この状況。心音はもはやドラムロールの域に達している。もう、ほんと、今すぐ死んでもおかしくない。
 
 
「…俺らが引退してからさ、お守りくれたじゃんか。近所で買ったっていう」
「?はい」
「あれ大地とか他の3年にあげてないって本当?」
「……!!」
 
 
私の反応から察したのか、スガ先輩は深く溜息をついた。やっぱり呆れられたか引かれたのだろうか。だって、どうしても渡したかったんだもの…!
 
 
「そのお守りとかさ、さっき言ってたこととか、ホントもう…俺、名字は皆に優しいんだって、俺にだけ特別じゃないんだって思ってきたけど、もういいの?いい、よね」
「い、いいって?」
 
 
ううん、とかぶりを振る先輩。ようやく体が離されて、見上げた先輩は真剣な目で私の顔を見つめていた。心臓が一際大きな音を立てる。
 
 
「俺さ、名字が好きだよ。…ずっと、好きだった」
 
 
俯いた先輩の顔に影がかかり、泣き腫らした目元に柔らかな暖かみが落ちる。「ごめん、嫌だったら殴って」と言う先輩の耳はきっと、私と同じくらい赤くなっていて。
 
 
「…嫌なわけ、ないです」
「ほんとに?」
「ほんとに。…本当に私、スガ先輩のこと、す…っ」
 
 
何とか絞り出した声は、途中でやわらかなものに塞がれた。
力強い腕も、熱い頬も、くちびるも。
知らなかったせんぱいの一面に頭が一杯になった私がキャパオーバーでダウンしてしまうのは、ほんの少し後のおはなし。
 
 
 
 
 

 
(こんにちは、新しい関係性)
 
 
(菅原先輩ー名字先輩ーってあれ?西谷先輩こんなとこで何してるんですか?)
(黙れ日向バレる!!)

 
 
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title by 確かに恋だった



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