伝える、伝わる

「嘘っ?! 結城くんもう来てる?!」

 今日は結城くんとの待ちに待った初めてのデート。三年生になって付き合ってから数ヶ月経つけれど、結城くんは野球で忙しくてデートどころではなかった。けれど先月に部活を引退し、生活も落ち着いてきたためやっとのことでデートに至ったのだ。
 本日の予定は駅前で映画鑑賞。デートの定番だ。うれしすぎて浮かれていた私は、勢い余って待ち合わせ場所に三十分も早く到着してしまった。のに、その当の結城くんは、本を読みながら待ち合わせ場所の噴水前のベンチですでに待っている。

「なんで......?」

 今私が出て行ったら、デートで浮かれすぎて早く到着した恥ずかしい奴みたいじゃないか。まぁ、実際そうなんだけど。ああ、でも結城くんを待たせるわけには......!

「ゆ、結城くん! お、おまたせ!」

 けれど悩んだのはほんの一瞬のことで、やっぱり私は結城くんに声をかけた。

「ああ、みょうじ。来たか」

 結城くんは手元の本から顔を上げた。

「も、もしかして待った?」
「ああ、少しな」
「うそっ! ごめんね......」
「いや、俺が早く来すぎたんだ。今日は早い時間に目覚めてしまってな」
「あ、私もだよ」
「そうか。気が合うな」

 穏やかに微笑みながら本を閉じ立ち上がった。私は結城くんが読んでいた本が気になり、表紙をひょいと覗きこむ。

「『詰将棋集』?」
「これか?」
「うん。将棋の問題?」
「ああ、普段からこれをやってると本番で役に立つんだ」
「へぇ〜。勉強熱心だね」

 結城くんは鞄に本をしまい、私の顔をじいっと見つめた。

「え......? なに?」

 その凛々しい眼差しに私の鼓動が次第に早くなる。

「7六歩」
「え?」
「............」
「ごめん、私将棋よくわかんないや......」
「いや、いいんだ」
「でも、今度からちゃんと勉強するから! その時は......教えてほしいな」
「ああ、わかった」

 優しい眼差しで私を見下ろす結城くんを見て、もっともっと結城くんのことが知りたいと思ってしまう。

 私たちは映画館に向かって歩き出した。今日はぽかぽかした秋晴れの過ごしやすい気候で、あらゆるものが私たちを祝福してくれているような気がして心が弾む。しかも私服で会うのは今日が初めてだから、結城くんの雰囲気がいつもと少し違って見えた。

「なんか結城くんの私服って新鮮だよね」
「いつも制服だからな」
「あとユニフォームか」

 制服ともユニフォームとも違う。部活の時は「キャプテン」という肩書きを背負っていたから、ユニフォームなのにどこか大人びて見えたけれど、私服の結城くんは私の目にはどこか年相応に映った。結城くんは白のTシャツに黒っぽいシャツを羽織り、下はデニムを履いている。シンプルで飾り気のないスタイルが、結城くんにとてもよく似合っていた。

「本当は一番好きなTシャツを着たかったんだがな」

 結城くんは自身の胸のあたりに視線を落とした。

「一番好きなTシャツって?」
「白地で真ん中に『大将』って書いてあるんだ」
「え......『大将』?」
「今日出かけるのにあれを着て行くと言ったら、御幸に止められてな。亮介はあのTシャツに賛成してくれたんだが」
「へぇ......」

 おのれ小湊くんの奴、絶対楽しんでるな。でも御幸くんがいてくれてよかった。「御幸くんグッジョブ」と心の中で私は親指を立てる。

「でもその格好、すごく似合ってるよ」

 結城くんは、私の顔と自分の洋服を交互に見て私に微笑みかける。ああ、またこの笑顔。これを見ると私の心はきゅうっと音をたてて、うれしいような苦しいような気持ちになる。
 けれど、こんな天にも昇る楽しいやりとりをしながら、私は若干必死だった。なぜなら、結城くんの歩くペースが速すぎるからだ。おまけに今日の私は気合いを入れて少しヒールのあるパンプスを履いてきたから、余計に歩き辛かった。でも、楽しい雰囲気に水をさすようでなかなか言い出せない。
 そんなことをぼんやり考えていたら、ついに私の足がもつれてしまった。

「きゃっ!」

 バランスを崩した私を、結城くんはとっさに背中を支えて助けてくれる。

「ご、ごめん」
「いや、大丈夫か?」
「うん......」

 もう支えられた手は離れてしまったけれど、触れられたその感触がまだ背中に残っていて、そこから熱が全身に広がってくるみたいだった。

「もしかして歩くのが速かったか?」

 結城くんはやっと気づいた様子で、私の足元に視線をやった。

「うん、ちょっと。慣れない靴履いてきちゃったし」
「そうか、悪かった......」
「気にしないで! 大丈夫だから!」

 それからは私のペースに合わせるように、ゆっくりと歩いてくれる。

「今日のみょうじは亮介くらいだな」
「え? 小湊くん?」

 結城くんは私の頭の近くにすっと右手をやる。

「......もしかして身長?」
「ああ」
「......ぷっ」
「なんだ?」
「ううん、なんでもない」

 パンプスを見て大人っぽいとか言うんじゃなくて、チームメイトの名前が出てくるところが結城くんらしい。

「......今日は少し目線が近いな」
「あ、そうだね。私の身長高くなってるから」

 結城くんは「そうだな」と呟いて私とは反対側の遠くを見た。



 休日の映画館は、カップルや家族連れなど様々な人々で賑わっていた。私は映画のタイトルと開始時間が表示されたディスプレイを見上げる。今日は「映画を見に行こう」と約束しただけで何を見るかは決めていなかったけれど、私はひそかにタイトルを決めていた。

『初デートはやっぱ恋愛映画だ! 間違ってもホラーなんか選ぶんじゃねぇぞ』

 私は、昨日伊佐敷くんに相談に乗ってもらった時のアドバイスを思い出した。

「結城くん。この映画、今すごい人気なんだって」

 私は予定していた恋愛映画のポスターを指しながら隣を見る。けれどそこに結城くんの姿はなかった。キョロキョロと結城くんの姿を探すと、当の本人は後方に掲示されているポスターをじーっと凝視していた。

「『はぐれ狼』?」
「ああ、おもしろそうだと思ってな」

 ポスターからするに、明らかに恋愛とは無縁な、いわゆる時代劇というやつだった。数十年前に上映された作品のリメイクらしい。

『微妙な映画を見たあとは雰囲気最悪だぞ!』

 私はまた伊佐敷くんの言葉が頭に浮かんだ。これは微妙な映画の部類に入るのかな。でもあんな偉そうなことを言っているけれど、伊佐敷くんに彼女がいる気配は微塵もないからたぶん少女マンガの受け売りだろう。机上の空論というやつだ。私は心の中で伊佐敷くんに謝りながら結城くんの方を向いた。

「じゃあそれ見ようか」
「いいのか? みょうじの見たい映画でいいぞ」
「ううん。私、結城くんの好きなものもっといっぱい知りたいから」
「そうか......。ありがとう」

 館内のお客さんは案の定、年配の人たちが多かった。映画が始まると館内は薄暗くなり、隣の結城くんの表情は少しわかりにくい。暗闇だから、もしかして手を握られるんじゃないかとドキドキしていたけれど、私の期待をよそに、結城くんは映画に没頭していた。それを見た私は、自分の下心が恥ずかしくなって映画に集中した。



 映画が終わり、ひと休みするために近くのカフェへ入る。涼しい空調が、映画で興奮して火照った頬に心地よかった。私たちは席に着き早速映画の感想を交わし合う。

「すごい戦闘シーンだったね! 私あんまり時代劇見たことなかったけど興奮しちゃった」
「ああ、あの殺陣は見どころの一つだからな」

 想定していた恋愛映画で甘い雰囲気に、とはいかなかったけれど、映画はとてもおもしろく大満足だった。

「最後のシーンなんか感動しちゃって......」
「みょうじは泣いていたな」
「ええっ?! 結城くん気づいてたの?」
「ああ」

 てっきり映画に必死で私の方なんか見ていないと思っていた。結城くんにしては珍しく、私の表情を楽しんでいるような雰囲気で言葉を続ける。

「みょうじは表情が次々に変わるな。待ち合わせ場所に来た時は青かった」
「あれは結城くんを待たせたんじゃないかと思ったから......!」
「つまずいた時は赤かった」
「あ、あれは恥ずかしくて!」
「泣いていた時は......」
「......?」
「綺麗だった」

 私は何と言っていいかわからず、手持ち無沙汰になって目の前の冷たいカフェオレを口に含んだ。結城くんは、こんなくさいセリフをほとんど無意識で言っているんだろうなと思う。現に今は、テーブルに置いてあるザラメの入れ物の蓋を開けて、その中身を眺めたりしている。
 結城くんはいつだってポーカーフェイスだ。試合でどんなピンチの場面で打席がまわってきたって、一度も弱い顔を見せなかった。いつも振り回されて顔色を変えるのは私の方なんだ。
 気まずくなった私は話題をそらした。

「結城くん、髪伸びたよね」

 結城くんは自身の頭に手をやる。

「そうだな。引退してから少し気が緩んだのかもしれない。前は頻繁に切っていたんだが」
「そっか」
「丹波みたいに全部剃り上げたら手入れが楽だろうな」
「えっ?! 結城くん坊主にするの?」
「変か?」

 結城くんが不思議そうな顔で私に意見を求めてくる。本当は今のままでもいいけど、でも......

「ゆっ、結城くんがそうしたいならいいと思う!だって、結城くん自身がかっこいいからどんな髪型だって似合うと思うし。 あ、かっこいいって言うのは顔だけじゃなくてその心というか、魂というかっ......! ああ、もう、何言ってんだろ私。今のは忘れてー......」

 自分の意味不明な発言が恥ずかしくなり、私は顔を覆って下を向いた。こんなことを言ってしまって、もうまともに結城くんの顔を見ることができない。きっと今、結城くんは困った顔をしているだろう。
 けれどいつまでもこうしているわけにはいかないので、私は指の隙間からグラスの水滴がゆっくり落ちるのを静かに見守って、そっと目の前の様子を伺う。でも、その狭い視界から覗いた人物の顔が一瞬別人に見えて、私はとっさに手をどけた。

「ゆ、結城くん?」
「暑いな......」

 結城くんはそう呟いて、手元のアイスコーヒーを一気に飲み干した。むき出しになったブロック氷がカランと涼し気な音をたてる。

「ああ、ええと......」

 結城くんは眉根を下げ、アイスコーヒーのグラスを見つめた。その時、店員さんが近くを通ったので、「すみません」と声をかけて同じものを頼む。

「......えっと、ほんと暑いね」
「......そうだな」

 目の前の結城くんから心地よい熱が伝わって、私も思わずカフェオレに手を伸ばした。


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