落合コーチとマネージャー 1

 最近、この新たにやってきたよそ者に、物申したいことがある。

「......マネージャー」
「............」
「マネージャー」

 現在、お昼の休憩時間でありグラウンドに人の気配はない。ベンチには落合コーチが一人、ぽつねんと座って、スマホのディスプレイに視線を落としていた。私はここへ忘れ物をしたから取りに戻っただけだ。

「私、マネージャーじゃありません」
「......君、ここのマネージャーでしょ?」
「だ、か、ら! 私は『マネージャー』って名前じゃなくて、れっきとした名字も名前もありますんで!」

 すると、私の剣幕にやっとのことでちらりとだけ視線を動かしたコーチ。けれどその顔には『めんどくさい』と、大きくはっきり書いてあった。

「君、アレでしょ」
「なんですか」
「長年ずっと連れ添ってきた夫婦なのに、ある日突然『私は“おい"じゃなくてちゃんと名前があるんです』って旦那に熟年離婚突きつけるタイプでしょ」
「......はい?......」
「いるんだよねぇ。そうやって溜め込むタイプ」
「なんですかそれ! 私まだ十代なのに、不吉なこと予言しないでくださいよ!」
「まぁ、例えだよ」

 コーチは再び、気だるそうにディスプレイを見る。私は気を取り直して、一応用件を聞いてやることにした。

「で、なんの用ですか」
「飲み物」
「え?」
「飲み物ないの」
「ありますけど」
「............」

 無言の中身を、あえて汲んでやるとすれば「じゃあ持ってきてよ」だろう。そこまで空気が読めないわけではないが、わざわざ気を回してやるのも癪だ。

「なんでいつもいつも私に頼むんですか。唯も幸子も春乃もいるのに」
「なんでかな。君が一番言いやすいから?」
「パシリやすいって言われてるみたいで、うれしくもなんともないです」
「それもそうか」

 ふむ、と顎に手を当てて何やら納得している。あいかわらず読めない人だ。
 だけどこれはいい機会かもしれないと思い、私は日頃密かに感じていたコーチへの印象を思いきって口にすることにした。

「落合コーチって、実は意外と人見知りだったりして――」

 するとほんの一瞬、一瞬だけ。私の言葉に落合コーチの表情が少しだけ変化した、ように見えた。

「君、抜けてるようでいて意外に鋭いね」
「『抜けている』は余計です」

 それからコーチは、大して面白くもなさそうにスマホを弄ぶように動かしたので、その画面が私にもちらりと見えた。ただ私は以前より、コーチがこのアプリを愛用していることをすでに知っていた。

「コーチは、いつもなに呟いてるんですか」
「君、私の呟きなんて知ってどうするの」
「ただの興味本位です」

 私が棒読みで言いきったので、話しても特に支障はないと思ったのか、コーチは素直に応えた。

「まぁ、その時思ったことかな」
「そのまんまですね」
「だいたいみんなそんなもんでしょ」

 そうですね、私はそう言ってちらりとその足元に視線をやった。その答えに納得しながらも、やっぱり私はこの足元に納得できなかった。もう9月なのに、一応はコーチという立派な肩書きなのに、短パンにビーサンってどういうことだ。

「その呟き......」
「ん?」
「ちょっとでもチームに向けたら、もっと溶けこめるんじゃないですか」
「ほぅ」

 するとコーチはまた顎へ手をやり、髭をちょいちょいいじりはじめた。その髭はちょびっとしていて、あまり威厳とかは感じられないけれど。
 暗にあなたはチームに馴染めていませんと、失礼極まりないことを言っているようなものだったが、コーチは特に気にする風でもない。

「それは真理だな」

 少なからず感心したような口調だった。
 思いのほかコーチが反応を示し、うまく丸めこめたみたいで少しだけ気分がいい。
 だけどすぐにコーチは、ただ、と切り返す。

「同じぐらいの気軽さで、トラブルがやってきそうな気はするがね」
「う、確かに......」

 この理屈でできてるような人を、なぜ自分はやりこめられると思ったのか。私もまだまだ子供らしい。でも、ここで引き下がるのも何かおもしろくなかった。

「じゃあ間を取って、私に話してみるのはどうですか?」
「君に?」
「はい」

 落合コーチの目が、今度ははっきり見開かれた。それは、表情の乏しいコーチが一番感情を表した瞬間のように見えた。あくまで見えただけ。
 それからコーチは俯いて、スマホをズボンのポケットにしまった。こちらを試すような口調で、じゃあ、と呟く。

「アクエリ飲みたい、なう」
「............」

 私は深々とため息をついて

「自分でいれろ、なう」

 しばらく沈黙が続いたあと、コーチは億劫そうに立ち上がった。そしてそのまま、のそのそとジャグが置いてある方へ歩きはじめる。頭に白いものが混じりはじめた中年の後ろ姿は妙に丸っこく、意外に愛嬌があるかもしれないと思った。


index / top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -