愚かものたちと夜

 ※倉持、夢主が結婚していて子供がいる設定です。苦手な方は閲覧をお控えくださいませ。

 あなたはサンタさんをいくつまで信じていましたか?
 私の答えは小三まで、だ。よくもまぁ、そんなに大きくなるまで信じていられたものだと思う。だからこれは、ちょっぴり夢見がちな両親のおかげでもある。そのため幼い私は、両親同様に夢見がちで、ある時クラスの男子にサンタの正体を知らされ、深く傷つき、こっぴどく恥をかいたのだった。当時、私を絶望させた男子の顔は、二十年近く経った今でも、ありありと思い出せる。それくらい幼い私にとって、衝撃的な出来事だったのだ。

 24日のクリスマスイブ。マンションの部屋の窓からは、雲の少ない晴れ渡った紺青の空が広がっている。今年は暖かいためホワイトクリスマスとはいかないものの、天気がいいのは良きことかな。
 私は朝から本日のディナーに向けて忙しく立ち働いていた。クリスマスに欠かせないチキンはもちろんのこと、洋一と娘の大好きなハンバーグも作る予定だ。
 午後に幼稚園まで娘を迎えに行き、それから料理を再開した。
 窓の外の空がもうすっかり暗くなりはじめた頃。今年、五歳になる娘は、最初ははりきってお手伝いをしていたものの、すぐに飽きてしまいお気に入りのDVDを観はじめた。音楽に合わせて謎のダンスを踊っているのを見ながら、私は仕上げに取りかかる。
 娘は時折こちらを振り返っては、とうちゃん遅いねー、ともらした。

『「パパ」なんて気取ってるから、ぜってぇ呼ばせねぇ』

 洋一は娘が生まれた時そう言って譲らなかったので、娘はずっと洋一のことは「とうちゃん」と呼んでいる。ママ友たちからは珍しいですね、なんて言われるけれど仕方ない。あいつのこだわりらしい。
 私は時計にちらりと目をやった。いつもより三十分遅い。まさか残業だろうか、こんな日に。
 けれどそれは杞憂だったようで、すぐに玄関のロックが外れる音がした。すると娘は、パブロフの犬のごとく駆け出した。お父さん子なのだ。
 私も軽く手を洗って玄関へと向かった。

「ただいまー」

 洋一は靴を脱ぎ、ケーキの箱を私へ預けた。

「おかえり。今日、遅かったんじゃない? ……ってかなにその鼻?! 真っ赤じゃん!」
「あー、今日すげー寒かったし。ケーキ屋寄ってたから遅くなった。めちゃくちゃ混んでやがんの」
「とうちゃん、トナカイみたい!」
「おーう、俺はトナカイだ! ツノで突っついてやるぞー!」
「きゃー」

 洋一は手でツノの形を作ってふざけながら、逃げる娘を追いかけていった。

「ちょっとー、ちゃんと手洗ってよー?」
「へーい」

 すると娘もそれを真似して「へーい」。洋一は本当、いつまで経っても子供みたいだ。
 リビングからはキャッキャという歓声が聞こえてくる。私は寝室へ向かい、棚に眠るあれを確認してから、リビングへ戻った。
 洋一はスーツからパーカーとチノパンというラフな格好に着替えた。
 クリスマスの家族三人の団らんは時間を忘れるほど楽しく温かで、私は幸せな気持ちで満たされていた。娘へのプレゼントはちゃんと、サンタさんからの分とは別に用意してある。娘は知らないだろうが、結局、二重の経費がかかっていることになるのだ。けれどそんなの、子供の笑顔を見れば全く気にならない。
 ハンバーグを頬張る洋一と娘を見ていると、まるで子供が二人いるみたいだ。けれど、未だにヤンチャな洋一が、とても頼りがいのある男だということも知っている。
 夜もふけたころ、私は娘を風呂に入れ、寝かしつけにかかった。しかし、娘は眠ることをかたくなに拒否した。きっとサンタさんに会いたいのだろう。いつもより幾分かてこずったものの、やっと寝かしつけた私は、ほうぼうのていでリビングへと帰還した。

「おつかれ。やっぱてこずったか?」

 ソファの上でごろりと横になり、テレビを見ていた洋一が言葉を投げた。

「うん。年齢が上がったぶん、去年よりひどい……」
「マジか。なら来年どうなんだよ……」
「昼間にめちゃくちゃ疲れさせとくしかないかもね」
「それはそれで疲れそうだな……」

 私は多少ぐったりしながらも、すぐにキッチンへと向かった。棚の奥から、今日のために用意したワインを取り出す。

「洋ちゃん。大人のお、た、の、し、み……、する?」
「おー! 待ってたぜ!」

 洋一が拳を突き上げて賛同する。
 何のことはない。ただの酒盛りだ。私たちは娘が寝静まった頃、たびたびこのお楽しみに興じていた。こっそりお高いワインを開け、これによく合うチーズと、ひそかに作っておいたカナッペを冷蔵庫から取り出す。
 ソファから立ち上がり、ダイニングテーブルについた洋一は、ワインを今か今かと待ちわびていた。
 私はコルクを抜いて二つのワイングラスに丁寧に注いでゆく。照明の下で輝く深い赤紫は、これからの時間を象徴するようだ。
 ツウっぽくグラスを傾ける洋一。まぁ、洋一にはビールがお似合いだけど、なんてひそかに思う。
 それから、体じゅうに心地よい酔いがまわった頃。私の脳裏にふと、あのクリスマスにまつわる記憶が蘇った。時計の針は、ちょうど0時を指している。テーブルに頬杖をつきながら、私は夫である洋一をじっと見つめた。

「ねぇ、洋一ってサンタをいくつまで信じてた?」
「あ?」
「ほら、子供の時はみんな信じてるでしょ。両親がサンタ役でプレゼント置いて。でも、いつの間にかその正体が両親だと知る時が来る」
「あー、『サンタさんはほんとにいるもん!』ってか」
「そうそう」

 洋一は気怠そうにクセのある髪をガシガシ触ったあと、口を開いた。

「確か……幼稚園くれぇだったかな」
「へー、結構おませだったんだ」
「なまえは?」
「私は小三」
「マジか!! 遅くね?!」

 洋一はパッと身を乗り出して驚いていた。
 そんなに驚かなくても、と私は若干むすっとしながらチーズをぱくりと口にする。うん、うまい。

「そりゃお義父さんとお義母さんタイヘンだったろうよ……。いい年した娘に」
「いい年って! 小三だってまだまだ子供なの!」
「へーへー」

 洋一はどうでもよさそうにチノパンの上から尻を掻いている。私は気を取り直して、幼い頃のちょっとした傷を掘り起こしにかかった。

「毎年、両親はそりゃもう苦労してたのよ。私が寝静まった頃にそぅっと忍びこんで、まるで泥棒のような静けさでプレゼントを置いてくの」
「なまえ、それ見たのか?」
「見てないけど……。たぶんそうだったんだと思う。だって私、一度も目覚めなかったんだよ?」
「そりゃなまえが鈍感なだけじゃね?」

 私は近くにあった雑誌で洋一の頭をはたいた。うん、なかなか良い音。

「ってぇ……」
「で、私はあの時までずっとサンタを信じてたの」
「あの時?」

 私は頷いて話しはじめた。
 小三の時のクラスにいた、ヤンチャでいじわるな男子からの驚愕の宣告。煙突からプレゼントを配るようなサンタは実在しないこと。もし朝起きてプレゼントがあったとしたら、それは両親の仕業だということ。それらを知って傷ついたこと。さらにそれをみんなに笑われて恥をかいたこと。

「あの憎っくき男子は、私の繊細な心を踏みにじった」
「ほー」

 その時私は唐突に、それまでずっと耳を傾けていた洋一の顔を改めてまじまじと見た。

「――あ」
「なんだぁ?」
「洋一ってよく見るとあの男子にそっくりだわ」
「はぁ?!」
「勉強はからきしだけど体育はできる。スカートめくりとか、女子によくいたずらするけど、総じてクラスの人気者」
「あー……、なんつーか、うん。俺もそんなだったな。人気者だったかは知んねーけど」

 洋一は気まずそうにふいっとテレビへ視線をやる。

「スカートめくりしたんだ?」
「まぁ、たまにな……。けどもう時効だろ!」

 洋一はそう言い捨ててワインを一気にあおった。
 ムキになる洋一はちょっと可愛い。
 私は指先についた塩っ気を舐めとって、グラスにワインを足した。ついでに洋一の方にも注いでやる。

「そういえば洋一は五歳って言ってたね。その時はどうやって知ったの?」
「あー……」

 洋一はどこか遠い日を懐かしむように、ワインボトルの赤紫に目を細めていた。

「ウチのサンタ役はじいちゃんでよ、まぁ、母ちゃんがプレゼント用意すんだけど。……あの日、俺ずっと起きてたんだよなぁ。サンタのしっぽ掴んでやろうと思って」
「へぇ。幼い洋一少年は寝ずにがんばったわけだ」
「おう。んで、部屋にじいちゃんが入ってきて、まぁ、起きてたらすぐ気づくわな。俺、『あ、じいちゃん』って思わず言っちまって」
「うんうん」
「そんでじいちゃんなんて言ったと思う?」
「え? うーん、なんだろ……謝ったとか?」

 その時、吊りぎみの洋一の目がいっそう鋭くなった。そしてわざとしゃがれた声で、

「『実はワシがサンタじゃったんじゃー』って」
「ははっ、そうきたか!」
「俺が『サンタはこんなハゲてねぇ! つーか外人だし!』つったら、『ワシは日本基地のサンタなんじゃ』って」
「ぷっ、なにそれ! 基地って!」
「じいちゃんいわく『こんな煙突のない団地は入りにくいから、日本基地で手分けして配る』んだとよ。信じられっか?」

 私はワインの酔いも手伝ってか、お腹を抱えて笑った。妙に手がこんでいるようでいて、むちゃくちゃな言い分だ。

「で、俺らがギャーギャー言い合ってるうちに母ちゃんがやってきて、『いい加減寝ろ!』ってゲンコツ食らって終わった」

 倉持家らしいオチのつき方に、私はもうお腹がよじれるほどだ。あー、お腹痛い。

「――お、もうそろそろいいんじゃねぇか?」

 洋一は壁の時計へと目をやった。

「そうだね。あれ取ってくる」

 私は寝室へ向かい、例のものを取ってきて洋一へと渡す。

「いい? そーっとよ。絶対バレないようにね。あの子、ずっと楽しみにしてたんだから」
「わーってるって。まかせろ!」

 あれとはもちろん、娘へのプレゼントだ。娘には事前にサンタさんへの手紙を書かせ、欲しいものは熟知している。中身は、今、少女たちの間で流行っているアニメのおもちゃだ。洋一はクリスマス用にラッピングされたおもちゃを手に、深く深呼吸をした。

「あー、緊張する……」
「洋一ファイト!」

 背中を一発ばしっと叩くと、やめろと言われお尻に軽くタイキックを食らった。
 洋一は音を立てないよう慎重に廊下を歩き、子供部屋へと入っていった。扉は開いていたから、私はそちらへ近づき、その様子を見届けることにする。
 暗闇で見えにくいけれど、娘が眠るベッドにじっと目を凝らした。抜き足さし足で近づく洋一。が、その時。

「……んー? とうちゃん?」

 ああ、バカ。速攻バレてる。私はひやひやしながら事の成り行きを見守った。

「ヒャハ! 起きちまったか」
「……どうしたの? とうちゃんまだ起きてたの?」
「おう、大人は夜ふかししてもいいからなー」
「えー、ずるい」
「お前も大人になったらな」

 ああ、これでは娘の目がますます冴えてしまう。

「ねぇ、それなぁに?」

 暗闇のなかでも、娘は洋一の手の中のものを目ざとく見つけたようだった。

「え、あ、これ? これは……」

 洋一は明らかに動揺していた。これじゃバレバレじゃないか。
 そんな洋一に娘は相当訝しんでいるようで、

「それってプレゼント? でもプレゼントはサンタさんが持ってくるんだよね?」
「お、おう、そうだ。お前はこの一年、ずっといい子にしてたからサンタはぜってぇ来るぞ。だからこれは……その……なんだ」

 とうとう絶体絶命の大ピンチ。この局面どう切り抜ける、洋一? まさかおじいさんと同じく、日本基地のサンタとか言うつもり?
 私は手に汗握りながら洋一の言葉を待つ。

「――これはな、とうちゃんからのプレゼントだ!」

 私は一瞬、フローリングの床でずっこけそうになった。

「そうなの? さっきもらったけど」
「さっきのプレゼントはかあちゃんからな!」
「そっかぁ」

 娘はなんとか納得してくれたようだ。

「サンタさんいつ来るかな」
「少なくともお前が起きてるうちは来ねぇぞ」
「え! じゃあ寝る!」
「おう! ガキはしっかり寝ろ」

 洋一は娘に丁寧に布団をかぶせ、入った時同様、静かに子供部屋をあとにした。部屋から出てきた洋一は、こんな楽しい夜なのに、この世の不幸を全てしょいこんだみたいな悲壮な顔をしていた。

「悪ぃ、なまえ。今からサンタ用のプレゼント一緒に考えてくれ……」
「うっし、まかせて!」

 私は洋一の背中を支えながらリビングへと戻った。
 ダイニングテーブルには食べ散らかしたつまみたちと、開いたワインボトル。テレビはつけっぱなしで、深夜のバラエティ番組の笑い声が響いていた。
 さて、これからどうしようか。夜はまだまだ長い。私たちは顔を見合わせて、笑った。幸せな難問に浸りながら、聖夜は静かにふけてゆく。




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