眠るきみに秘密の愛を

 むかし、むかし――
 幼い頃、そうやって紡ぎだされる夢のような物語が大好きだった。どんなお姫様も例外なく自分に当てはめて、よく物語の世界へ飛び込んだ。その中でも、一番大好きだったあのお話。
 私は豪奢なベッドで、深い深い百年の眠りについている。そこへ現れた、桜色の髪の、涼しい目をした王子様。私は眠っているはずなのに、なぜか王子様が助けてくれることを知っていて、ドキドキうるさい胸の鼓動を抱えながらただひたすら待っている。
 はやく目覚めさせて。
 私の想いを受け入れたかのように、ゆっくり顔を寄せるその人。
 ようやっと私は、長い長い眠りから目覚めることができる――




「......ん」

 浅いまどろみの中をゆらゆら漂う。やけにリアルな夢だった。王子様の気配とか、唇の感触とか、思い出せばカッと熱くなるほどの感覚が、身体じゅうにじんわり残っていた。
 今、何時だっけ。朝なのか夕方なのか。学校はあるのかないのか。
 しばらくぼんやししながら、ようやく枕元の携帯の存在を思い出し、緩慢な動作で左側へと首をひねった。

「おはよう」
「............」

 目の前に唐突に現れた桜色。なぜか、あの王子様がいた。
 あれ、まだ夢の続き?
 私は一旦首を戻して天井を仰いだ。けれどそこには部屋の天井ではなく、すぐ目の前に木目調の何が支配していた。そう、これはベッド。おそらく二段ベッドの天井だ。
 ......二段ベッド?

「亮ちゃん?!」

 今の状況が嵐のように頭の中を駆け抜け、なかなか理解が追いつかない。
 ベッドのそばには、亮ちゃんがあいかわらずいつもの笑みを浮かべて座っていた。

「なんで? なんで亮ちゃんがここにいるの?」
「それはこっちのセリフ。ここ、俺と春市の部屋なんだけど」
「あっ!」

 そうだ、ここは小湊家の子供部屋だった。私は今の今まで、二段ベッドの下段でぐっすりと眠りこけていたんだ。

「えーと......、おかえり。それと、久しぶり」
「うん」

 かーっと顔じゅうが熱くなって、思わず掛け布団をたぐり寄せ、口許を覆う。けれど、こんな気休めみたいなことをしたって、目の前のこの人からは逃れることはできない。今だってほら、こんな恐ろしい笑みを貼りつけて、私の様子をうかがっている。

「なまえ、こんなとこでなにしてたの?」
「りょ、亮ちゃんの帰りを待ってた」
「人の布団の中で? いいご身分だねぇ」
「ごめんなさい......」

 幼なじみの小湊亮介こと亮ちゃんは、無事志望していた大学に合格し、先日卒業式を迎えた。今日は、ずっと家を出ていた亮ちゃんが、久しぶりに実家へ戻ってくる日だった。
 私にとっては、勝手知ったる小湊家。夕方六時頃帰宅するという旨をおばさんから聞いて、私はこの部屋でマンガを読みながら待っていた。でも途中からうとうとして、帰ってくるまではいいよねと自分に言い聞かせ、眠りに落ちてしまったのだ。
 私はもう一度、ごめん、と謝りながらベッドから出て亮ちゃんの隣へ座った。ベッドのへりにもたれると、背中には、もうすっかり馴染みのある木の硬い感触がした。

「俺のマンガ読んだでしょ」

 亮ちゃんが本棚へ視線を投げる。そこには、亮ちゃんのお気に入りのホラーや妖怪関係の書籍がずらりと並べられていた。

「う、うん。でも、なんでわかったの?」

 マンガは寝る前に、きちんと棚へ戻しておいたはずなのに。

「巻がきれいに並んでない。春市はこういうのちゃんとするからね」
「う......、すいません」

 亮ちゃんのいない淋しさを埋めるために、私はたびたびここへ来てこの蔵書を読みあさっていた。まぁ、未だにあまり好きになれないんだけれど。
 私は本棚から適当に一冊引き抜いて、ペラペラとめくった。亮ちゃんが何度も読んだせいか、お気に入りページにはクセがついていて、自然とそこが開くようになっている。

「この妖怪大辞典、昔すっごい怖かったなぁ」
「お姫さまの童話ばっか読んで妄想してたなまえには怖いだろうね」
「そこは夢見がちと言ってよ......。それに、これは今読んでも怖いよ」

 亮ちゃんはふっと小さく笑ってから、そうだ、と切りだした。

「確かなまえ、夜中にトイレ行けなくなっておねしょしたんだよね」
「なっ?! それはもう時効だよ! 春ちゃんだってすごく怖がってたくらいだし」
「そういえばよく、春市にトイレ起こされたっけ」

 そう呟き、どこか遠い目で、今はすでに持ち主の失ったこの部屋を眺めた。一応、春ちゃんが出て行った時のままにしてあるけれど、今はもう誰も使っていない。時々訪れる私を除いて。
 部屋の家具は、どこか少女らしいおばさんの趣味で、可愛らしい調度のものが多く、いかにも子供部屋という感じがする。

「春ちゃんはいいよ。下に亮ちゃんが寝てたから、トイレついてきてもらえたんだもん。二段ベッドって便利だよね」
「そう? 騒々しいだけだよ」
「そうかなぁ。私はひとりっ子だしうらやましかったけど」
「......なまえは、イビキのひどい人間の下で寝たことある?」

 亮ちゃんの言葉に、私はふるふると首を振る。

「春ちゃん......じゃないよね?」
「寮の先輩。一年の時のね」
「ああ」

 言われてみてはじめて合点がいった。亮ちゃんは物心ついた時からずっと、二段ベッドを使っていたことになるのか。

「地響きみたいにベッドを伝ってくんの」
「うそ〜」

 珍しくげんなりした顔で語る亮ちゃん。いくら気が強くて、言いたいことをきっぱり言う性格だからといって、先輩に逆らえるはずはないだろう。文句を言いたくて仕方ないのに、ぐっと我慢して布団をかぶる姿を想像すると、なんだかとても愛おしく思えてしまう。

「でも春から一人暮らしなんだし、ベッド買うんだよね。どんなのにするの?」
「別に。普通のシンプルなやつでいいよ」
「えー? ほら、もっとこう天蓋付きのベッドがいいとかないの?」
「それはなまえの趣味でしょ」

 私はそのツッコミを無視して、亮ちゃんの新たなベッドについて思いをはせていた。

「野球は続けるんだし、身体は大事だよね。うん、まずマットレスの固いのは避けるべきだよ」
「まぁそうだね」
「シーツは......そうだなぁ、リラックスできるような色がいいよね。ミントグリーンとかどう?」
「うん」
「............」

 実際に使うのは亮ちゃんなのに、当の本人はあまり乗り気じゃないみたいだ。なんでだろう。あいかわらず部屋をぼんやり眺める亮ちゃんの横顔を見つめながら、その時、ピンと何かがひらめいた。

「あ、そっか」

 私の言葉に、亮ちゃんは一瞬、いぶかしげにこちらへ視線をやる。

「なにが『そっか』なの?」
「亮ちゃん淋しいのかなと思って。ずっと誰かと一緒に寝てたのに、これから一人寝になるもんね」

 得意げに言ったあと隣を見ると、亮ちゃんはふと表情を止めて、私の顔を見つめていた。
 しまった。これは心底あきれている顔だ。
 このあとの展開はきっと、「バーカ」と一蹴されるか、脳天に死ぬほど痛いチョップを食らうかのどちらか。
 どっち? どっち? と、その表情を注意深く観察しながら、心の準備をしてひたすらその出方を待つ。亮ちゃんと付き合いの長い私は、避けるなんていう選択肢は選べないことを十分過ぎるほど知っているのだ。

「別に淋しくないよ」
「......え?」

 けれど、私に差し出されたのは、第三の選択肢だった。まったく予想していなかったその展開に、しばし呆然とする。いや、待て待て。あの性格からして、素直に引き下がるとは思えない。先ほどの緊張の糸を保ったまま、そうはいくかと慎重にその顔を覗きこんだその時ーー。

「きゃっ?!」

 突然、亮ちゃんは私の肩を抱き寄せ、耳のあたりへ顔を寄せた。

「......だって、なまえが一緒に寝てくれるんでしょ?」
「なっ?!」

 眠り姫、と、甘い囁きのおまけつき。
 隣から熱い何かが吹きこまれた気がして、慌てて火照った耳を押さえる。その反応がおもしろかったのか、亮ちゃんは満足そうに口の端を上げた。

「それに、恋人なんだから名前で呼びたいって言ったのなまえだよ」
「あ、えっと......」
「今度『亮ちゃん』って呼んだらチョップ百回ね」

 私の身体はもはや、沸き上がるような熱に侵されて、もう言葉を紡ぐことができず、ただ口をパクパクさせるばかり。
 そう、そうだ。この、やけに身に覚えのある熱は......

「亮介......、もしかしてさっき」
「なに?」

 あの鉄壁の微笑みを浮かべて、私を見つめ返す愛しの王子様。
 もし私の恥ずかしい妄想だったら、バカにされるのがオチだ。絶対に言えない。でも、やっぱりどうしても気になる。

「亮ちゃ〜ん、なまえちゃ〜ん。ごはんできたわよ〜」

 けれどその時、私の必死の思いを断つかのように、階下からおばさんののんきな声が飛んできた。
 それから亮ちゃんはクスリと笑って立ち上がり、すたすたと先に部屋を出て行ってしまった。

「もう、どっちなの......」

 その余韻に浸るように、思わず自身の肩を抱く。可愛らしい子供部屋には不釣り合いの、残り香のような、まだ熟しきれていないこの熱。
 眠り姫にとって本当の敵は、魔法使いではなく王子様なんじゃないか。もうずっと昔から、やっぱり読めないあの笑みを思い浮かべながら、ふいにそう思う。
 目覚めたあとが前途多難な眠り姫。それはまた、別のおはなし。

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