盗人(ぬすびと)来たる

 私は獄中での一生を覚悟し、鼻歌を歌い始めた。とある大泥棒のテーマソング。
 今日は放課後のいつもの帰宅部によるくだらない遊び・ケイドロに、なぜか友達が野球部の倉持と彼を誘った。あんな運動馬鹿を誘うなんて、あの子も気が触れたのではないか。
 警察組の倉持は、韋駄天の名のごとく次々と成果を上げていた。私はその逮捕者第一号の泥棒で、今は仲間の助けを待っている。だがあいつがいると脱獄は困難だ。先程から仲間が来る気配は全くない。
 けれど予感は、あった。

「あつい...」

 まだ五月だというのに今日の暑さは異常だった。ギラギラした攻撃的な日差しは、私を溶かしてしまいそうなほどだ。リボンをゆるめ、シャツを第二ボタンまで開ける。その時、目の前でキラッと何かが光った。

「♪フンフフフーフンフンフーン」

 私は煩わしい日差しに顔をしかめながら鼻歌を続ける。先程から植木の陰より不自然な光が反射していた。彼の性格ならきっと来るだろう。
 猫のようにひっそりした足取りで向かってくる。日差しで彼の眼鏡は白く光っていた。

「待ってた!ルパン!」
「ははっ、俺のもみあげ見て言ってんじゃねぇよ」

 パンッと手を伸ばしタッチする。

「お前のこと不二子ちゃんなんて呼ばねぇからな」

 彼は呆れたように息をついた。

「そこまであつかましくない」

 私は己の寂しい胸板を見て言った。

「それとその曲、哲さんのだから」
「そうだっけ?」
「俺のは『♪狙い〜う〜ち〜』」

 小さく歌うその声は、地声より少し甘い。
 牢屋という名の、何も植えられていない花壇を抜ける。自由の身になった足はとても軽い。ただの遊びなのにこの開放感はなんだろう。

「倉持ってやっぱり足速いんだね〜」
「おい、あんま喋ってっとまた見つかるぞ」

 前を走る彼を見つめる。彼が連れ出してくれたせいだろうか。
 そのまま二人走り出したが、すぐに遠くにいる韋駄天に見つかった。再び囚われの身を覚悟し、彼と二手に別れようとした時、私の腕がぐんっと引っ張られた。
 こんな風のない日なのに、顔中にものすごい風を感じた。一気に中庭を駆け抜ける。眼前の彼の茶色っぽい髪は、跳ねては光って跳ねては光って、その刹那の全てが欲しいと思うくらい綺麗だ。
 ぐんぐんぐんぐん加速する。周りの木々や校舎や人の色が混ざりあって混ざりあって複雑に色を変えながら私の視界を過ぎていく。第二ボタンまで開けた胸元が快感だ。私の足が私の限界を超えて機械的に動く。自分の能力がギリギリまで引き出されるような手応え。全身が初めての感覚にゾクゾクした。彼とバッテリーを組む投手はいつもこんな気持ちなのだろうか。
 でも、限界はいつか訪れる。



「っはぁはあ、もう無理っ」

 彼は私の腕をゆっくり離す。もう校門近くまで来ていた。

「はは、エリア超えちまったな」
「そうだね」

 そんな事とうの昔に気付いていた。私達は殺人的な太陽の下、向かい合う。

「脱獄成功」

 涼しい顔の彼に、共犯者の顔で言う。
 すると彼は意外そうに眉を寄せた。

「不二子ちゃんなんて呼ばねぇって言っただろ?なまえ。お前は俺が盗んだんだから」

 一瞬周りがサイレント映画のごとく無音になった。景色は白黒で静止している。
 ああ、なんて事だろう。自由の身だと思っていた私は彼に所有されていたのか。
けれど悪くない、と思う。とても。驚くほど気障な台詞も、彼の形のいい唇から放たれるとごく自然に響く。
 こんな健康的な太陽の下、球児の彼の笑顔が妖しく映るのは、きっと私の目がおかしいのだろう。
 校舎の時計に目をやる。彼の部活まであと15分だ。
 彼の双眸が不思議な色を放ちながら私を捉えて離さない。私の心は打ち震える。





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