放物線を描く「好き」の気持ち

 幼なじみのかっちゃんがついにあのコと付き合うことになった。
 かっちゃんから報告のメールが届くと、私はすぐに「かっちゃん、コングラチュレーション!」と返信した。すると即、「田原監督か!」というツッコミが返ってきた。それを見て、私は思わず口許が緩んだ。――珍しくテンション高いぞ、かっちゃん。
 私とかっちゃんと光ちゃんの三人は家が近く、いわゆる幼なじみという関係だった。私と光ちゃんは青道へ、かっちゃんは市大へと高校は別れてしまったけれど、メールのやりとりが頻繁だったり、たまに会って話したりと未だに親しい関係は続いていた。
 そして、三年の夏に二人は野球部を引退した。それから新学期に入り、周りが一気に受験ムードへと染まる頃。以前から相談に乗っていたかっちゃんの恋が、この度めでたく実ったのだった。


「やっとくっついたんだよ。あの二人」
「よかったな、かっちゃん」

 翌日のお昼休み。例の件を報告するため、私は光ちゃんの教室を訪れていた。光ちゃんの前の席が空いていたので、私はそれに腰を下ろし早口でまくしたてる。

「すっごいじれったかったんだから。私が何回かっちゃんに活を入れたことか!」
「なまえ、必死だったもんな」
「だって! 相手も気があるっぽいのに全然くっつかないんだもん」

 私が力説すると光ちゃんは苦笑しながら、そうだな、と返した。
 九月に入ったとはいえ、今日はいつもより日差しが強い。窓から差し込む陽が光ちゃんの無防備な頭部をきらきらと照らしている。坊主頭も大変そうだ。

「あれ、光ちゃんちょっと髪伸びた?」
「ああ……」

 そう言って光ちゃんが自身の頭に手をやる。夏場はきれいにスキンヘッドだったのが、今はまばらだが髪が生えていた。クソがつくほど真面目な光ちゃんは、冗談ような賭けを本気にして――本人いわくけじめらしい――髪を剃り上げたのだった。

「どれどれ」

 私は立ち上がって光ちゃんの頭に手を伸ばし、髪に触った。うん、ざらざらする。

「なまえ、やめろ……」
「えー、なんでよ」

 光ちゃんが頬を赤くして拒否するのがおもしろくて、わざと撫で続けた。

「おっ、またデコボココンビかよ」

 私たちが謎の攻防を続けていたその時、背後から声がかかった。――この声は伊佐敷くんだ。

「誰が凹よ誰が」
「そんなんお前に決まってんだろ」
「スピッツのくせにうるさい」
「んだとコラ!」

 私たちがギャーギャー騒いでいると、光ちゃんは困ったようにため息をついた。けれどこれもいつものこと。伊佐敷くんとのあいさつみたいなものだ。
 光ちゃんは身長が185pもあってかなりの長身。対する私はクラスで、いや、学年の女子でも一、二を争うほどの背の低さだった。デコボココンビたるゆえんである。
 伊佐敷くんは意地悪く笑って言った。

「お前らの身長と性格、足して二で割ったらちょうど良くなんじゃね?」
「余計なお世話!」


 ところで、私だって人の恋路にばかりかまけていたわけじゃない。かっちゃんから報告を受けた数日後、私も決死の覚悟で告白したのだ。――ずっとひそかに想いを寄せていた、光ちゃんに。
 小さな頃からいつも、かっちゃんの陰に隠れて目立たなかったけれど、私は光ちゃんの良いところをたくさん知っている。優しいところ、繊細なところ、恥ずかしがり屋なところ。挙げればキリがないほどに。
 幼なじみという慣れ親しんだ関係を壊すのはひどく勇気がいることだったけれど、そうせずにはいられなかった。きっとかっちゃんの吉報が、私の背中を押したんだと思う。だから、あえてさらりと言った。まるで放課後の予定を提案するように、ごく自然に。

『私たち付き合おうよ』

 我ながら声は冷静だったと思うけれど、胸の奥はじりじりと焼けるように熱くて、口から心臓が飛び出しそうだった。返事をもらえるまでの数秒間、やっぱり言わなきゃよかったとか、今すぐここから消えてしまいたいとか、様々な感情が一気に私を襲った。
 だけど。結論から言えば、光ちゃんは二つ返事でオーケーしてくれた。恥ずかしそうに唇を噛んで顔を伏せる姿に、私の胸はきゅんと跳ね上がりっぱなしだった。
 その時ふと、どこかで音楽が鳴った気がしたのだ。私の中で今まで見ていた景色が、この瞬間、鮮やかに色づいて生まれ変わったような、そんな気がした。

 光ちゃんが部活を引退してからは放課後に自由な時間ができたため、以前より一緒に過ごすことが増えた。といっても図書館で勉強したり、ファーストフード店に寄ったり、高校生のごくありふれた過ごし方。でもそれは私にとって、かけがえのない時間だった。その後、光ちゃんが私を駅まで送ってくれるのは最近ではすっかり日課になっていた。
 日が傾いてからは夜が瞬く間に侵食する。私たちは今日も駅に向かって歩いていた。たわいもない話をしながら、私はぼんやり地面に視線を落とす。光ちゃんは脚が長いから踏み出す一歩が大きい。対する私は小さい。だからいつも、さりげなく歩幅を合わせてくれるのだ。
 しかし駅に近づくほどに明るくなる街並みに対して、私の心は次第に陰っていった。付き合いはじめてからずっとこうだ。そしてついに堪えきれなくなり、隣のシャツの裾を控えめに引っ張った。

「ね。ちょっとだけ駅前のカフェ入ろうよ。まだ時間あるよね?」

 私の言葉に、光ちゃんはかすかに眉を寄せる。

「さっきハンバーガー食べただろ」
「……そうじゃなくて」
「もうお腹減ったのか?」

 本気で不思議そうにする光ちゃんに、はがゆい気持ちになる。だいたい私はそんなに大食いじゃない。
 唇をきゅっと噛んで胸の内でつぶやいた。
 ――もっと一緒にいたい。
 それが私のわがままであることはわかっていた。寮にも門限はあるし、うちにもある。いくら幼なじみだからといっても、私の両親の手前、光ちゃんも気を遣っているんだろう。でも、こうして共に過ごす時間が長くなるにつれ、自分でもどうしようもない欲求が降り積もっていく。
 駅前のコンビニに差し掛かった。夜の闇に沈む底抜けに明るい光は私たちを照らし出し、背後にゆらゆら濃い影を作る。高い影と、低い影。まるで親子のような。でも、その二つはちょっとだけ離れている。私たちはいつもこの微妙な距離を埋められずにいた。隣へ伸ばしかけた私の手は、むなしく宙を彷徨って、結局元の位置におさまった。

「かっちゃんね、今度彼女とランドに行くんだって」
「へぇ」
「いいよね、そういうの」

 “そういうの”なんてひどく漠然なことを指していて、言った自分でさえよくわからない。ただ、隣の芝生は青く見えるだけ。本当はどこへ連れて行ってほしいかなんて問題じゃない。
 すると、光ちゃんは眉を下げて頬を掻いた。
 私だって困らせたかったわけじゃないのに。胸にちりちりとした痛みが走る。
 信号で足を止めた光ちゃんはそれからずっと無言だった。同じく隣で足止めされた人々もその場に静止していて、どこか空気が止まったように感じる。途端に息が苦しくなった。何か言ってほしいと祈るほどに、無言に押し潰されそうになる。
 ほどなくして信号が青に変わった。瞬間、周りの空気が緩んで緊張が解け、私たちはのろのろ歩き出した。
 それから駅に着き、私は、じゃあね、と改札をくぐろうとした。けれどその時だった。

「なまえ!」

 背後から光ちゃんの声がした。私は振り返って一旦そちらへと戻る。わずかな期待を抱いて。

「どうしたの?」
「あのさ……かっちゃんのこと」
「かっちゃん?」

 疑問に思い訊き返すと、なぜか光ちゃんの瞳が不安に揺れた。それは、付き合いはじめてからたびたび見せる顔だった。みえない何かが心を波立たせているようで、私は思わずその顔を覗きこむ。
 だけど、光ちゃんはそれを押しとどめるみたいにしてそっと目を伏せた。

「……なんでもない」


 翌日の放課後。私は教室で一人、光ちゃんを待っていた。室内には誰もおらずがらんとしていて、私だけがぽつりと席についている。ふと窓の外に目をやると、橙色に暮れなずんだ空が広がっていた。最近、めっきり日が短くなった。
 教室へ徐々に侵食する橙に、なんとなく胸がざわざわした。夕日が目に染みた時、不安な気持ちに飲み込まれそうになったので、私は無意識に携帯を取り、通話ボタンを押していた。

「――もしもしかっちゃん?」
『なまえ? どうした?』
「ちょっと光ちゃんのことで相談なんだけど」
『ああ』

 かっちゃんは得心して小さく笑った。

「光ちゃん、最近何か悩んでるのかな……」
『光一郎? 前話した時は何も気づかなかったけど』
「そっか」
『あいつシャイだから、なまえがガンガンいった方がいいんじゃないか?』
「ガンガンいってるよ! ……いってる、けど」
『うーん……』

 お手上げだというようにかっちゃんが電話口で唸る。

「なんか私ばっかり空回りなの。がんばって『好き!』ってストレート投げてるのに、なぜかまっすぐ届かないんだよね。こう、光ちゃんを前にするとぐ〜んと軌道が変わる感じ?」
『カーブみたいな?』
「カーブ?」
『じゃあスライダー?』
「えー、球種なんてどうでもいいよ」
『どうでもよくないだろ』

 ただの例えなのに、かっちゃんは妙に真面目くさった声を出した。普段は優しいかっちゃんがこんな風にこだわるのは、根っからのピッチャーだからだろう。

「えーと、そんな急激な感じじゃなくて――例えるならチェンジアップ、かな?」
『ああ、なるほどな』

 例える私も私だけど、納得するかっちゃんもかっちゃんだ。

「なんでだろ。こんなに好きなのに……」

 電話の向こうのかっちゃんが黙りこむ。

「なまえ」

 突然。教室の入口から押し殺すような声がした。――光ちゃんだ。
 その顔は、こころなしか強張っているように見えた。

「ごめんねかっちゃん。また電話する」

 私は通話を切って立ち上がった。

「電話……かっちゃん?」
「あー、うん」

 なんとなく気まずくなって、カバンの中を用もなくごそごそあさる。だけど、いつまでもそうしているわけにはいかないので、私はカバンを閉め手に取った。

「今日はどうしよっか。図書館行く?」
「……なまえ」
「あ、新しくできたカフェにする? スコーンがおいしいんだって」
「なまえ」

 私を呼ぶ、低くはっきりした声。決定的な“何か”を告げられそうな気配に、心がささくれ立つ。――聞きたくない。

「何?」

 あきらめて光ちゃんの方を向くと、けれどその瞳が今日は揺れていなかった。澄んだ目がまっすぐに私を見下ろしていた。

「本当のことを、言ってくれ」
「本当のことって?」
「俺に気を遣わなくていい。なまえの本当の気持ちを」
「……言ってることがよくわかんない」

 光ちゃんは一旦私から視線を外し横を向いた。そしてふーっと息を吐き出して、また向き直った。

「かっちゃんのこと……好きなんだろ?」
「……え……」

 私が驚いて黙りこむと、光ちゃんにしては珍しくまくし立てるようにしゃべりはじめた。

「なまえ、昔からかっちゃんが好きって言ってたもんな。恋の相談まで乗って……辛かったんじゃないか? それでヤケになって俺と……」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「俺は大丈夫だから、ちゃんと気持ちだけは伝えた方がいいと思うぞ」
「だから待ってってば!!」

 言葉を断ち切るように大声をあげた。
 光ちゃんの中で、何か思い違いをしたまま話が進んでしまっている気がした。

「光ちゃんなんか勘違いしてる。かっちゃんを好きって言ってたのはずっと小さい時の話だし。今は単に幼なじみとしての『好き』だよ」

 それは、幼い頃の男女の意識なんてなかった頃の話だ。確かに私は「光ちゃんもかっちゃんも二人とも大好き」なんて都合の良いことを言っていたけれど、それを許される年齢の時だった。

「でも、さっき電話で『こんなに好きなのに』って」
「あれは……」

 光ちゃんの大きな身体が、今はひどく小さく見えた。きっと不安で心がしぼんでいるせいだろう。
 私はしばらくその姿をぼんやり眺めていた。ずっと勘違いしたまま心配して落ちこんで、ほんとばかな人。
 でも、それでも私は――
 身体が自然に動くってこういうことなんだって思った。
 私は手を伸ばして光ちゃんの肩に触れた。そこは、軽く感電したようにびくりと反応したけれど、かまわず爪先立ちして顔を近づける。一気に縮まる距離。すると、昔からずっと隣にあった光ちゃんの匂いを感じて、抑えきれない衝動がますます加速する。
 その瞬間。私たちの視線がかちりと重なった。そのせいで、痛いほどに唇は光ちゃんのそれを求めているのに、恥ずかしさと息苦しさであと一歩が踏み出せない。だけど視線を逸らすことさえできない。悩んだ末、私は唇よりも近くにあったそれ――喉元に口付けた。本来こんなところ、キスするような場所じゃない。それでも、そこが導火線になって、光ちゃんの顔や首や耳が一気に朱へと染まっていった。

「こっ、光ちゃんがムダにでかいから届かなかったんだよ!」
「ご、ごめん……」

 こんな不条理なことに謝ってしまうところが光ちゃんらしい。思わずぷっと吹き出すと、光ちゃんは困ったように微笑んだ。

「私が好きなのは光ちゃんだけだよ」
「ああ。俺も……なまえが好きだ」

 ノミの心臓のくせに、こういう時だけ男らしく言いきるから、不覚にも翻弄されてしまうんだ。
 長い指が、不器用に私の肩に触れる。視線が重なると、愛おしさと嗜虐心にさいなまれて、私は意地悪く上目遣いにつぶやいた。

「喉じゃ、嫌だからね?」


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