成孔と血のバレンタイン

 ある晴れた二月の早朝。ここは成孔学園野球部のグラウンドである。あと十分後に朝練が始まろうという時間、しかし、あたりは異様な熱気に包まれていた。それもそのはず、今日は部員たちの待ちに待ったあの日――バレンタインである。

「野郎どもー! マネージャーのチョコが欲しいかー!」

 成孔学園野球部のマネージャー、S子が赤い拡張機片手に声の限り周囲を煽る。S子は酒屋のケースをひっくり返してその上に乗り、仁王立ちしていた。

「おーーっ!!」

 それに応えるはS子の周りに群がる野球部員たち。早朝の爽やかなグラウンドに野太い部員たちの声が響き渡っていた。
 S子は満足げにうなずいたあと、用意していた紙袋を取り出した。その中身――小さなホイルカップに入ったチョコの上に、ナッツやカラースプレーでデコレーションされ、それが一つ一つ個包装されたもの。これはどこからどう見ても、量重視の義理用手作りチョコだ。
 S子は拡張機を足元に置き、チョコを掴んだ。それから一つ大きく息を吸い込んで、投球姿勢に入った。

「受け取れーー!」

 投げられたチョコに、部員たちが我先にと群がる。S子は次から次へと紙袋の中のチョコを部員めがけて投げていった。その様子はさながら神社の豆まきのようだ。
 食べ物を投げるなど言語道断。熊切監督あたりが怒りだしそうなことだが、当の監督はすでにS子から賄賂を受け取っているのであった。
 それにしても、筋肉自慢の部員たちが同様の目的に向かってぶつかり合うのはある意味壮観である。まだ身体つきが貧弱な者は、巨体の小川たちに簡単に吹き飛ばされ、みじめに尻餅をついていた。
 しかし、部員全員がこの馬鹿げた祭に参加していたわけではない。少し離れたところでこの群衆を遠巻きに眺める一人の部員――枡がいた。
 枡は、あまりにも馬鹿げたことがグラウンドで行われているのに腹を立て、一人ひたすらランニングをして我関せずのスタイルを通していた。
 馬鹿馬鹿しい。つーかなんだアレ? 豆まきかよ? 今日バレンタインだろ。ふざけやがって。
 枡は心の中で悪態をつき、ちらりと群衆に目をやる。
 去年もこの祭はS子の手によって開催され、部員たちに好評を博した。実はこのチョコ、一つだけ本命が隠れているとされ、それだけハート型になっているそうだ。だが、誰が受け取るかもわからないチョコに、本命も何もないのだが。

「枡さんは参加しないんスか?」

 すでに大量のチョコを抱えた小川が、走っていた枡に声をかけた。枡はランニングの姿勢を崩すことなく、

「しねーよ」

 にべもない返事である。
 そして、S子の手元チョコが最後の一つになったところで、投げる手が止められた。

「チョコはこれで最後……本命チョコを残すのみとなりました」

 S子が祭の盛り上がりとは裏腹な、落ち着いた声で言う。そしてS子は突然、走る枡に向かって叫んだ。

「枡はチョコいらないのー?」

 枡は間髪入れず、

「いらねーよ!」

 するとその返事を聞いたS子の口元に、怪しげな笑みが浮かぶ。だが走っている枡はそれに気づくはずもない。
 ところで、S子から枡までの距離は相当離れていた。枡は不参加の意思表示をするためあきらかな距離をとっていたのだが、彼は一つ失念していた。S子は運動部から勧誘が来るほど運動神経が良く、スポーツテストの女子ハンドボール投げでは学年で一位であったこと。
 S子が無言のままゆらりと投球姿勢に入り、それは放たれた――まっすぐ、枡に向かって。
 チョコは部員の群れの上を軽々と通過し、ピンポイントで枡の元へ。枡は枡で馬鹿らしいと思いながらも、生来のキャッチャーの本能が目覚めたのか、自身に向かってくるものは無意識にキャッチしてしまうらしい。チョコは枡の手の中に、きちんと収まった。

「……あ……?」

 枡も自身の行動に驚いていた。
 最初はS子の行動に唖然として動きを止めていた部員たちだったが、次第にざわつきはじめる。

「……枡」
「枡さん……」
「チョコなんていらねーって言ってたくせに……」

 部員の中から口々に飛び出す不満の声。
 長田の身体が、ゆらと枡の方を向いた。

「枡ぅ……。覚悟しろ……」

 その声を合図に、部員たちはいっせいに枡へと押し寄せる。その後、枡が血祭りに上げられたとか、逆に上げ返されたとか、なんとか。


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