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人は複数の人間の真似をすると転びやすくなるのだ。

みょうじなまえ、生まれて十四年、人生ではじめての哲学ができた。
わたしは常日頃から色々な人に憧れて真似をして、追いかけ回している。自分が無いものを持っている人を見るとついつい自分もそれが欲しくなってくるのだ。

テレビの中のあの人、近所の美人な女子大生、歌が上手なあの人にクールでイケメンな男の子とか新聞部の後輩とか。

こんな感じにまだまだ指が二十本くらいないと全部数えきれない程の人を追いかけている。

軽く添えておくがわたしの言う追いかけるはストーキングとかそんな犯罪行為に走っちゃう追いかけるではなく、見よう見まねや知識でその人の良いところを自分のものにしようとする、ということだ。意味がわからなくても悟ってほしいのである。
とまぁ、真似をするということは、その人の後ろに立ち、背中を見ることでしか実現できないわけでして。だからわたしは追いかけると比喩することにしたのである。

さてさて、冒頭のわたしの哲学の話に戻ろうじゃあないか。
先に話したようにわたしは複数の人間を追いかけ過ぎて、軽く百は転んでしまっているのだ。この転ぶは実際に転ぶのではなく、これも比喩の内なのである。多分隠喩法なのである。意味はこれまた悟ってほしいのである。

懲りずにもう一回ワンモアタイムモーマンタイと言い聞かせ、二本しかない足の癖して、二十程の道を一斉に走る。まあ勿論転ぶ。
流石に百も転べば猪突猛進考えない馬鹿能無し女単細胞生物分裂しろアメーバ、と日々兄弟姉妹クラスメイトに先生おとんおかん、その他諸々に馬鹿にされるわたしでも学んだのだった。偉い。

というわけで色々善処する為に一つ銘を作り、少しずつ本当の自分を探すことにしたのだ。
今ふと思ったのだけれど本当の自分を探すだなんて何処の女性向け雑誌の見出しだ。かなり痛い、が。まあ若気の至り。
少しずつ自分を探す、つまり憧れの人を一人ずつ追いかけて、それから二つ三つと増やしていくつもりなのである。ごちゃごちゃな頭を掻き回して零にしてリスタート。新生みょうじなまえは賢いのだ。

ところで、だ。まず誰を追いかけようかとわたしは教室の椅子に座ったまま固まる。
どうしようどうしようと口をもごもごさせていたら、賢いみょうじなまえはぴんときた。自分の悪いところを挙げて、そこをなおす最も必要な何かを憧れの誰かの良いところを真似してなおそう。と考えたのだ。

「うーん、わたしって飽き性だしな〜なんか熱さってのが足りないよな〜。
そうだなぁー飽き性をなおそうか。」


ものの数秒で決まった。わたしは飽き性をなおすことにした。


すぐに飽きる、つまり熱血がわたしには足りないのだろう。幸いにもクラスメイトに熱血少年が居る。どっかのテニスプレイヤーとタメ張れるくらいの熱血少年だ。よっし、彼を模範にしよう。スッゲーマジでその熱血っぷりは憧れるわ。完璧じゃないか。計画通り。


おっと、言うのを忘れていたけど哲学を作った賢いわたしは追いかけるのを止め憧れの人と並ぶことにしたのだ。
並ぶというのは横に立つということだ。同じスタートラインに立ってみて、暫く同じ道を走って。そのあとに分かれ道で別れるカンケイを作りたいと思ったのだ。

以上のことを所々はしょったり付け加えたりして熱血サッカー少年円堂守くんに伝えたら「なんかよくわかんねえけど、みょうじは俺とサッカーしたいんだな!サッカーしようぜ!」と言われた。



ん?なんかちがくない?


こうしてわたしはサッカーの道に進むことになったのであった。







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